《尾形修一の教員免許更新制反対日記から》
◆ 大阪の「学テ結果入試利用」を批判する
4月21日に、今年も全国学力テストが行われた。さまざまな弊害があると思うのだが、未だに実施されている。教育現場の力が落ちていると同時に、「学テ」という形で地域の学力差を測らざるを得ないほど地域格差が大きくなってしまった時代相を反映しているのだろう。今年は初めて理科が全校で実施され、小学6年と中学3年で、国語、数学(算数)、理科の3教科が行われた。
ところで、今回の学力テストに関しては、大阪府が学テの結果を高校入試に使うという不可思議な方針を打ち出している。そのことを新聞記事で知った時には、いやあ、さすがだと思ってしまった。さすがに、維新支配下の大阪府教委、やることのおバカ度が抜群であるという意味である。そのことを知らない人もいると思うので、まず解説したうえで、その方針の間違いぶりを批判しておきたい。
新聞記事を見てみると、その方針はこんなものである。
「全国学力テストで、学校ごとの平均正答率を府全体の平均正答率と比較し、府教委が学校間の成績の差に応じて各校の内申点の平均値の範囲を決定。学校はその範囲内に生徒全体の平均値が収まるように個々の生徒の内申点をつける。これにより学校間の成績の差を考慮するという。」
そのような「操作」を行う理由は、以下のように評価方法を改めるためである。
「府教委は、来春の高校入試から内申点の評価方法を校内の他の生徒との比較を元にした「相対評価」(10段階)から生徒ごとの目標達成度をみる「絶対評価」(5段階)に切り替えるため、学校ごとに評価の仕方に差が出るとの懸念が出されていた。」
大阪府教委のホームページを見ると、「平成28年度大阪府公立高等学校入学者選抜における調査書の評定の取扱いについて」という文書が掲載されている。その中にある「調査書における目標に準拠した評価(いわゆる絶対評価)について」を見ると、具体的なことが載っている。
それによると、例えば府全体の正答率が60.0%であるとして、A校は57.0%、B校は63.0%だったとする。そうすると、府全体を「1」とするときに、A校は「0.95」、B校は「1.05」の比較差が生じる。
それに応じて、府全体の評定平均の目安が3.22であるとして、A校では「3.06」、B校は「3.38」を評定平均の目安とするというのである。
それに応じて、評定平均はA校は「2.76~3.36」、B校は「3.08~3.68」とする。
一読、一体これは何なんだろうかと思った。幾つもの論点があるが、まずは「学力テスト」の実施目的にそぐわないということである。文部科学省も、現時点では「懸念が十分解消されるか、引き続き協議する」と言っているようだ(下村文科相の記者会見発言)。
テストを行えば、順位が生じる。当たり前である。普通はそのために、つまり順番をつけるために、試験とか試合とかを実施する。でも、そのために「学校そのものの学力差」を順位付けすると、さまざまな弊害が生じる。本来、学テの目的というのは、学習状況の実態把握、成果と課題を検証し、改善につなげるということである。文科省のタテマエではそうなっている。
しかし、それを「競争」に利用した政治家が各地にかなりいた。だけど、日本では政治家などもともとあまり信用されていない。それに対して、「教育委員会」そのものがルール違反を公然と行うこととは、大きな違いがあるのではないか。まあ、教育委員会制度も変えられてしまった今では、言うのも空しいのかもしれないが。
続いて、「学力テスト」そのものの問題である。学力テストは4月に行う。よって、実質的には「中学2年時の到達度を見る」ことになる。進路決定に使う評定は、3学期制なら2学期の成績である。夏休みまでは部活動を行い、夏休みから受験勉強に必死に取り組むというのが、部活動によって違いはあるものの、多くの運動部の生徒の生活である。まあ、数学や英語は急に伸びるものでもないけれど、それでも夏以後に本気を出して急速に学力を上げる生徒は毎年いるはずである。でも、こういう制度が実施されると、高校受験に中学2年時の学力が大影響を与えるではないか。2年の時には、「学力テスト向けの対策を実施する」ということが、学校全体の最大の教育活動になってしまうだろう。
また、調査書(内申書)をなぜ入学試験に利用するのかを考えてみれば、当日一発だと風邪を引いていたりすると不利だということもあるが、第一の理由は平常の学習活動を評価する、特に入学試験を行わない実技教科の成績を評価するということだろう。だから、試験を行わない教科の評定を1.3倍にするなどの措置を取ることが多い。また、そうでなければ、実技教科の授業にマジメに取り組まない生徒が出てくるのも避けられないのだろう。
一方、府教委の方針だと、その辺りは何も触れていないから、国語や数学の成績を他校と比較して、体育や美術の評定も操作されるのだろうか。テストで測れる学力には限界があるわけだが、その中でも国語や数学(今年は理科も)のテストだけで、学校の評定範囲を決めてしまおうというのである。英語や社会の成績は、国語や数学に連動するのか。
