★ 「凶器の刃物を売った」と証言
天国の母の荷もおりた (週刊新社会)
高橋国明
1966年に静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で一家4人が殺害された事件の犯人とされた死刑囚・袴田巖さんの再審無罪が9月26日確定した。
事件当時、静岡県沼津市内で刃物店を営み、凶器の刃物を袴田さんに売ったという証言を誘導されたことで、罪の意識を背負ってきた高橋国明さん(72歳、現在は群馬県在住)の母親(故人)の重い荷も、袴田さんの無罪確定とともに下ろされた。
「被告人は無罪」と、静岡地裁は9月26日、袴田事件の再審判決公判で言い渡した。
長期の拘留による拘禁症で出廷できない被告人の袴田巌さん(88歳)の補佐人の姉ひでこさん(91歳)の涙は止まることがなかった。
この光景をこの先私は決して忘れることはないであろう。
そもそも58年間、袴田さんは無実だった。
★ 有罪の根拠の一つに
この再審判決公判の傍聴券の抽選倍率は12倍以上だったが、幸い確保できた。
静岡地裁の構内を狭山事件の石川一雄さん、足利事件冤罪被害者の菅家利和さんと一緒に玄関に向かったが、石川さんは傍聴券がなかったため規制された。傍聴券の交代を申し出たが、認められなかった。
1966年に袴田事件が起きた当時、沼津市内で刃物店を営んでいた私の両親(故人)が検察側の証人になっている。とりわけ母が、凶器とされた木工仕上細工道具の刳小刀(くりこがたな)の購入者として、県警捜査員が持参した20~30枚の顔写真の中から袴田さんとされる1枚を特定したとして、この証言が有罪の根拠の一つとされた。
★ 本当は覚えていない
しかし10年前、共同通信の取材に当時87歳で要介護4だった母は、「本当は覚えていない。思っていることと違うことを証言してしまった」と話した。
検察による「指導」(誘導)によるものではないかとの疑念が生じた。これをSBS静岡放送のテレビが収録し、顔の部分をカモフラージュして放映した。この頃から母の気に病む日々が続くことになる。
再審判決公判を前に、同局からカモフラージュを除いて再度放映したいとの要請があり、了解した。世論と、いうもう一つの法廷に広く訴えたいという思いからであった。
★ 両親に代わりお詫び
この証言について、判決理由は「来店した客の中に被告に似たものがいた可能性を述べたにとどまり…被告の犯人性を積極的に推認させるものではない」(要旨)と断じた。天国の母の肩の重荷が、ようやく下りたのであった。ゆっくりと静かに眠ってほしいと思う。
袴田さん、ひでこさんには、改めて両親に代わって心からお詫びしたいと思う。誠に申し訳ありませんでした。
無罪の確定をもって10月13日、家業の屋号きくみつ・菊光刃物店の看板を、下ろした。
営業は13年前に母の在宅介護のため、実質停止していたが事件が続いていることから、看板は残したままであり、ようやく本当の意味での閉業であった。
これには、新社会党静岡県本部の仁杉秀夫さん(元三島市議)らの立会が得られた。袴田さんは選挙権が回復し、浜松市選管から総選挙の投票所入場券が届き、ひでこさんらに支えられて、期日前投票に臨むことができた。袴田さん、ひでこさんのこの先の歩みに、多くの光が注がれることをひたすら祈りたい。
◆袴田事件
1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼する火事が発生し、4人の刃物で刺された死体が発見された。
警察は、味噌工場の従業員の袴田巖さん(当時30歳)を犯人と決めつけて捜査を進め、8月18日に袴田さんを逮捕。
袴田さんは、当初否認していたが、警察や検察から連日連夜、猛暑の中で取調べを受け、「自白」に追い込まれたが、その後公判で否認した。
再審判決公判は2024年9月%日、静岡地裁は味噌タンクを利用した証拠の捏造を認め、袴田氏に再審無罪判決を言い渡した。なお死刑判決の再審無罪は5件目となる。
『週刊新社会』(2024年11月27日)
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