《リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)から》
◆ 第15回弁論・原告証人尋問を終えて
審理担当 鈴木 毅
7月18日の弁論では以下の6名の原告に対する尋問が行われました。
午前午後にそれぞれ3名ずつ、昼休みを挟んで尋問が行われましたが、いずれも満員の傍聴席を背景に、思いのこもった証言が語られました。
以下、尋問順に原告本人に書いていただいた報告・感想を紹介いたします。
①原告・今田和歌子(元東大和高校教員)
卒業式・入学式は生徒にとってはもちろんのこと、保護者、教職員にとっても本来喜びあふれる行事です。学校ごとに生徒の意見も反映させ、生徒の自主的活動も入れた生徒が主人公の式を行うのが本来の姿です。
しかし、通達後は型通りの厳粛な式が強制され、通達後最初の卒業式では、具合の悪い生徒の側に教員が付くことも「席の移動は国歌斉唱が終わってからにしてください」と認められませんでした。
生徒は式の主人公であるどころか、具合が悪い生徒への配慮でさえ「国歌斉唱」の後回しにされました。
学校は違う意見、様々な考え方があってもお互いに尊重し、許容し合える場、個々人が尊重される場であってほしいと思います。そのような場に「君が代」強制はなじみません。
10・23通達以降学校は生徒にとっても教職員にとっても息苦しい場になっていきました。都教委は処分を振りかざして脅すことによって教職員を従わせること、「日の丸・君が代」強制に従わない者を徹底して排除することをやめるべきです。
「君が代」の強制は校務分掌に特に影響が出ています。
担任を決めるにあたって、「国歌斉唱」時に起立できるかどうかが最優先される状況は、担任の仕事や学校の運営上、何を優先すべきかの判断が「君が代」強制によって狂わされているということです。
再処分はあまりにも苛酷な処分だと思います。
何年もかかった裁判で減給処分が取り消された喜びもつかの間、新たに戒告処分となりました。減らされた給料は返ってきましたが、減給処分者だけが受ける再発防止研修の専門研修という大きな負担は解消されることなく、しかも新たに戒告処分を受けたことに伴う長期勤続休暇が延期されるという不利益が追加されました。
減給処分時の再発防止研修を授業のない日に変更してほしいと要望した際に、都教委からの回答が「授業は変更の対象にならない」であったのには本当に驚き、あきれました。 日程調整をしようともせず研修を優先するようにと言う都教委の授業軽視、生徒の不利益への無関心には思い出すと今でも怒りがわいてきます。
都教委側の反対尋問の中心は学習指導要領に従わないのかということだったと思います。尋問の前に学習指導要領を読み返してみて、学習指導要領には問題がありますが、都教委の「君が代」強制は学習指導要領の記述をはるかに超えるものだと思いました。
②原告・大能清子(元葛西南高校定時制教員)
本人尋問を受けるのは今回で三回目だった。一次訴訟のときは不起立の理由を話そうとすると体調が悪くなり、法廷に辿り着けるのか危ぶんだ。四次のときはもう話したくなかった。
でも、この裁判では不起立の理由を語ることは不可欠だ。今回も、大学を出てすぐに勤めた私学で生徒たちに「日の丸・君が代」を強制していた(させられていた)当時のことを話そうとすると冷静ではいられず、途中で言葉が出なくなった。
そんな私が訴えたかったのは、自分の思想・信条ではない。生徒、つまり成長過程にあって自分の考え方を形成している途中にある子どもの立場だ。
子どもは親の強い影響の下にいて、思想であれ信仰であれ自由には選べないということ。さらに在日など海外にルーツを持つ生徒は、祖父母から続く歴史を背負っていること。だからこそ、とりわけ学校という場では「日の丸・君が代」を強制してはならない、それこそが私の不起立の理由なのだ。
ところが反対尋問を受けて驚いた。
日く、「あなたは自身の世界観・歴史観に基づいて不起立をしたのか」。
曰く、「『君が代』を歌いたくない生徒にも、オリンピックの話をすれば気持ちが変わるのではないか」。
(はっ!?)である。都側の弁護士に「私の話を聞いていましたか」と訊きたかったが、証人は質問ができない。
最後は「学習指導要領に書かれているが、生徒にどう指導したのか」。
「予行で指導する」と答えると、「ヨコウとは?」と聞き返され絶句した。
やむなく「予行」という単語の意味を説明すると、今度は「あなたは予行の最中に、生徒に『君が代』を歌うように言っているということか」。