さらに、学校全体の評定平均を学力テストの平均点で決めてしまうという問題。
府教委の例でいうと、ある学校の正答率が63%、もう一つの学校が57%だというが、90点以上を取るような優秀な生徒がどっちに多いのかは実は判らない。下の方の生徒が多ければ、学力が高い生徒がいても相殺されて平均点は下がる。だから、学力が低い生徒でも、学校に居場所があり毎日来ていれば、その結果学校全体の評定を下げてしまうのである。学力の低い生徒が学力テストに参加すれば、学力の高い友人の足を引っ張ってしまう。どう考えても、明言するわけではなくても「無理してこなくていいよ」というムードが校内、地域内に満ちてしまうだろう。「イジメのない学校」ほど不利になるという不可思議な仕組みである。(大人のホンネを反映しているだけかもしれないが。)
入学試験というのは、やり方はいろいろあれど、ベースは個人戦のはずである。だけど、大阪では今後「学テ団体戦」というのが登場することになる。
そのような問題がすぐに思いつくのだが、一番根本的な問題は、これでは絶対評価ではないということである。
絶対評価というのは、生徒一人ひとりの学習到達度を基準に照らして評価するというもののはずである。だけど、他校と比べて、学力テストの成績で評定を調整する。この「他校と比べて」というのが、つまり「相対評価」なのである。他校の成績と比べることなく、日常の学習活動を丁寧に見ていくことでしか、絶対評価というものはできない。
大阪の公立学校教員は、(形の上では義務制は市町村教委の管轄で、また政令指定都市は独自の教員採用をしているかもしれないけど)、広い意味では「大阪府教委の部下」ではないか。その教員が付ける評定が信用できないというのだったら、そもそも絶対評価に変更することそのものが間違っているのではないか。
絶対評価に変更するに当たっては、当然評価基準をどうするかを府全体で、また校内で研修を積んで行くはずである。それでうまくいくのか、いかないのか。別にこんな変な操作をしなくても大丈夫なように研修していくことがまず大事な時期なのではないか。この「相対評価」と「絶対評価」という問題は、もっと大きな問題につながっているので、もう一回書いておきたい。
『大阪の「学テ結果入試利用」を批判する』(2015年04月30日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/a60266c2949afd601810249cb11f3231
◆ 大阪の「学テ結果入試利用」を批判する
4月21日に、今年も全国学力テストが行われた。さまざまな弊害があると思うのだが、未だに実施されている。教育現場の力が落ちていると同時に、「学テ」という形で地域の学力差を測らざるを得ないほど地域格差が大きくなってしまった時代相を反映しているのだろう。今年は初めて理科が全校で実施され、小学6年と中学3年で、国語、数学(算数)、理科の3教科が行われた。
ところで、今回の学力テストに関しては、大阪府が学テの結果を高校入試に使うという不可思議な方針を打ち出している。そのことを新聞記事で知った時には、いやあ、さすがだと思ってしまった。さすがに、維新支配下の大阪府教委、やることのおバカ度が抜群であるという意味である。そのことを知らない人もいると思うので、まず解説したうえで、その方針の間違いぶりを批判しておきたい。
新聞記事を見てみると、その方針はこんなものである。
「全国学力テストで、学校ごとの平均正答率を府全体の平均正答率と比較し、府教委が学校間の成績の差に応じて各校の内申点の平均値の範囲を決定。学校はその範囲内に生徒全体の平均値が収まるように個々の生徒の内申点をつける。これにより学校間の成績の差を考慮するという。」
そのような「操作」を行う理由は、以下のように評価方法を改めるためである。
「府教委は、来春の高校入試から内申点の評価方法を校内の他の生徒との比較を元にした「相対評価」(10段階)から生徒ごとの目標達成度をみる「絶対評価」(5段階)に切り替えるため、学校ごとに評価の仕方に差が出るとの懸念が出されていた。」
大阪府教委のホームページを見ると、「平成28年度大阪府公立高等学校入学者選抜における調査書の評定の取扱いについて」という文書が掲載されている。その中にある「調査書における目標に準拠した評価(いわゆる絶対評価)について」を見ると、具体的なことが載っている。
それによると、例えば府全体の正答率が60.0%であるとして、A校は57.0%、B校は63.0%だったとする。そうすると、府全体を「1」とするときに、A校は「0.95」、B校は「1.05」の比較差が生じる。
それに応じて、府全体の評定平均の目安が3.22であるとして、A校では「3.06」、B校は「3.38」を評定平均の目安とするというのである。
それに応じて、評定平均はA校は「2.76~3.36」、B校は「3.08~3.68」とする。
一読、一体これは何なんだろうかと思った。幾つもの論点があるが、まずは「学力テスト」の実施目的にそぐわないということである。文部科学省も、現時点では「懸念が十分解消されるか、引き続き協議する」と言っているようだ(下村文科相の記者会見発言)。
テストを行えば、順位が生じる。当たり前である。普通はそのために、つまり順番をつけるために、試験とか試合とかを実施する。でも、そのために「学校そのものの学力差」を順位付けすると、さまざまな弊害が生じる。本来、学テの目的というのは、学習状況の実態把握、成果と課題を検証し、改善につなげるということである。文科省のタテマエではそうなっている。
しかし、それを「競争」に利用した政治家が各地にかなりいた。だけど、日本では政治家などもともとあまり信用されていない。それに対して、「教育委員会」そのものがルール違反を公然と行うこととは、大きな違いがあるのではないか。まあ、教育委員会制度も変えられてしまった今では、言うのも空しいのかもしれないが。
続いて、「学力テスト」そのものの問題である。学力テストは4月に行う。よって、実質的には「中学2年時の到達度を見る」ことになる。進路決定に使う評定は、3学期制なら2学期の成績である。夏休みまでは部活動を行い、夏休みから受験勉強に必死に取り組むというのが、部活動によって違いはあるものの、多くの運動部の生徒の生活である。まあ、数学や英語は急に伸びるものでもないけれど、それでも夏以後に本気を出して急速に学力を上げる生徒は毎年いるはずである。でも、こういう制度が実施されると、高校受験に中学2年時の学力が大影響を与えるではないか。2年の時には、「学力テスト向けの対策を実施する」ということが、学校全体の最大の教育活動になってしまうだろう。
また、調査書(内申書)をなぜ入学試験に利用するのかを考えてみれば、当日一発だと風邪を引いていたりすると不利だということもあるが、第一の理由は平常の学習活動を評価する、特に入学試験を行わない実技教科の成績を評価するということだろう。だから、試験を行わない教科の評定を1.3倍にするなどの措置を取ることが多い。また、そうでなければ、実技教科の授業にマジメに取り組まない生徒が出てくるのも避けられないのだろう。
一方、府教委の方針だと、その辺りは何も触れていないから、国語や数学の成績を他校と比較して、体育や美術の評定も操作されるのだろうか。テストで測れる学力には限界があるわけだが、その中でも国語や数学(今年は理科も)のテストだけで、学校の評定範囲を決めてしまおうというのである。英語や社会の成績は、国語や数学に連動するのか。
さらに、学校全体の評定平均を学力テストの平均点で決めてしまうという問題。
府教委の例でいうと、ある学校の正答率が63%、もう一つの学校が57%だというが、90点以上を取るような優秀な生徒がどっちに多いのかは実は判らない。下の方の生徒が多ければ、学力が高い生徒がいても相殺されて平均点は下がる。だから、学力が低い生徒でも、学校に居場所があり毎日来ていれば、その結果学校全体の評定を下げてしまうのである。学力の低い生徒が学力テストに参加すれば、学力の高い友人の足を引っ張ってしまう。どう考えても、明言するわけではなくても「無理してこなくていいよ」というムードが校内、地域内に満ちてしまうだろう。「イジメのない学校」ほど不利になるという不可思議な仕組みである。(大人のホンネを反映しているだけかもしれないが。)
入学試験というのは、やり方はいろいろあれど、ベースは個人戦のはずである。だけど、大阪では今後「学テ団体戦」というのが登場することになる。
そのような問題がすぐに思いつくのだが、一番根本的な問題は、これでは絶対評価ではないということである。
絶対評価というのは、生徒一人ひとりの学習到達度を基準に照らして評価するというもののはずである。だけど、他校と比べて、学力テストの成績で評定を調整する。この「他校と比べて」というのが、つまり「相対評価」なのである。他校の成績と比べることなく、日常の学習活動を丁寧に見ていくことでしか、絶対評価というものはできない。
大阪の公立学校教員は、(形の上では義務制は市町村教委の管轄で、また政令指定都市は独自の教員採用をしているかもしれないけど)、広い意味では「大阪府教委の部下」ではないか。その教員が付ける評定が信用できないというのだったら、そもそも絶対評価に変更することそのものが間違っているのではないか。
絶対評価に変更するに当たっては、当然評価基準をどうするかを府全体で、また校内で研修を積んで行くはずである。それでうまくいくのか、いかないのか。別にこんな変な操作をしなくても大丈夫なように研修していくことがまず大事な時期なのではないか。この「相対評価」と「絶対評価」という問題は、もっと大きな問題につながっているので、もう一回書いておきたい。
『大阪の「学テ結果入試利用」を批判する』(2015年04月30日)
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