《リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)から》
◆ 東京「君が代」裁判 五次訴訟報告
被処分者の会 鈴木 毅
◆ これまでの主張を総括する弁論に
昨年12月25日に第12回口頭弁論が行われました。昨年、3人の裁判官のうち右陪席裁判官と裁判長が立て続けに交代したこともあり、今回の法廷では原告側が更新弁論を行うこととなり、これまでの裁判の重要な争点について整理した説明がなされるということで、午前中の期日設定にもかかわらず傍聴席は満席、法廷に入れない方が十名以上も出るほどの方々が駆けつけて下さいました。
今回の更新弁論は、原告1名と代理人4名が全体で40分程度陳述するという手厚いものとなっただけでなく、陳述の際にパワーポイントを使い、モニターに主張の要点や画像を示しながら進める、いわゆるプレゼンテーションのような形式で進められました。
開廷後、被告側、原告側双方の提出の書面の確認をしたのち、更新弁論に移り、最初に原告の大能清子さん、その後を平松弁護士、雪竹弁護士、山本弁護士、金井弁護士と意見陳述が続きました。以下、その概要を紹介いたします。
◆ 原告・大能清子さんの陳述内容(要約)
9月に、ある集会の会場で、在日4世の都立高校生に話しかけられ、「国歌斉唱時は起立したくなかったが、周りがみんな立っているので座れなかった」と言われた。
同調圧力の強い社会の中で彼女のような生徒が孤立させられることを改めて思い知るとともに、通達発出前の都立高校ならば卒業式は生徒と教員がつくり上げていく行事だったから、こうした問題は起こらなかったとも思った。
しかし通達発出後の都立高校では、教員が話し合って決める権限を奪われ、都教委の方針、校長の決定をそのまま実行し、上司の意向を付度して仕事をすすめる場になってしまった。このような状況である今こそ、裁判所による人権の救済が求められている。
◆ 平松弁護士の陳述内容(要約)
最高裁判決は減給以上の処分の取消にとどまるが、戒告処分は判決当時の状況を前提にして「まだなお違法とまではいえない」と判断したことに留意すべきだ。
また、判決には多数の個別意見が付されたが、都教委は各個別意見が寛容の精神及び相互の理解を求めたことへの配慮は一切行わず、教職員に対する圧力を一層強め、不利益処分を科して不起立教員を根絶することに固執してきた。
本件訴訟では最高裁判決の多数意見の判断、結論に漫然と従ってはならない。再発防止研修を強化して精神的自由に対する制約を強め、各懲戒処分の内容を加重している事実を正確に認識した上で判断されなければならず、都教委による「不当な支配」が教基法16条違反にあたるか否かも判断されなければならない。
最高裁判決は「秩序維持」という多数派の抽象的な利益を個人の人権を凌駕する優越価値と認め、思想・良心の自由の制約を合理化しているが、その「秩序」とは国旗国歌への敬意表明の場としての学校儀式の整然性だ。
このような価値判断は不正常な憲法感覚にもとつくもので、人権感覚が欠如している。
社会の多数派が少数者の人権を蔑ろにしようというとき、敢然と少数者の側に立って人権を擁護すべきが司法の役割だ。最高裁判決の多数意見のみに漫然と従うのではなく、真っ当な人権感覚をもつての的確な審理、訴訟指揮を求める。
◆ 雪竹弁護士の陳述(要約)
10・23通達の発出は異常なものだった。1990年代後半からの都教委の指導強化で、2001年度には都立学校における国旗・国歌の実施が100%となっていたが、2003年、石原都知事の2選直後に対策本部が設置されると3か月後にはこの通達が発出され、通達に付随した実施指針は、式次第の文言から会場内の演台や旗、座席の位置まで詳細に定めたものを都内全学校に一律に強制するものだった。
そして校長らに対し、職務命令の発出方法、不起立者の現認方法、現認後の流れまでを事細かに指示し、式当日には全校に都教委職員を派遣。副校長に不起立の教員を「現認」させ、都教委職員が事実確認に立ち会うという監視体制が組まれた。よってこの通達は学校における卒業式・入学式を一変させ、その教育的意義を変質させた(ここで多摩養護学校高等部の例を画像を用いて説明)。
