パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

共に生きる石巻を作り出す連続公開講座から

2014年07月20日 | 平和憲法
 ◆ 戦争体験者は何を伝えるべきか
(元教員・障害児を普通学校へ・全国連絡会世話人 北村小夜)

 ◆ 「特定秘密保護法」が成立してしまった
 1925年生まれの88歳。1925年といえば、治安維持法が公布・施行された年である。日本が戦争に向かうなか、人を殺すことは善であった、子どもたちは日の丸の旗を振って、「早くチャンコロをやっつけてください」と言って兵隊さんを見送っていた。
 やがて内外に多大な犠牲を強いて敗戦。負けるはずのない国が負けた。敗戦によって民主国家になったものの戸惑っているうちに反動は進み、いま極限に達し日本国憲法が危機にある
 戦争をする国を取り戻そうと安倍政権は改憲を目指す。9条改憲が難しいと分かると96条改憲を模索した。それにも抵抗が大きいと分かると、解釈改憲で集団的自衛権行使を目論んでいる。すでに特定秘密保護法は強行採決され、成立している。
 日本はついに民主国家になり得なかったというべきであろう。

 ◆ 情報統制の恐さ 閉ざされる人々の心
 戦争で恐ろしいのは殺し、殺されることはもちろんであるが、同様に恐ろしいのが人々の心で、情報が統制されると、誰も信用できなくなる
 特定秘密保護法などによって人々の口・耳・目が閉ざされると言うが、閉ざされ壊されるのは人々の心である。人を信じることができなくなり、連帯・団結ができなくなる。
 いま、もうその法は機能している。多くの人は私達が街頭で配る戦争反対や原発反対を訴えるビラを受け取らない。まるでなるべく"問題意識を持たない"ように心がけているように見える。市民運動も労働組合もバラバラ、反原発運動でさえ団結できない今こそ戦前である。
 人々が口の前にひとさし指を立てて「シーッ」と言いながら話していた姿が思い出される。
 ◆ 軍国少女に育って靖国に行こうとした
 1932年、6歳の私が愛読した-といっても兄が読み終わるのを待たなければならなかったが-『少年倶楽部』の5月号が手元にある。
 開くと目次に「日本もし戦はば」とある。今と同じではないか。扉には陸軍士官学校に入学した澄宮(すみのみや・のちの秩父宮)の写真があり、折り込みに爆弾三勇士の絵、附録は広瀬中佐の銅像セットがついている。
 記事に満州を舞台にした読み物、国威高揚のオリンピック報道、兵器の解説、漫画のらくろなどなど。こんな知識を持って小学校に入学するや、学校に割り当てられてくる慰問文を一手に引き受けていた。
 当時、満州には匪賊という平和のため滅ぼさなければならない悪者がいる、と思い込んでいたので書き出しは概ね「まんしゅうの兵隊さんへ、ごっかんのみぎり匪賊とうばつもさぞこんなんなこととおもいます。」であった。-戦後になって匪賊といわれた人々にあって愕然とするが、みんな憂国の烈士であった-いまも同じように仮想敵国はつくられ敵愾心を煽られている。
 学校では教育勅語を唱え、旗(日の丸)と歌(君が代)にそそのかされて国家の期待以上の軍国少女に育ち、ボーイフレンドと同じように靖国に行かなければと思ったものである。
 ◆ 戦争の実態は伝えていかなければ
 運に恵まれて生き残って教員になった者として悔やまれてならないのが、戦後である。敗戦によって民主国家になったが、生かしきれないうちに反動を許してしまった。
 とくに一次から二次にわたる岸内閣の時代、岸といえば安保であるが、教育では学習指導要領を官報に告示して法的拘束力を持つと言い、勤務評定を実施、道徳教育の導入など今日の安倍の教育再生実行会議の先駆けになることが始まる。
 その間、私達は何もしなかったわけではない。できるだけの闘いは多くの労働者・市民と連帯した。しかし、息の根を止めることはできなかったうえ、教育基本法の改定をまた許してしまった。
 明治以来、国家がやると言ったものを公論の力で断念させたことはないという人がいる、その通りであるが、いまできないということではない。
 最近、戦争の危機を感じて、戦争体験者が現状に自分の体験を重ねて語る取組みが熱心に行われている。
 原爆、空襲、自決、引揚げ、疎開、開拓団、言論弾圧、動員、学徒出陣、シベリア抑留、南方戦・餓死、特攻、朝鮮人兵士、英霊、靖国、遺児、捕虜、従軍看護婦など、多岐にわたっている。同時代を生きた私の知らないこともある。いずれも戦争の実態として伝えておかなければならないことであるが、体験が悲惨で残酷であればあるほど被害として語られることが多いが、みな加害の報復である。
 合わせて語るべきは「なぜ戦争に至ったか」「なぜその体験に至ったか」をたどるべきである。たどれば、その実態に至る過程で自身が加担してきたからこそ成り立ったことに気づき、戦争はイヤというだけでなく、しないためには手を出さなければよいことが分かる。それこそ伝えるべきことである。
『週刊新社会』(2014/7/1)

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