★ 『はだしのゲン』削除に対するとりくみ (教科書ネット21)
教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま 岸 直人(きしなおと)
★ 広島市教委が「ひろしま平和ノート」から『はだしのゲン』を削除した問題
『はだしのゲン』は、子どもたちがゲンの言動に自分自身を重ねて、戦争や原爆被害の実相や戦争の不条理さを学ぶことができる優れた平和教材である。
特に、作者中沢啓治さんの解説や、作品論などの多数の研究書や資料で多面的で多角的な学習課題を工夫して提示できる優れた平和教材であり、先人の実践の蓄積がある特別の平和教材だといえる。そういう意味で、広島市教委が『はだしのゲン』を削除したことは、人々に非常に大きなショックを与えた。
オンライン署名change.orgに20日間足らずで56,000人以上の署名が寄せられたことは削除ショックによるやむにやまれない切実な行動だったとも思える。
★ 改訂会議の合意形成なしに『はだしのゲン』が削除された問題性
両議事録を読む限りコイや浪曲についての意見はあるが『はだしのゲン』を削除するという合意の記載はないし、差し替え教材の合意の記載もない。
しかし、第2回の改訂会議では作業部会からの差し替え教材についての審議が始まっている。
私たちは市教委に作業部会の会議録の開示を求め、作業部会がどのように意思形成を行い、なぜ『はだしのゲン』を差し替えたのかを明らかにしたいと考えている。また、作業部会の権限も明らかにする必要がある。
差し替え権限のない組織が、明確な意思形成過程を経ずに『はだしのゲン』を差し替えたのであれば、そこに『はだしのゲン』を削除する意思が働いて削除したのではないかという、教育への不当な支配が疑われる問題が生じるからである。
★ 削除されたのは『はだしのゲン』だけではなかったことの問題性
ほかにも削除された重要な教材があった。中学3年で教材「第五福竜丸」が削除されていた。
「第五福竜丸」の削除は原水爆禁止世界大会誕生の大きな原動力になった反戦反核の市民運動の意義を削除することにもなる。高校1年では被爆者である中沢啓治さんのインタビュー記事から被爆体験が削除された。
削除した記事では反戦反核の強い思いは伝わらない。『はだしのゲン』「第五福竜丸」「中沢啓治さんの被爆体験」が削除されたことは、反戦反核を願う市民の思いや運動が削除されたということだ。
★ 代わりに差し替えられた主要な教材の問題性
差し替えられた主要な教材は、高校1年教材で美甘章子(みかもあきこ)さんが父進示さんの被爆体験を描いた『8時15分~ヒロシマで生きぬいて許す心』と広島市作成「美甘章子さんインタビュー映像」、中学3年教材での美甘章子さんの言葉と活動の紹介である。
美甘章子さんは現在アメリカで心理療法をする広島の被爆二世である。中学3年の教材には次の言葉がQ&Aとして使われている。
Q:父の美甘進示さんからの教え
A:「戦争ではどの国もひどいことをしていたし、日本も例外ではない。アメリカが悪いのではなく戦争が悪い。どちらが悪いという考え方は全く意味がない」とたびたび説かれ、橋渡しをする人間になるようにと育てられました。
原爆を落とした「アメリカやアメリカ人を恨まず許そう」という美甘さん個人の意見を補助説明なく平和学習の結論のように生徒に提示することは適切とは思えない。「悪いのはアメリカ人ではなく、戦争だ」という父の言葉をそのまま受け入れ、戦争の原因や仕組みを考えない美甘さんの抽象的な意見も適切な教材とは思えない。
なぜなら平和教育は、事実を知ることを通して、戦争の原因や仕組み、非暴力による解決方法などを考え、戦争による「解決」を否定し、核兵器を非人道的な兵器としてその廃絶をめざす学習を進める教育であり、戦争の責任の問題を考えていく力を育てる教育であると私たちは考えるからである。平和教育のこのような性格は、日本国憲法の精神(平和主義など)に基づくものでもある。
この本『8時15分』は高校1年で教材に使用されている。
