「テント村通信」から
◆ 【連載】自国の軍隊~自衛隊になぜ反対するのか?
第6回 世界の反軍=兵役拒否運動
兵役拒否という行為や運動は、近代的な意味での国民の形成や国民軍の成立とともに始まっている。それ以前の段階では、貧しい給養に怒った軍事奴隷や、給与の支払いを求める傭兵の反乱があっただけだ。
ブルジョア革命の後でも、国民軍とはブルジョアの武装であり、プロレタリアの反乱や革命に対抗するものであった。プロレタリアが一九世紀を通じて次第に「国民化」され、文字通りの国民軍が成立する。そのなかでの対立・抗争の現れとして、初めて兵役拒否や反軍の運動が始まる。
従ってそれらは、たとえヒューマニズムや平和主義の立場によるものとしても、軍隊という国家の暴力装置における階級闘争の現れとみる必要がある。例えば戦艦ポチョムキンの水兵反乱があった。それは一九〇五年のロシア革命において、ブルジョア出身の将校たちから指揮権を奪ったのである。
◆ 自衛隊創設時、数千の保安隊員の任官拒否
日本の戦前の事例では、「聳ゆるマスト」というビラを配布し、軍国主義や帝国主義戦争に反対した水兵たちの反軍運動があった(山岸一章『聳ゆるマスト』)。
また戦後、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊の創設に至る過程でいくつも抵抗運動が起こった。
警察予備隊の発足は、朝鮮戦争が勃発した一九五〇年の八月だ。それは旧軍将校五千人余を採用し、米軍から教育と戦車等の供与を受け、「実際には軍隊であった」(GHQ)。それでも国家警祭の支配下にあり、隊員の身分は国家公務員だ。
五二年七月に保安隊に改編される。保安隊法は、航空戦力が欠け、防衛出動(戦争)の規定こそないが、自衛隊法と同じ構成をとる。その二年後には三自衛隊が発足、隊員の身分も特別職国家公務員となった。
この流れに対し、五二年八月に敗訴したとはいえ、社会党は最高裁に警察予備隊の違憲訴訟を起こした。
また自衛隊への改編に当たり、数千の規模で保安隊員の任官拒否があった。なぜなら自衛隊は防衛出動も想定し、同法二九条で隊員に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め」るとの宣誓を求めたからだ。
これらは九条違憲訴訟の先駆けであり、また集団的な「兵役拒否」の行為であった。
その後しばらく兵士の行動は途絶えるが、七〇年安保闘争に際し小西二曹が治安出動に反対して決起、また七二年には「沖縄返還」の攻撃に抗し五人の兵士が立ち上がった。
◆ 軍事国家=イスラエルと韓国における「拒否」運動
海外の事例はどうだろうか。
韓国軍は四六年の南朝鮮国防警備隊に始まり、四八年の南北分断にともない韓国軍となった。米軍主導で進められたことは日本と同じだが、米軍がアメリカから連れ帰った反共主義者の李承晩のもと、旧日本軍出身者がその初期の基幹となった。
朴正功のルポ『顎をあげて空を見なさい』の主役、金東希が徴兵検査を受けたのは六三年だ。それまで彼は足かけ七年、日本に密航して兵役を逃れる。強制送還されたあとも各地で二年間かくれ、良心的兵役拒否を貫く。彼が学んだことは、日韓の国家は「人殺しの兵隊にいやおうなくさせてしまう権力」だという点だ。
朴正煕政権は同年、兵役拒否者を一掃するため恩赦を発表するが、一〇日間で四〇万人以上が名乗り出る。それでも該当者の三割にも満たなかった。韓国人にとって国軍はあくまで「おかみの国」の軍隊であり、人間を「番犬」に仕立て、下級兵士から賄賂をとる組織でしかなかったのだ。
イスラエルは宗教国家である。また中東の覇権国家として軍国主義が社会を支配する。その国で〇一年九月、高校生六二名が徴兵拒否宣言を出した。それに応じ予備役将兵が続々と「勇気ある拒否」声明に署名馬秋の間に千人を突破した。
実はイスラエルで兵役拒否の歴史は長い。七二年の第三次中東戦争後の占領継続に対し、最初の拒否者が出た。八二年レバノン侵攻時には「もうたくさんだ」グループが結成、組織的な拒否とそれへの支援運動がおこった。
