★ 強権を破る“あたりまえ”の民主主義を ☆
第8回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会2018に寄せて
第8回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会2018に寄せて
「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット代表 黒田伊彦
★ 強権支配に抗し、憲法理念の実現の闘いを!
①政府は、今年は明治150年だ、「明治の精神に学び、日本の強さを再認識する」、10月23日は明治改元150年として記念式典を行うという。
明治の精神を司馬遼太郎の「坂の上の雲」のように「健康なナショナリズム」と捉えている。
だが、明治150年史観は侵略と差別の帝国主義を国運の拡大と是認するものに他ならない。
他民族の殺戮と抑圧、国内の自由の剥奪と収奪の負の側面を無視し、その事実の忘却を強制するものである。
②かつて日露戦争後韓国併合の直前にでっち上げられた幸徳秋水らの大逆事件を契機に自由と平等を要求する民衆運動は弾圧されていった。
石川啄木はこの状況を「時代閉塞の現状」とし「強権に確執をかもす志を忘れるな」「今、明治の青年のなすべき事は組織的な明日への考察である」と述べた。
この言葉を今日の状況に対する提言ともいえる有様が現出している。
③森友学園問題から教育勅語教育を是認する閣議決定は、1948年の国会での排除・失効決議に反している。
教材として利用するということは、「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ」る日本人の理想形を自衛隊に求める世論づくりと結びついている。
それは自衛隊の存在を憲法9条の3項に入れて違憲性をなくし、第2項の交戦権の否認を無効にする自民党の改憲策動と連動しているといえる。
④「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」という安倍総理の国会答弁に合わせて、森友学園問題で公文書の改竄、削除等が行われ、事実の暴露の中で官僚が自殺や辞任する事態は、政権の私物化である。
「森友・加計」問題も「忖度」によって全体の奉仕者たる公務員が一権力者の下僕になっている。民主主義の解体である。
⑤安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」は、このように戦後の憲法理念の解体である。にもかかわらず、NHKの調査では内閣支持率は支持が44%、不支持が39%となっている。我々はこの時代閉塞の現状を打破する真の民主主義を創り出さねばならない。
★ 多数決独裁を撃つ当たり前の民主主義としての「広場(アゴラ)」の創造を!
①民主主義デモクラシーとは文宇通りデモス(民衆)クラチア(支配権力)である。
リンカーンは「人民の人民による人民の為の政治」と表現し、日本国憲法前文にも同主旨を「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」とある。
「国政は国民の厳粛な信託による」とあるように、国家は民族共同体のようなゲマインシャフト的なものではなく、目的・契約によって結合したゲゼルシャフト的誓約者集団である。その誓約とは「憲法」である。
②2015年憲法9条の戦争放棄・交戦権の否認の条項に反する海外での武力行使を容認する集団的自衛権をめぐるいわゆる「戦争法」の国会議決に対し、権力の恣意的暴走を縛る立憲主義に反するとの批判が沸き起こったのは当然のことだった。
だが今、多数決原理に従って、民主主義による独裁が行われている。高度プロフェッショナル制度の新設等裁量労働の拡大の「働き方改革」や博打容認の「カジノ法案」をみても、「一部資本家階級の利害をあたかも全国民的な利害とみなす装置」として代議政民主主義が機能している。
③これに対抗し、「民主主義とは何だ、ここだ!」10万余の国会前の大集会を突きつけた若者たちの行動こそ、直接民主主義の理念による「広場の民主主義」であり、街頭デモの「歩く民主主義」である。
ここに韓国での財閥と癒着した朴政権を打倒し文在寅政権を生み出した「キャンドル・ろうそく革命」の根がある。我々にとって国家とは何かを問い、当たり前の民主主義の実現を志そう。
★ 自民党改憲に道を開く「慣例上の儀礼的所作」論を撃つ!
①国家への信頼からの離反、民心の離反を繕うため、天皇代替わりを機に、天皇制のカリスマ性を使って国民としての意識統合を図っている。だがそれは、同時に憲法原理に反する諸問題を生み出している。
生前退位の意思表明で権限のない憲法違反の立法行為を行わせたこと。皇位継承の根拠となる聖性の担保するための国家神道の神話に由来する剣璽等承継の儀。 天照大神の祖霊と合体する真夜中の真床追衾の秘儀等は、憲法20条の政教分離の原則に反した行為であるのに、国事行為として強行される。
時間秩序を司る神的なカを認める、元号の制定「新天皇を第126代天皇」とする皇国史観の公認等々がある。
②宗教とは「聖性を基盤としたその社会の精神的秩序を、特定伝統をひきながら構成しているもの」(島薗進)と解される以上、皇位を世襲とし「万世一系の聖なる血の連続性」を尊いという観念の基に成立している天皇を、日本の伝統と文化を具現したものとして崇敬する行為としての「日の丸・君が代」への起立斉唱の義務化は、憲法違反の宗教的行為の強制と言わざるを得ない。
③卒・入学式における君が代の起立斉唱を思想・信条の自由を侵害しない「慣例上の儀礼的所作」であるという最高裁の決定は、自民党改憲草案3条の「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」20条の3、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」という条項案に道を開くものである。
④戦争中、瀬戸内海で潜水服を着て竹竿の先に爆弾をつけ、海に潜り敵艦の船底にぶちあてる「伏龍」特攻作戦の訓練を受けていた城山三郎は戦後に「旗」と題し、「旗振るな、旗振らすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために」と詠っている。
戦争する国への新たな国民精神総動員運動に抗し、個人の尊厳と自由を守る真の民主主義を打ち立てるためにともに力を合わせましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます