◆ 子どもの権利条約批准20周年とこれから
今年は、1994年4月に日本政府が国連・子どもの権利条約を批准してから丸20年、国連が採択して25周年にもなります。
この節目の年を迎えて、日本における子どもの権利保障に関し、いったい何が変わったのでしょうか。批准20年を迎えて、私たちはどういう取り組みを強めていくべきでしょうか。
◆ 条約提案の初心から日本の現状を考える
それらを見定めていくための基本的な視点を、ここではこの条約の立法意思、提案者の初心の中に求めておきたいと思います。
いまでも、子どもの権利条約は途上国の子どものためにできた条約であり、日本に適用するのは拡大解釈だ、といった誤った考え方が流布し続けています。ユニセフがこの条約の普及啓発に貢献してきたことで、その誤解がますます広がったともいえます。
しかし、この条約の提唱者は、ユニセフではなくポーランドでした。
ポーランドは、子どもの権利条約の提案国(1978年2月7日「決議案」)であり、その審議のたたき台となる条約草案もポーランドが提出(1979年10月5日国連人権局提出)、10年間にわたる審議を仕切った議長もポーランド代表(アダム・ウォバトカ=Adam Lopatka)でした。
議長を務めたウォバトカさんが来日したときに、「条約提案の初心」をうかがうことができました。話を総合すると、ポーランドが子どもの権利条約を提唱した思い、願いは、次の2点に集約することができます。
①条約は戦争・ホロコーストの防波堤
第一は、「第一次世界大戦と第二次世界大戦において、ポーランドの何百万人もの子どもたちが命を失ったり、環境の悪い労働に従事されられたり、医療・教育・文化に対するアクセスを奪われてきたこと」、「ヨーロッパ中から集められてきた何百万人ものユダヤ人の子どもがゲットーで殺されたという事実」をふまえて、「ポーランド政府は、子どもの権利条約が、このようなことが他のところで二度と起こらないようにするための有効な防波堤になると信じた」ことである。
②子どもに対するおとなの態度の変化を促したい
第2は、「条約の草案を提出することによって、ポーランドが子どもに対するおとなの態度の変化を促したいと思った」ことであり、とくに「子どもを単なるケアの客体ではなく権利の主体としてとらえるという考え方を普遍的なものにした」ということであった。
◆ 戦争・災害など人類的危難と子どもの権利「子どもは敵に非ず」
子どもの権利条約の初心は、上記のとおり、子どもの権利を保障することは、戦争や大虐殺など人類的な危機を防ぐことにつながる、という国際認識でした。
その認識は、ポーランドが主張する以前から、第一次世界大戦にまで遡ることができます。子どもの権利国際化の出発は、1924年国際連盟が採択したジュネーブ「子どもの権利宣言」でした。
この宣言採択の功労者であり、セーブ・ザ・チルドレンの創始者とされるのがイグランティン.ジェッブという女性教師でした。
彼女は、第1次世界大戦のときにイギリスの児童救済基金団体で活動し、戦後、敵国ドイツの子どもの救済活動に当たっていました。
彼女の活動は、当時、イギリス国内で敵国を利するとして「非国民」扱いされて攻撃されましたが、劇作家バーナード・ショーが、「子どもは敵に非ず」と訴えて彼女を守ったといわれます。
おとな同士の争いで、敵国だからとして子どもの救済を拒むことは、ゆくゆく人類の存亡にかかわることになる。子どもは敵に非ず、人類の存続の視点で子どもの権利救済が求められてきたのです。
第二次大戦で多くの子どもたちや若者を失ってきたポーランドが戦後、自国の建設のなかで常に「子どもの権利」を訴えてきた歴史的背景をおさえておく必要があります。
かつて日本にも、第二次世界大戦後、連合国の人々の中に「敵国日本の子どもの救援」はけしからん、という声もありましたが、救済されてきたことを想起すべきです。その意味では、いま、地域・自治体で大変残念な動きがあります。
その一つは、朝鮮学校への自治体助成金がカットされている問題です。北朝鮮はけしからん国だ。だから朝鮮学校の生徒への援助をやめよう、という動きが、政府サイド(高校授業料無償の適用除外)だけでなく、東京都、神奈川県、千葉県など自治体にまで広がっています。
子どもの権利条約を批准している日本では、たいへん憂慮すべき事態ですが、少なくともこの条約を活かしたまちづくりを進めている自治体には、その条約の初心、すなわち「子どもは敵に非ず」という初心を受け継いでほしいと思います。
こうした中で、私たちは、2011年11月に「第2回アジア子どもの権利フォーラム」(第1回は2009年ソウル開催)を11の国・地域の参加のもとで開催しました。
東日本大震災の直後でしたが、中国四川の大地震やインドネシアスマトラの地震津波などもあり、災害のなかでこそ子どもの権利を保障することが人類的な課題であるとして、開催を断行し、多くの成果をあげました(詳しくは、荒牧重人・喜多明人・森田明美『子どもの権利アジアと日本』三省堂、2013年12月刊参照)。