通達後、卒業式は「国旗掲揚、国歌斉唱式」「教員を職務命令に従わせ、従わない職員を処分するための式」に変容したのだ。
2003年11月の校長連絡会で、近藤指導部長は「まず形から入り、形に心を入れればよい。形式的であっても、立てば一歩前進である」発言。「国旗に向かって起立し国歌を斉唱するという形」を、教職員、生徒にすり込ませ、後に「心」を入れる。その「心」とは、国旗国歌が象徴する「国」に対する敬意や尊敬の念、そして「愛国心」であることは明らかだ。この通達の本質的問題点を注視してご判断いただきたい。
◆ 山本弁護士の陳述(要約)
日本政府は2014年と2022年に自由権規約委員会からの勧告と、2019年と2022年にILO/ユネスコ共同専門家委員会(セアート)から勧告を直接受けたが、2014年から9年間、無視し続けている。
被告らは、憲法が条約より優位にあることを理由に「憲法に違反しなければ条約にも違反しない」と主張するが、憲法と条約はその構造が異なり、条約解釈のための判断枠組みが必要だ。条約の人権保障範囲が憲法よりも広い場合は、条約による人権保障がされるが、自由権規約委員会の2022年勧告はこのことを明確にしている(スライドの図表で説明)。
さらに被告らは「勧告や一般的意見には法的拘束力がないから従う必要がない」と主張するが、条約の解釈には国際機関の解釈を参照すべきルールがある。
憲法も、国際協調主義、条約の誠実遵守義務などの形で条約解釈の制限を定めているため国際機関の解釈が参照されなければならない(戸田教授の意見書参照)。よって、国際機関から重要な勧告が出ている事実を踏まえた憲法・法令の解釈がされなければならない。
勧告は「本件処分に合理性がない」ことを明らかにし、「対話による解決をすべき」としており、本件処分は違憲無効となる。また起立斉唱行為の強制は、国際機関の解釈では思想良心を直ちに制約するものであり、例外的に制約が許されるか否かについては「厳格な審査基準」が必要であるとするから本件は違憲無効となる。
近時の最高裁は、国際機関から勧告などが出ている事実を重視する傾向にある。本件も国際機関からの勧告を踏まえた判断がされるべきである。
◆ 金井弁護士の陳述(要約)
2012年1月16日最高裁は、戒告処分は「違法の問題を生ずるとまではいい難い」と判示したが、その後の状況いかんにかかわらず違法にはなりえないとしたものでもない。 この判決後、
①複数の国連機関から国歌起立斉唱の強制について是正勧告受けたこと、
②戒告処分の不利益が加重されていること、
③再発防止研修が強化されていること
に注目すべきである。
なお、原告らの職務命令違反、不起立によって卒業式等の円滑な進行が妨げられたことはない。
国際基準に照らせば、職務中であっても、起立斉唱命令に従わないことが人権として保障される。日本国内では人権侵害にあたらないということはないはずで、戒告処分といえども、不利益の重い懲戒処分を科すことは、裁量権の逸脱・濫用にあたり許されない。
本訴で取消請求している懲戒処分のうち16件は、減給処分が取消された後、再び戒告処分を受けたものだ。
この戒告処分は、原処分当時より昇給の延伸や勤勉手当の削減による不利益が加重されている。再処分の原因は、都教委が違法な処分を行ったことにあり、原処分当時の不利益を越える不利益をもたらす処分をすることは許されない。また、再処分された原告らは、減給処分を受けた時に戒告処分より過重な再発防止研修を受けさせられるなど、経済的不利益とは別の重い不利益を被ったが、これについては何も回復されていない。
よってこの再処分は許されず、裁量権の逸脱・濫用にあたることは明らかだ。
◎次回弁論のお知らせ
第13回口頭弁諭3月4日(月)11時~12時 東京地裁631号法廷(傍聴は先着順)
『リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース) 73号』(2024年1月31日)
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