もう笑うしかない。各担任が予行の最中に口々に「『君が代』を歌いなさい」と言い出したら、予行ができないではないか。
「では予行の前に指導するのか」。
予行の前、卒業生は登校しないし、その前は卒業考査があって試験勉強に専念させるものだ。
「では」「では」「では」と質問は続いた。都側の弁護士の考えどおりにしなければ処分だというのなら、都立高校の教員を全員処分しなくてはならないではないか。
③原告・山ロ美紀(武蔵丘高校教員)
都側の反対尋問で「それで結局あなたの『内心』って何なのですか?」と問われた原告の方が、「『内心』は内に秘して外に見せないから内心なのだ。だから言わない」と答えたのを聞いて、全くその通りだと思った。
思想や信条、良心や信仰といった『内心』は軽々に問うたり、それに応えてペラペラ述べたりするものではない。
しかし私の場合は、担当の澤藤弁護士から「職務命令違反の理由が信仰である原告は、今回はあなただけだから、それについて聞きます」と言われていて、どうしても裁判官に自分の信仰について語らなければならなかった。私はその任には全くふさわしくない者なのに。
これは謙遜でもなんでもない事実で、いつぞや教会の会報に「私は最弱の信徒」という小文が載ったこともあるほどだ。それでも確かに今回、クリスチャンの原告は私だけだ。
あまり知られていないが、これまでのすべての訴訟にクリスチャンの原告がいたし、裁判という手段に訴えることをせず、甘んじて処分を受けたクリスチャン教員、また信仰を守って早期退職や、採用試験合格後に任用辞退を選択した方がいる。このままではクリスチャンは都立高の教壇に立てなくなるかもしれない。
少数者に踏み絵を強いる職務命令は教育現場をゆがめ、社会を変質させていく。クリスチャンは神の権威のみに服し、その愚直さゆえに職務命令に従うことができない。このことを証しするのは、最弱でも、はしくれでも私しかいないのだ。
そう思っても、紙のように薄く、藁のように弱い信仰しか持ち合わせていない私が、信仰的な事柄を「説明」するなど、ほとんど偽証ではないかと苦しかった。
やっと1学期の成績点票を出し、さあここからという11日にコロナ陽性になった。自分の力でなんとかしようとあがいていたが万事休す、もう祈るしかない。
担当弁護士の澤藤先生はぎりぎりまでもっとかみ合った尋問になるように、問いを工夫してくださったが、私にはそれに応える余裕がなく、不自然でも邪道でもとにかく「全部言う」ために丸暗記にこだわった。
尋問の最後には全く準備していなかった裁判長からの問いもあったが、すべて私ではなく、私を用いた方に導かれて答えることができたと思う。
当日まで私よりも祈ってくださった方、また元同僚や地域の知人、友人、びっくりするほど多くの傍聴の方々に感謝を申し上げたい。
④原告・川村佐和(元美原高校教員)
原告本人尋問は3回目なので、「今回はもう話すことがない」と初めは思っていたのですが、今年の4月に時間講師不合格という新たな攻撃を受けてしまったおかげで、尋問でこの被害を訴えたい、なんとしても戒告処分を取り消してもらいたいと、尋問に向けて強い思いを持つことができました。
初任校での職員会議の様子、10・23通達発出直後の周年行事での出来事、10年間の担任外しなどの後、今も続く都教委の攻撃について話しました。
再任用の任用打ち切り、臨時的任用教員不合格、さらに今年になって時間講師までも不合格と、国歌斉唱時に起立できない教員を徹底的に都立高校の現場から排除しようとする都教委の執拗な攻撃が裁判官に伝わるようにと尋問を組み立てました。
尋問で伝えきれないといけないので、間際に追加の陳述書を作成して裁判所に提出しました。
「この人を学校現場から排除するなんてひどい」と裁判官に思ってもらうことを目標に、料理しながら、掃除しながら、電車に乗りながらと、あらゆる時間を使って準備を進めました。
訴えたいという思いが今までで一番強くて、入念に準備したせいか、当日法廷に立ったら、すっきりと澄み切った気持ちになり、どんどん言葉が出てきました。
なぜか私の時だけ、被告側の弁護士が優しくて(?)、絶対に聞かれると思った学習指導要領のことや最高裁判決のことは何も触れず、
「10・23通達は戦争への道につながっていると思うからというのも、10・23通達に従えない理由ということでいいですね」
「10・23通達が戦争への道につながっているとはどういうことでしょうか」
