《『月刊救援』から》
☆ 3月25日からの証人尋問、静岡地裁に結集を!
~“黒は赤だ”と述べる検察側証人を糾弾しよう!
二月二二日、島田事件の赤堀政夫さんが亡くなった。九四歳だった。島田事件は一九五四年の事件である。一九七七年三月、静岡地一裁で第四次再審請求が棄却された後、一九八三年五月、東京高裁が静岡地裁に差し戻し、八七年再審開始決定、一九八九年一月三一日無罪判決、翌二月、無罪が確定した。
獄中三四年八か月、死刑台から生還して三五年一か月の娑婆生活であった。
袴田さんの再審請求は一九八一年四月から始まる。
静岡地裁では死刑囚の再審を同時に抱えていたことになる。
静岡県は警察のでっち上げ捜査を原因とする冤罪事件が極めて多い。有名な事件だけでも幸浦、二俣、島田、丸正事件がある。
丸正事件は再審が叶うことがならなかった。他の事件は上級審や再審でいずれも無罪である。
この事実から、静岡県警はでっち上げ捜査を行なう体質がその根底にあったという事である。
袴田さんの再審公判は、島田事件に続き静岡県警二件目の死刑再審事件である。
県内では無罪を訴えているえん罪被害者も多い。今でも静岡県警にはでっち上げ捜査を行なう体制が綿々と続いていると言えよう。
袴田さんは間もなく八八歳を迎える。二〇一四年、再審が認められ釈放されて一〇年を経過する。
☆ 侵入方法すら説明できない検察官
検察官が袴田さんを犯人とする罪状は、住居侵入・強盗殺人・放火、である。
確かに被害者四人が何者かに惨殺された事実は存在する。しかしその犯人が袴田さんであるとすることは検察官ですら詳しく説明できていないことを、検察官自身が自覚しているにもかかわらず、いまだにその主張を続けていることには開いた口が塞がらない。
その主張のもっとも根幹をなす被害者宅への侵入方法・侵入時間に関して具体的な主張が何もなされていないのである。
そもそも住居侵入を罪状に挙げ、証拠に基づき主張できないのであれば、その後の強盗殺人・放火の行為も成り立たないことになる。
にもかかわらず、検察官は冒頭陳述でそのことを説明できなかった。
一九六六年第一回公判で主張した検察官の冒頭陳述では、パジャマの上に黒色の雨合羽を重ね着し、隣家の木に登り被害者宅の屋根に渡り、細い水道鉄管を伝って被害者宅の中庭に降りたことになっている。
弁護側は、隣家の木に登るためには有刺鉄線が張られている鉄道防護柵をまたぐことは不可能であるし、水道鉄管は土蔵の軒先に針金で簡単に縛られただけの強度が弱いものであり、これを、六月三〇日未明、パジャマの上に雨合羽を重ね着した体で、スポンジゴム草履をはき、物音を立てず中庭に降りることは不可能であると主張している。
事実、検察官が“できた”という写真には、犯人役の警察官が屋根から降りる姿の横に、水道管をしっかり支えている警察官の姿も写っている。
☆ 黒を赤だと述べる検察
昨年一〇月二七日から始まった再審公判はすでに九回を終わった。
検察が有罪主張にこだわった理由は検察官を支えている法医学者の存在である。昨年七月、検察官は七名の法医学者による鑑定書なるものを出してきている。その内容は一言で言えば「血痕が味噌に漬かっても赤みが残る可能性がある」というものである。
昨年三月一三日、東京高裁は差し戻し審において、血液付着の衣類が一年以上も味噌に漬かれば血痕に赤みが残らないとして、検察官の抗告を棄却し、再審開始を決定した。その化学的機序は割愛するが、酸の影響で血痕が黒くなることは、化学的にも否定できない事実である。
事実、検察官自らが、血液付着の布片を味噌原料に漬け込んで行った実験でも、血痕は例外なく黒くなっている。にもかかわらず、見方によれば赤く見えると堂々と公判廷で主張しているのだ。
☆ 三月二五日から連日始まる証人尋問に結集を
そして、その主張を支えている法医学者たちが、三月二五日、二六日、二七日に静岡地裁で検察側の証人として登場する。
そもそも彼らが書いたとする鑑定書は、実験も伴わないものであり、鑑定するデータすらとることなく、可能性を述べている単なる意見書でしかない。
血痕や血液は、酸性に触れることによって黒変することは普遍的事実であり、否定のしようがない。味噌は原料を仕込んだ直後から数日間で酸性になることも否定できない事実である。
にもかかわらず、「赤みが残る」と強弁し袴田さんを死刑台に送り込もうとする法医学者たちを私たちは絶対許してはならない。
静岡地裁への結集をお願いしたい(傍聴整理券は午前八時四〇分から三〇分間だけ配布されます)。
(袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会 事務局長 山崎俊樹)
『月刊救援 第659号』(2024年3月10日)
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