ひょうたん島研究会・TT(高木@千葉高退教)です。
すべての友人の皆さんへ。
以下の雑文を書いたので、紹介します。
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☆ 勲章の贈り主は誰?
T.T.0685(ひょうたん島研究会)
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今日3/10(月)午後、参議院議員会館で「内閣府要請」が行われ、ぼくも端っこの方で参加した。
タイトルが「戦後80年、3・10東京大空襲の日/カーチス・ルメイ氏への叙勲の取り消し」なので、それだけで要請の趣旨は分かってもらえると思うーーが、それでも要請内容を書かせてもらうとーー。
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│ 1964年日本政府によるカーチス・ルメイ氏への勲一等旭日大綬章叙勲の │
│取り消し │
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このことについて若い内閣府職員の方とやり取りをしたのだが、残念ながら例によって成果と言えるようなものはない。本当ならその成果のないやり取りを再現するべきだろうが、メモをを取れないぼくにはそれはできない。
・・・ということで、そのやり取りを聞きながら夢想家のぼくが思ったことを、雑談的に書く。
やり取りでも触れられていたが、勲章授与は1964年末。
因みにぼくがネットで調べた限りでは、この時の総理は佐藤栄作、外務大臣は椎名悦三郎、総務庁長官は臼井壮一。
今日のやり取りの中で内閣府の若い衆は、「外務省が人選をし、たぶん総務庁が問題なしと認め、内閣が閣議決定した」みたいなことを言っていた。
でも、へそ曲がりのぼくは、これって違うんじゃないかと思う。より正確に言うと、主演級の役者が一人足りない。
今、ネットで調べたら、米軍による北爆開始が翌65年の2月7日らしい。まさに、勲章授与はその2カ月ちょっと前。
佐藤にしてみれば、北爆に直接加担することはできないけど、「北爆頑張れ!」みたいなことが言いたかったのじゃないか。
総理・佐藤の意向なしに椎名がルメイ叙勲で突っ走ったとは、ぼくには思えないのだが・・・。
まあ、いずれにせよ、佐藤は1974年にノーベル平和賞をもらったのだが・・・。
(25/03/10・東京大空襲の日の夜に)
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