パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

七生養護『ここから裁判』傍聴記

2008年03月04日 | 平和憲法
 ▲ 産経記者「記憶なし」連発 養護学校の性教育裁判
ひらのゆきこ

 七生養護学校で2003年7月におきた、都議会議員らによる学校現場の「視察」。教育現場への不当な介入ではなかったのか、産経新聞の報道は適切だったのか、その後、七生養護学校の性教育は大きく変わることとなった。「こころとからだの学習」の是非をめぐる裁判が、東京地裁で続いている。
 (略)

 ■ 都議2名と産経新聞記者の証人尋問
 この日は傍聴券96枚に対し、150名以上の傍聴希望者がいたため、パソコンによる抽選となりました。(略)
 法廷に入ると、原告、被告側双方が席につき、証人3名も証人席の前に座っていました。抽選に当たった人たちが傍聴席を埋め尽くす中、矢尾渉裁判長と陪席裁判官2名が入廷し、裁判がはじまりました。まず、証人3人が宣誓を行い、田代ひろし都議、土屋たかゆき都議、河合龍司産経新聞記者の順番で証人尋問が行われました。

 ■ 田代博嗣都議の証人尋問
 (略)
 次に、原告代理人による反対尋問がありました。
 都教委らとともに視察に行った理由について、田代都議は「我々は立法府なので、行政府をチェックする立場にあり、この日の視察に同行したのは、行政がちゃんと指導をしているかチェックするためだった」などと答えました。国税という言葉を使ったのは、私物が入っていることを理由に教員が非協力的な態度を見せたので、例として挙げた、などと答えました。
 都教委に現場の仕事を直接指導することは許されているのか、という質問については、田代都議は明快な答弁を示すことができていないとの感想を持ちました。

 また、知的障害児の性教育は、視覚に訴えることが必要だとする意見があり、アメリカなどでも問題になっているが、視覚に訴える必要性があることを知っているか、という質問に対し、田代都議は「知っている」と答えました。
 どのような権限に基いて「国税と同じ」と言ったのか、また、どのような権限に基づいて教材を持って行ったのか、という質問に対しては、「質問の意味がわからない」と述べ、田代都議が上下関係について言及したことを指摘すると、「教育庁と現場は上下関係にあり、上は下の責任をとらなければならない。現場は任務の遂行をしなければならない」と答えました。「行政府が学校現場に介入するのは、教育基本法10条に反するのではないか」と問い質すと、田代都議は、「だから我々はその行政をチェックしなければならない」と答えました。
 また、都の文教委員会でこの問題についてほかの議員たちから批判が出たのではないか、と尋ねると、「よく覚えていない」と答えました。さらに重ねて「教材を持って行ったことも含め、いろんな批判が出たのではないか」と聞くと、「少数の意見があったかもしれないが、多くは賛成してくれた」と答えました。

 ■ 土屋敬之都議の証人尋問
 次に、土屋敬之都議についての証人尋問がありました。
 (略)
 (女性教員を)泣かせるような大声を出したのか、という質問に対しては、「僕は女性尊重主義」と否定しました。教材を展示した理由については、「こういう実態を広く知ってもらうため」と述べ、教材は我々が押収したのではなく、都教委の判断であり、都教委に頼んで借りて展示した、と答えました。また、視察のあとに再度七生養護学校を訪れた理由を問われ、校長が涙目をしていたので、もっとなにかあるのではないかと思い、話を聞きに行ったと答えました。

 ■ 原告代理人を怒鳴る一幕も
 次に、原告代理人による反対尋問がありました。
 土屋都議の陳述書をもとに反対尋問が始まりました。原告代理人が、陳述書にある「ある日」の「ある日」というのはいつか、と聞くと、土屋議員は「平成15年のことだよ。あなたは覚えているの?」と逆に問い返しました。原告代理人が「質問に答えてください」と言うと、土屋都議が質問の答えではなく説明をしようとしたので、「イエスかノーで答えてください」と原告代理人が答えを促すと、土屋都議が突然大きな声で原告代理人を恫喝するような発言をしました。
 傍聴席にいる筆者も自分が怒鳴られているような気がして、一瞬、ドキッとしました。大変、威圧感のある声でした。土屋都議は大きな声で教員を問い詰めるような言い方はしていない、と答えていましたが、もしそのときもこのような声で言われたのだとしたら、相当に威圧されるものを感じ、萎縮したり、恐怖心を感じたりするのではないか、との感想を持ちました。
 次に、都議会での質問は事前に誰かと協議をしたのか、と尋ねると、「私一人でやった」と答えました。また、教材を運び出すとき、都議から求められ、教頭が次々に運び出したと校長が証言していることに言及し、土屋都議の供述と食い違いがあることを指摘しました。所定の場所に置いていた人形を出して服を脱がせる場面は印象的だと思うが、そのときのことを覚えているか、と聞くと「覚えていない」と答えました。
 視察の翌日、産経新聞に載った記事について、服をぬがせて下半身を露出した写真が載っているが、問題を感じないか、と質問すると、土屋都議は「まったく感じない」と答え、この写真を見た読者に(七生養護学校で行っている性教育が)正確に伝わると思うか、という質問については、「人それぞれ」と答えました。
 「からだうた」についてなにが問題かと尋ねると、土屋都議は「性器の名称は人前で言うことはない、マナーの問題」と答え、性器の名称を小1から教えることは問題があるとの認識を示しました。
 東京都が1995(平成7)年に性器の名称を小学生に教えるべきだとした学習指導要領を出したことを知っているかと問われると、「知っているが、それは間違い」と断じ、「発達段階の子に性行為について教えるのは許されない」との意見を述べました。ではいつならいいのか、高3ではどうか、学習指導要領に書いていないことについても指導の必要性があるとマニュアルには書いてあるが知っているかと尋ねると、「知っている」と答えました。
 保護者の人たちが(性教育をしてもらって)助かっていると言っていることや、親や地域の人がどのような思いをしているかという質問については、「答えられない。答える気がしない」と答弁をしました。
 土屋都議は、反対尋問のとき、「質問(のしかた)が悪いんだよ」と原告代理人を批判するなど、感情的とも思えるような発言をすることが何度かありました。東京弁護士会から都教委に対し、没収した教材の返還と不当な介入をしてはならないとする「警告」を受けていることについて知っているかと訊ねると、「ろくなものじゃないね」と答えるなど、思わず傍聴席から失笑が洩れる場面もありました。