そのあとがきに美甘章子さんは「共感と許す心こそ、より自由な物事の捉え方をすることができる」と主張している。被爆者や被爆者と共に生きてきた人に対して共感と許す心を持つことを一方的に主張する人物のように思える。
さらに、「あの戦争で敵同士であった二つの国が、今は最強のパートナーとしての協力体制により、平和と協調が確立されたことを世界の人々に語りかけ」たいとも述べている。
あとがきは教材には掲載されていないが、広島市教委は、日本はアメリカを「許し」「共感」して日米で平和をつくろうという美甘さんの主張を平和ノートのまとめのように位置づけている。
この主張は必然的に核の傘の下の日米安全保障体制の肯定につながるので、広島の平和教育の目標である核廃絶とは異質なものだと思われる。
市教委が美甘さんの主張を是認するのであれば、広島の平和教育の方向が大きく変質したといわざるを得ない。
★ 日米パートナーシップを強調する新しい教材の問題性
中学2年生の教材には新たにアメリカのオバマ元大統領の写真が多用されている。オバマ元大統領とローマ法王のメッセージと日本政府の考え方を比較して、「核兵器に対する様々な見方、考え方を知る」ことが主な学習になっている。指導書には日本政府が安全保障の観点を考慮し、取組を粘り強く進めていることを板書例として例示している。
すると、この写真の印象と合わせて、日本はアメリカとのパートナーシップ(別の言い方をすれば日米安保政策、核抑止政策)による安全保障が大事だという方向に生徒は導かれる学習設定になっている。
この学習をした後、中学3年と高校1年で美甘章子さんの作品に出会えば、一層日米のパートナーシップを肯定する方向に生徒は導かれていくだろう。
★ 核廃絶から核軍縮へ~改訂平和教育プログラムの変質の問題性
削除された教材、差し替えられた教材をジグソーパズルに例えると、どのような絵が見えてくるのだろうか。
そう考えるときに、中学3年の単元「持続可能な社会の実現」の新旧指導内容の変更がそのカギになるように思われた。
単元の目標「核廃絶に向けた…」は新旧変わらないが、学習1のねらいが旧版「核兵器廃絶に向けた…」から新版「核軍縮への世界の動き…」に変わっている。
また、学習1の指導案の目標が「核軍縮への世界の動き…」、学習課題が「核軍縮に向けた…」となっているので、学習内容の軸が核廃絶から核軍縮に変わっていることが読み取れる。
さらに、中学2年学習2の指導書では生徒に外務省HPで日本政府の考えを理解させるようになっているが、日本政府の考えとは端的に言えば、日本はアメリカの核の傘にいるため核兵器禁止条約を認めれば国民の安全が保障できなくなる。だから核禁条約は認められない、ということを生徒に理解させようとすることになる。
「平和学習」の単元目標を遠い未来の「核廃絶」にして、実際の学習目標は「アメリカによる核抑止政策を前提とした核軍縮の容認」に変質させているのである。
★ 見えてきたジグゾーパズルの絵
~変質したのか?広島市の平和教育
ひろしま平和ノートから、『はだしのゲン』「第五福竜丸」「中沢啓治さんの被爆体験」が削除された。
その代わりに、「アメリカによる核抑止政策を前提とした核軍縮」を容認するような『8時15分』が主要教材として導入され、オバマ元大統領の多数の写真で、日米の核抑止を前提とした核軍縮の考え方に生徒を誘導しようとしている。こういう絵が見えてきた。
では、だれが広島市の平和教育プログラムをこのような変質に導いたのかという疑問が生じる。
『はだしのゲン』が削除された問題は、平和教育そのものが破壊されるかもしれない問題だよ!とゲンは私たちに警鐘を鳴らしてくれたように思える。
私たち市民にはヒロシマの平和教育の変質を止め、ヒロシマの核廃絶の願いを変質させないために原因を明らかにしていく責任があると考えている。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 149号』(2023.4)
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