背景は、五七年のパレスチナ人虐殺事件に関する「違法な命令への拒否権」、「違法命令に従った場合は刑事罰」という判例だ。〇二年段階で兵役を拒否した将兵は五二九名、高校生の拒否者も二五〇名余に上った(キドロン『イスラエル兵役拒否者からの手紙』)。
◆ 職業軍人化の傾向と下級兵士のかかえる矛盾
六月三〇日の『朝日新聞』が「防衛の前線少子化の影」という記事を載せた。非武装地帯を越えて北朝鮮軍兵士が韓国に投降したのだが、監視カメラでも捕捉されず、哨戒所の窓をノックした。一〇〇か所を超える哨戒所の三割が無人だったのだ。『朝日』は東北アジアの少子高齢化に原因を求め、「アジア成長の限界」シリーズの記事に仕立てた。
各国のエピソードは様々だ。韓国では、金容俊が朴槿惠大統領の首相指名を辞退したが、原因は二人の息子の兵役逃れだった。台湾では徴兵制が破綻、中国では「わがまま兵」が増えている。
これは少子化の影響のみならず、社会・経済的な基盤から、世界的に「嫌軍」の意識がにじみだしている、と考えるべきだろう。
そして自衛隊でも、一〇年来の予算減のせいもあり、前線に立つ任期制の士クラスが八九年比で四分の一にまで減少した。
自衛官の自殺率は一般公務員の一・五倍、イラク帰還兵は一四倍にのぼるという。隊内の厳格な階級支配、戦場のストレスがその原因だ。だが新たな世界環境や任務の要因も大きいだろう。
自衛隊は「国民の自衛隊」たらんとし、国家の領域防衛が任務だった。ところがナショナリズムが無理に煽り立てられ、日米共同作戦や海外派兵が日常化している。
士クラスの切り捨てによって職業軍人化する一方、セクハラの増加を含め、矛盾は下級兵士に押しつけられている。下級兵士のなかで、国民や国家との関係のあり方に「ひずみ」が強まっているのではないか。
グローバリゼーシヨンの中にいる彼らに、私たちは語りかける言葉を変えていかねばならないと思う。
「テント村通信」第426号(2013年8月1日)
◆ 【連載】自国の軍隊~自衛隊になぜ反対するのか?
第6回 世界の反軍=兵役拒否運動
兵役拒否という行為や運動は、近代的な意味での国民の形成や国民軍の成立とともに始まっている。それ以前の段階では、貧しい給養に怒った軍事奴隷や、給与の支払いを求める傭兵の反乱があっただけだ。
ブルジョア革命の後でも、国民軍とはブルジョアの武装であり、プロレタリアの反乱や革命に対抗するものであった。プロレタリアが一九世紀を通じて次第に「国民化」され、文字通りの国民軍が成立する。そのなかでの対立・抗争の現れとして、初めて兵役拒否や反軍の運動が始まる。
従ってそれらは、たとえヒューマニズムや平和主義の立場によるものとしても、軍隊という国家の暴力装置における階級闘争の現れとみる必要がある。例えば戦艦ポチョムキンの水兵反乱があった。それは一九〇五年のロシア革命において、ブルジョア出身の将校たちから指揮権を奪ったのである。
◆ 自衛隊創設時、数千の保安隊員の任官拒否
日本の戦前の事例では、「聳ゆるマスト」というビラを配布し、軍国主義や帝国主義戦争に反対した水兵たちの反軍運動があった(山岸一章『聳ゆるマスト』)。
また戦後、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊の創設に至る過程でいくつも抵抗運動が起こった。
警察予備隊の発足は、朝鮮戦争が勃発した一九五〇年の八月だ。それは旧軍将校五千人余を採用し、米軍から教育と戦車等の供与を受け、「実際には軍隊であった」(GHQ)。それでも国家警祭の支配下にあり、隊員の身分は国家公務員だ。
五二年七月に保安隊に改編される。保安隊法は、航空戦力が欠け、防衛出動(戦争)の規定こそないが、自衛隊法と同じ構成をとる。その二年後には三自衛隊が発足、隊員の身分も特別職国家公務員となった。
この流れに対し、五二年八月に敗訴したとはいえ、社会党は最高裁に警察予備隊の違憲訴訟を起こした。