と、まるで主尋問のような質問をしてくれました。私は思わず「それは時間がなくてお話しできなかったことなので、質問してくれて、ありがとうございました」と言ってしまいました。
多くの元同僚が傍聴に駆けつけてくれました。
新採の時勤務していた高校で事務室にいらした方(当時は高校を卒業したばかりでした)は「当時の職員室の雰囲気を思い出しました」と話していました。
前任校の卒業生も仕事を休んで来てくれ、「こんなことがあったなんて全然知らなかった。都教委はひどい」と言っていました。
彼女が生徒だった時には話す機会がなかったことを伝えることができたのは、尋問があったからです。多くの方に支えられていることに感謝しています。
⑤原告・秋田清(元太田桜台高校教員)
僕の不起立は二回だけで、その後は二回起立してしまっている。二度目の不起立で受けた減給が取り消されて再処分になったが、すぐに退職したため、経済的な実損はない。
そんな僕が証人になっても、「薄味」の尋問になってしまうんじゃないかと危惧していたが、いろいろな立場からの証言があっていいのだと思い直した。
心ならずも起立してしまった経験を話している時に、当時の苦しさが蘇って言葉にならなくなってしまった。立っても立たなくても辛いのだということが、結果的にうまく表現できたのかなと思っている。
担当の平松弁護士からは、事情聴取の際に弁明の機会が適切に与えられていなかったことがわかるようにしたいと言われていた。
改めて当時を思い出してみると、「なぜ不起立を選択したのか」ということを、都教委側から問われたことは一度もないのである。
他にも、年休を取ってまで駆けつけてくれた同僚の立ち合いが認められなかったこと、メモを取ることも許されなかったこと等、二十年も前のことが生々しくよみがえってきた。
改めて、僕の人生は10・23通達によって、大きく狂わされてしまったのだと思った。
尋問の最後で裁判長から、具体的な被害として追加したいことがあるか問われ、「実損はなく、回復したいのは名誉だけ」と答えてしまったのだが、もっと自分の苦しみを言語化できれば良かったかもしれない。せっかくのチャンスだったのに惜しいことをした。
反対尋問では、日の丸・君が代への思いを聞かれると予想していたのだが、そうではなく、「起立できない理由となった『内心』とはどんなものか」と問われた。
「それを聞くか?」と驚き、「内心については答えられない」と言った。
「内心」の自由は「沈黙」の自由でもある。「口外できるくらいなら内心ではない」ということが言いたかったのだが、裁判官に伝わっただろうか。
初めての証人喚問で、最初は緊張していたのだが、ほぐれてくると饒舌になってしまい、予定していなかったことまで話してしまつた。おかげで時間がタイトになり、平松弁護士には迷惑をかけてしまった。すいませんでした。
⑥原告・山藤たまき(蒲田高校教員)
他の人は再処分や雇い止めなどいろいろあるけど、私は戒告処分だけだから証人尋問はないと思っていました。「えっやるのー!?」というところからのスタートだったので、エンジンがかかるのに時間がかかりました。
最初は白井弁護士にいろいろ聞かれても思い出せず、ちゃらんぽらんな答えしか言えませんでした。それでも、原告がしゃべりにくいのはこっち(弁護士)の責任、質問が悪いから、と質問を変えてあれこれ工夫していただきました。
さらに、今回は生徒を立たせてしまった起立から不起立を決めるまでの10年間に焦点をあてたい、との提案がありました。
そこで10年間何考えていたか思い出す作業をしました。10年間の前半と後半は違っていたなあ。きっかけもあったなあ。
癌で亡くなった生徒の事を思い出したのが尋問の4日前。最終打合せになんとか間に合いました。ホッ。
直前に都側から昇給に関して追加書証が提出されて、どんな反対尋問がくるのかと思っていましたが、結果として戒告処分の昇給号数が、処分と業績評価のダブルで減給されていることが浮き彫りにされてよかったです。
とにかく、無事終わった。当日傍聴席もほぼ埋まっていて、背中で熱い応援を感じていました。有難かったです。ありがとうございました。
『リベルテ(東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース) 76号』(2024年10月30日)
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