 ■ 河合龍司・産経新聞記者の証人尋問
 次に、河合龍司・産経新聞記者についての証人尋問がありました。
 (略)
 この記事のあと、七生養護学校の保護者から抗議の電話が産経新聞にあったことを知っているか、と聞くと、「知っている」と答え、内容を知っているか、と聞くと、「この記事はひどいんじゃないかという内容」と答えました。保護者の人たちの発言が考慮されておらず、親をバカにした記事であり、親からも聞き取りをしてほしい、自分たちにも取材をしてほしいという気持ちが保護者の側にあったことについてどう思うか、という質問に対し、河合記者は「そうは思わない。校長に取材した。プラスアルファとして保護者に取材をすればよかったかもしれない」と答えました。
 なにも知らないでこの記事を読んだ読者は不安になるのではないか、子どもを七生に通わせている保護者に対し、公正を欠いたとは思わないか、という質問に対し、河合記者は「思わない」と答えました。
 さらに、原告代理人が、知的障害を持つ子の親は(子どもたちの)性の問題で悩んでおり、障害のある人たちや、現場で悩みながらやっていることを取材したか、と問うと、河合記者は「しない」と答え、現場の先生に話を聞かず、誤解を受けることになりかねない記事を書くことに対し、新聞記者としての理念に対する考慮はなかったのか、と聞くと、「思わない」と答えました。

 ■ 「過激な性教育」の根拠は不明
(略)
 さらに信用性を争うためとして、原告代理人が当日の保健室の写真数枚を河合記者に見せ、人形は14時9分には服を着ていて、14時59分には脱がされている、この写真の右側に写っているのは誰か、と問うと、「土屋さん」と答え、さらに14時53分と14時57分に撮影した写真を示し、これをあなたは見ていないというのか、と問い質すと、河合記者は「当時は見ていたんでしょ。5年経って具体的には(覚えていない)……」と返答に窮し、投げやりとも思えるような答弁をしました。
 最後に、写真を撮るとき(人形の)服を脱がせる理由について質問すると、河合記者は「ここで下半身を露出させて使うということなので、(人形の下半身を露出しないと)読者に伝わらない」と答えました。過激な性教育が伝わらないということか、と聞くと、「はい」と答えました。
 最後に質問に立った原告代理人が、視察があった日の保健室の写真を示しながら、あなたはこれを見ていないと言うのか、と問い質すと、さすがの河合記者も「当時は見ていたんでしょ」と苦しい答弁をする一幕のやり取りは大変迫力があり、メモを取っている筆者も思わず身を乗り出して聞き入りました。

 ■ 感想など
 原告代理人の反対尋問は予定時間を超過するほど、熱の入ったものでした。証人3人に対し、波状攻撃のように矢継ぎ早に質問をしていったのですが、いずれも核心を突いた鋭い質問で、最初から最後まで法廷には緊張感が漲っていました。
 傍聴席には双方の支援者が座っており(数は原告の支援者の数のほうが圧倒的に多い)、原告代理人が質問しているとき、資料を出すのに少し手間取っていると、傍聴席から「早くしろよ」というヤジがあったり、不規則発言などもあり、裁判長から「傍聴席は静かにしてください」と注意を受けていました。また、被告席には、田代都議や土屋都議とともに訴えられている古賀俊昭都議の姿もありました。
 (略)

『JANJAN』 2008/02/28

http://www.news.janjan.jp/living/0802/0802271625/1.php

コメント    この記事についてブログを書く
« 藤田裁判控訴審 結審を迎えて | トップ | 2008年「春の闘い」(8) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

平和憲法」カテゴリの最新記事