今年、第3回アジアフォーラムは、8月にモンゴルで、アジアにおける子どもの権利条約の実現に向けて協議する予定です。
◆ 子どもに対する支配的な観念からの脱却一新「子どもの発見」
いま、日本の子ども・若者の自己肯定感が下がり続けています。それが子ども・若者の能動的な活動意欲、活力を奪う結果となっています。
学ぶ意欲(学力低下問題)、人とかかわろうとする意欲(ニート・引きこもり問題)、生きる意欲、ダメージを受けたときに立ち直ろうとする意欲(青少年自殺の増加)など、その現われは深刻です。
そのような中で、「条約提案の初心」のもう一つの柱が注目されます。日本のおとな社会は、子ども・若者に対する態度、その向き合い方を変えなければならないのではないでしょうか。
「向き合い方」、態度、姿勢の変化を促したいというポーランドの提案の思想的背景には、ヤヌシュ・コルチギックの存在がありました。
彼は、「子どもの権利条約の精神的な父」(ユニセフ)といわれており、「子どもはだんだん人間になるのではない。すでに人間なのだ」と主張し、子どもが生まれながらに持っている人間としての力(生命力・自己形成力)と意思を支えていこうとしました。
子ども自身に力があること、その力への気づきと信頼によって、その子どもの能動的な活動を支えていこうとする活動を、現代では「子ども支援」と呼んでいます。
そこでは、子どもに対して支配してきた伝統的な考え方を打ち砕くことが必要でした。その子どもに対する支配的な考え方とは何か。それは、子どもは発達途上であり、未成熟で、力が備わっていない存在という考え方であり、それが教育、指導の正当性を示してきました。
それに対し、むしろ「発達途上」であることを積極的にとらえて、おとなに対して相対的に区別された発達可能態としての「子ども」の発見が強調されてきました。そうした子ども観そのものを問い直すことが求められてきたのです。
子どもに力があること、その意思を尊重することは、いいかえれば、おとな側が、そのイニシアティブ(主導性)を子どもにわたすことを意味します。
イニシアティブの転換です。具体的には、子どもの意思を尊重して「聴く支援」や、子どもの力を:信頼して「待つ支援」が実践的には課題となっています。(きた あきと)
「子どもと教科書全国ネット21ニュース」94号(2014.2)
喜多明人(早稲田大学)
今年は、1994年4月に日本政府が国連・子どもの権利条約を批准してから丸20年、国連が採択して25周年にもなります。
この節目の年を迎えて、日本における子どもの権利保障に関し、いったい何が変わったのでしょうか。批准20年を迎えて、私たちはどういう取り組みを強めていくべきでしょうか。
◆ 条約提案の初心から日本の現状を考える
それらを見定めていくための基本的な視点を、ここではこの条約の立法意思、提案者の初心の中に求めておきたいと思います。
いまでも、子どもの権利条約は途上国の子どものためにできた条約であり、日本に適用するのは拡大解釈だ、といった誤った考え方が流布し続けています。ユニセフがこの条約の普及啓発に貢献してきたことで、その誤解がますます広がったともいえます。
しかし、この条約の提唱者は、ユニセフではなくポーランドでした。
ポーランドは、子どもの権利条約の提案国(1978年2月7日「決議案」)であり、その審議のたたき台となる条約草案もポーランドが提出(1979年10月5日国連人権局提出)、10年間にわたる審議を仕切った議長もポーランド代表(アダム・ウォバトカ=Adam Lopatka)でした。
議長を務めたウォバトカさんが来日したときに、「条約提案の初心」をうかがうことができました。話を総合すると、ポーランドが子どもの権利条約を提唱した思い、願いは、次の2点に集約することができます。
①条約は戦争・ホロコーストの防波堤
第一は、「第一次世界大戦と第二次世界大戦において、ポーランドの何百万人もの子どもたちが命を失ったり、環境の悪い労働に従事されられたり、医療・教育・文化に対するアクセスを奪われてきたこと」、「ヨーロッパ中から集められてきた何百万人ものユダヤ人の子どもがゲットーで殺されたという事実」をふまえて、「ポーランド政府は、子どもの権利条約が、このようなことが他のところで二度と起こらないようにするための有効な防波堤になると信じた」ことである。
②子どもに対するおとなの態度の変化を促したい
第2は、「条約の草案を提出することによって、ポーランドが子どもに対するおとなの態度の変化を促したいと思った」ことであり、とくに「子どもを単なるケアの客体ではなく権利の主体としてとらえるという考え方を普遍的なものにした」ということであった。
◆ 戦争・災害など人類的危難と子どもの権利「子どもは敵に非ず」
子どもの権利条約の初心は、上記のとおり、子どもの権利を保障することは、戦争や大虐殺など人類的な危機を防ぐことにつながる、という国際認識でした。
