● 元気が出るぞ!藤田先生を応援する集会
11月10日(土)18:00~ グリーンホール(東上線大山駅)
激励講演「政治家と金」内閣を倒した男 山本博(元朝日新聞記者)藤田さんと大学の同期
● 板橋高校「日の丸君が代」威力業務妨害事件 第2回控訴審
11月20日(火)13:30~ 東京高裁102
目撃証人が証言に立ち、田中教頭の"偽証"を覆します。

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2007/10/08(月) 挽歌 1
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溝口貞彦教授の「和漢詩歌語源考 詩歌の源を訪ねて」によると、「君が代」は紛うことなく挽歌である。 葬送の歌である。
万葉集、巻2の挽歌
「天の原 ふりさけみれば 大君の 御寿は長く 天足らしたり」
ーー大空を遠く振り向くと、大君の御寿命は、悠久に大空一杯に満ちているーー
天智天皇が危篤の時、皇后がつくったとする題詞がつけられている。
「天皇聖窮不予之時、太后奉御歌」
臨終という表現をはばかり、不予=危篤と表現している。
いやあ、積年の違和感が解消した。 蒙が晴れたと言うべきか。 何とも暗い荘重な曲だと思っていたが、歌詞にまことにふさわしかったのである。
窮ーーー正しくは、あなかんむりの無い字である。
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2007/10/09(火) 挽歌 2
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溝口貞彦氏
「万葉集では、前期・中期には挽歌が大きな比重を占めており、賀歌が登場するのは万葉末期(=奈良時代中期以降)である。」
溝口氏は、現世における長寿を願う「賀歌の系列」と、死後の来世における永生を祈る「挽歌の系列」と二つの流れの中に歌を見定める。
「君が代」の本歌は万葉集、巻2の挽歌の中にある。
妹が名は 千代に流れる 姫嶋の 小松が末に 苔むすまでに
これは、「河辺宮人が姫嶋の松原で乙女の屍を見て悲嘆し作れる歌」である。
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2007/10/10(水) 挽歌 3
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溝口氏は次のように書いている。
「君が代」の歌詞の意味は、「千代に八千代に」という永世の願いを、死後の「常世」に託したものである。
それは死者の霊に対する鎮魂の歌に他ならない。
「さざれ石」も「巖」も、ともに霊石とみなされ神性を帯びる。 これは死んだ親あるいは祖先の「化身」とみなされる。
人が一人死ねば霊石が一つふえることとなる。
「さざれ石の巖となりて」とは、個々の霊石としての「さざれ石」が集積され、巖という「霊石の集合体」を形成することを意味している。
「巖」は万葉集では「墓地」あるいは「墓所」を指す。
巖の語は死者を墳に葬ったのちその入り口を大きな石でふさいだことにもとづく。 岩戸ともいう。
その「巖に苔むす」とは何か。
苔は「再生・転生の象徴」である。 死後の再生・転生を経てしかるのちに初めて「千代に八千代に」という「永生」がえられる。
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2007/10/11(木) 挽歌 4
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かくしてとんでもない事が起きてしまった。
「いかなる民族も慶弔は峻別してきた。 そのような醇風風俗をもった日本において、為政者の無知蒙昧により、祝賀の日に葬送の歌を強制するのは奇怪な風景ではないか。」
「祝賀の儀式で一斉に挽歌を歌う国民は、祝宴の会場で弔辞を読む客と同じで、悲喜劇と言わねばならない。」(溝口貞弘)
もう三年も前にこのことに関する本を贈呈されていたのに今日まで紛れてしまっていた。 まことに申し訳ないと言うほかない。
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2007/10/12(金) 挽歌 5
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10世紀の初めに紀貫之が古今和歌集を編纂した際に、挽歌たる「君が代」を賀歌として放り込んでしまった。
明治の初めに「天皇に対する礼曲」を定めることを依頼された大山巖は、「君が代」を強く推戴した。
自分の名前の「巖」が読み込まれているからとの説があるが、誰が言い出した話なのであろうか。
『藤田のページ』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
11月10日(土)18:00~ グリーンホール(東上線大山駅)
激励講演「政治家と金」内閣を倒した男 山本博(元朝日新聞記者)藤田さんと大学の同期
● 板橋高校「日の丸君が代」威力業務妨害事件 第2回控訴審
11月20日(火)13:30~ 東京高裁102
目撃証人が証言に立ち、田中教頭の"偽証"を覆します。

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2007/10/08(月) 挽歌 1
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溝口貞彦教授の「和漢詩歌語源考 詩歌の源を訪ねて」によると、「君が代」は紛うことなく挽歌である。 葬送の歌である。
万葉集、巻2の挽歌
「天の原 ふりさけみれば 大君の 御寿は長く 天足らしたり」
ーー大空を遠く振り向くと、大君の御寿命は、悠久に大空一杯に満ちているーー
天智天皇が危篤の時、皇后がつくったとする題詞がつけられている。
「天皇聖窮不予之時、太后奉御歌」
臨終という表現をはばかり、不予=危篤と表現している。
いやあ、積年の違和感が解消した。 蒙が晴れたと言うべきか。 何とも暗い荘重な曲だと思っていたが、歌詞にまことにふさわしかったのである。
窮ーーー正しくは、あなかんむりの無い字である。
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2007/10/09(火) 挽歌 2
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溝口貞彦氏
「万葉集では、前期・中期には挽歌が大きな比重を占めており、賀歌が登場するのは万葉末期(=奈良時代中期以降)である。」
溝口氏は、現世における長寿を願う「賀歌の系列」と、死後の来世における永生を祈る「挽歌の系列」と二つの流れの中に歌を見定める。
「君が代」の本歌は万葉集、巻2の挽歌の中にある。
妹が名は 千代に流れる 姫嶋の 小松が末に 苔むすまでに
これは、「河辺宮人が姫嶋の松原で乙女の屍を見て悲嘆し作れる歌」である。
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2007/10/10(水) 挽歌 3
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溝口氏は次のように書いている。
「君が代」の歌詞の意味は、「千代に八千代に」という永世の願いを、死後の「常世」に託したものである。
それは死者の霊に対する鎮魂の歌に他ならない。
「さざれ石」も「巖」も、ともに霊石とみなされ神性を帯びる。 これは死んだ親あるいは祖先の「化身」とみなされる。
人が一人死ねば霊石が一つふえることとなる。
「さざれ石の巖となりて」とは、個々の霊石としての「さざれ石」が集積され、巖という「霊石の集合体」を形成することを意味している。
「巖」は万葉集では「墓地」あるいは「墓所」を指す。
巖の語は死者を墳に葬ったのちその入り口を大きな石でふさいだことにもとづく。 岩戸ともいう。
その「巖に苔むす」とは何か。
苔は「再生・転生の象徴」である。 死後の再生・転生を経てしかるのちに初めて「千代に八千代に」という「永生」がえられる。
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2007/10/11(木) 挽歌 4
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かくしてとんでもない事が起きてしまった。
「いかなる民族も慶弔は峻別してきた。 そのような醇風風俗をもった日本において、為政者の無知蒙昧により、祝賀の日に葬送の歌を強制するのは奇怪な風景ではないか。」
「祝賀の儀式で一斉に挽歌を歌う国民は、祝宴の会場で弔辞を読む客と同じで、悲喜劇と言わねばならない。」(溝口貞弘)
もう三年も前にこのことに関する本を贈呈されていたのに今日まで紛れてしまっていた。 まことに申し訳ないと言うほかない。
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2007/10/12(金) 挽歌 5
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10世紀の初めに紀貫之が古今和歌集を編纂した際に、挽歌たる「君が代」を賀歌として放り込んでしまった。
明治の初めに「天皇に対する礼曲」を定めることを依頼された大山巖は、「君が代」を強く推戴した。
自分の名前の「巖」が読み込まれているからとの説があるが、誰が言い出した話なのであろうか。
『藤田のページ』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
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