また自衛隊への改編に当たり、数千の規模で保安隊員の任官拒否があった。なぜなら自衛隊は防衛出動も想定し、同法二九条で隊員に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め」るとの宣誓を求めたからだ。
これらは九条違憲訴訟の先駆けであり、また集団的な「兵役拒否」の行為であった。
その後しばらく兵士の行動は途絶えるが、七〇年安保闘争に際し小西二曹が治安出動に反対して決起、また七二年には「沖縄返還」の攻撃に抗し五人の兵士が立ち上がった。
◆ 軍事国家=イスラエルと韓国における「拒否」運動
海外の事例はどうだろうか。
韓国軍は四六年の南朝鮮国防警備隊に始まり、四八年の南北分断にともない韓国軍となった。米軍主導で進められたことは日本と同じだが、米軍がアメリカから連れ帰った反共主義者の李承晩のもと、旧日本軍出身者がその初期の基幹となった。
朴正功のルポ『顎をあげて空を見なさい』の主役、金東希が徴兵検査を受けたのは六三年だ。それまで彼は足かけ七年、日本に密航して兵役を逃れる。強制送還されたあとも各地で二年間かくれ、良心的兵役拒否を貫く。彼が学んだことは、日韓の国家は「人殺しの兵隊にいやおうなくさせてしまう権力」だという点だ。
朴正煕政権は同年、兵役拒否者を一掃するため恩赦を発表するが、一〇日間で四〇万人以上が名乗り出る。それでも該当者の三割にも満たなかった。韓国人にとって国軍はあくまで「おかみの国」の軍隊であり、人間を「番犬」に仕立て、下級兵士から賄賂をとる組織でしかなかったのだ。
イスラエルは宗教国家である。また中東の覇権国家として軍国主義が社会を支配する。その国で〇一年九月、高校生六二名が徴兵拒否宣言を出した。それに応じ予備役将兵が続々と「勇気ある拒否」声明に署名馬秋の間に千人を突破した。
実はイスラエルで兵役拒否の歴史は長い。七二年の第三次中東戦争後の占領継続に対し、最初の拒否者が出た。八二年レバノン侵攻時には「もうたくさんだ」グループが結成、組織的な拒否とそれへの支援運動がおこった。
背景は、五七年のパレスチナ人虐殺事件に関する「違法な命令への拒否権」、「違法命令に従った場合は刑事罰」という判例だ。〇二年段階で兵役を拒否した将兵は五二九名、高校生の拒否者も二五〇名余に上った(キドロン『イスラエル兵役拒否者からの手紙』)。
◆ 職業軍人化の傾向と下級兵士のかかえる矛盾
六月三〇日の『朝日新聞』が「防衛の前線少子化の影」という記事を載せた。非武装地帯を越えて北朝鮮軍兵士が韓国に投降したのだが、監視カメラでも捕捉されず、哨戒所の窓をノックした。一〇〇か所を超える哨戒所の三割が無人だったのだ。『朝日』は東北アジアの少子高齢化に原因を求め、「アジア成長の限界」シリーズの記事に仕立てた。
各国のエピソードは様々だ。韓国では、金容俊が朴槿惠大統領の首相指名を辞退したが、原因は二人の息子の兵役逃れだった。台湾では徴兵制が破綻、中国では「わがまま兵」が増えている。
これは少子化の影響のみならず、社会・経済的な基盤から、世界的に「嫌軍」の意識がにじみだしている、と考えるべきだろう。
そして自衛隊でも、一〇年来の予算減のせいもあり、前線に立つ任期制の士クラスが八九年比で四分の一にまで減少した。
自衛官の自殺率は一般公務員の一・五倍、イラク帰還兵は一四倍にのぼるという。隊内の厳格な階級支配、戦場のストレスがその原因だ。だが新たな世界環境や任務の要因も大きいだろう。
自衛隊は「国民の自衛隊」たらんとし、国家の領域防衛が任務だった。ところがナショナリズムが無理に煽り立てられ、日米共同作戦や海外派兵が日常化している。
士クラスの切り捨てによって職業軍人化する一方、セクハラの増加を含め、矛盾は下級兵士に押しつけられている。下級兵士のなかで、国民や国家との関係のあり方に「ひずみ」が強まっているのではないか。
グローバリゼーシヨンの中にいる彼らに、私たちは語りかける言葉を変えていかねばならないと思う。
「テント村通信」第426号(2013年8月1日)
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