その認識は、ポーランドが主張する以前から、第一次世界大戦にまで遡ることができます。子どもの権利国際化の出発は、1924年国際連盟が採択したジュネーブ「子どもの権利宣言」でした。
この宣言採択の功労者であり、セーブ・ザ・チルドレンの創始者とされるのがイグランティン.ジェッブという女性教師でした。
彼女は、第1次世界大戦のときにイギリスの児童救済基金団体で活動し、戦後、敵国ドイツの子どもの救済活動に当たっていました。
彼女の活動は、当時、イギリス国内で敵国を利するとして「非国民」扱いされて攻撃されましたが、劇作家バーナード・ショーが、「子どもは敵に非ず」と訴えて彼女を守ったといわれます。
おとな同士の争いで、敵国だからとして子どもの救済を拒むことは、ゆくゆく人類の存亡にかかわることになる。子どもは敵に非ず、人類の存続の視点で子どもの権利救済が求められてきたのです。
第二次大戦で多くの子どもたちや若者を失ってきたポーランドが戦後、自国の建設のなかで常に「子どもの権利」を訴えてきた歴史的背景をおさえておく必要があります。
かつて日本にも、第二次世界大戦後、連合国の人々の中に「敵国日本の子どもの救援」はけしからん、という声もありましたが、救済されてきたことを想起すべきです。その意味では、いま、地域・自治体で大変残念な動きがあります。
その一つは、朝鮮学校への自治体助成金がカットされている問題です。北朝鮮はけしからん国だ。だから朝鮮学校の生徒への援助をやめよう、という動きが、政府サイド(高校授業料無償の適用除外)だけでなく、東京都、神奈川県、千葉県など自治体にまで広がっています。
子どもの権利条約を批准している日本では、たいへん憂慮すべき事態ですが、少なくともこの条約を活かしたまちづくりを進めている自治体には、その条約の初心、すなわち「子どもは敵に非ず」という初心を受け継いでほしいと思います。
こうした中で、私たちは、2011年11月に「第2回アジア子どもの権利フォーラム」(第1回は2009年ソウル開催)を11の国・地域の参加のもとで開催しました。
東日本大震災の直後でしたが、中国四川の大地震やインドネシアスマトラの地震津波などもあり、災害のなかでこそ子どもの権利を保障することが人類的な課題であるとして、開催を断行し、多くの成果をあげました(詳しくは、荒牧重人・喜多明人・森田明美『子どもの権利アジアと日本』三省堂、2013年12月刊参照)。
今年、第3回アジアフォーラムは、8月にモンゴルで、アジアにおける子どもの権利条約の実現に向けて協議する予定です。
◆ 子どもに対する支配的な観念からの脱却一新「子どもの発見」
いま、日本の子ども・若者の自己肯定感が下がり続けています。それが子ども・若者の能動的な活動意欲、活力を奪う結果となっています。
学ぶ意欲(学力低下問題)、人とかかわろうとする意欲(ニート・引きこもり問題)、生きる意欲、ダメージを受けたときに立ち直ろうとする意欲(青少年自殺の増加)など、その現われは深刻です。
そのような中で、「条約提案の初心」のもう一つの柱が注目されます。日本のおとな社会は、子ども・若者に対する態度、その向き合い方を変えなければならないのではないでしょうか。
「向き合い方」、態度、姿勢の変化を促したいというポーランドの提案の思想的背景には、ヤヌシュ・コルチギックの存在がありました。
彼は、「子どもの権利条約の精神的な父」(ユニセフ)といわれており、「子どもはだんだん人間になるのではない。すでに人間なのだ」と主張し、子どもが生まれながらに持っている人間としての力(生命力・自己形成力)と意思を支えていこうとしました。
子ども自身に力があること、その力への気づきと信頼によって、その子どもの能動的な活動を支えていこうとする活動を、現代では「子ども支援」と呼んでいます。
そこでは、子どもに対して支配してきた伝統的な考え方を打ち砕くことが必要でした。その子どもに対する支配的な考え方とは何か。それは、子どもは発達途上であり、未成熟で、力が備わっていない存在という考え方であり、それが教育、指導の正当性を示してきました。
それに対し、むしろ「発達途上」であることを積極的にとらえて、おとなに対して相対的に区別された発達可能態としての「子ども」の発見が強調されてきました。そうした子ども観そのものを問い直すことが求められてきたのです。
子どもに力があること、その意思を尊重することは、いいかえれば、おとな側が、そのイニシアティブ(主導性)を子どもにわたすことを意味します。
イニシアティブの転換です。具体的には、子どもの意思を尊重して「聴く支援」や、子どもの力を:信頼して「待つ支援」が実践的には課題となっています。(きた あきと)
「子どもと教科書全国ネット21ニュース」94号(2014.2)
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