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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

震災後 学校の昨今<3>

2011年09月22日 | 暴走する都教委
 ◆ 震災後 学校の昨今<3>
N.K.(都立高教員)

 この頃、店頭などでもときどき見かけるもので、One for All,All for Japan. ひとりはみんなのために、みんなは日本のために」というロゴの白地の「復興支援ポスター」がある。
 OneのOが赤い○になっていて、日の丸のような印象になっている。スポーツや学校などでよく用いられる「One for all,and all for one」という文句(デュマ)のもじりとすぐにわかる。
 Oneが個人、Allは全体を表すなら、個人は他人や全体のためを思いやり、全体は一人一一人の個人を大切にする、というメッセージと捉えられてきたと思う。
 しかし、最後のOneをJapanにした場合、その相互作用の意味はなくなり、個人も集団も国のために、ということになる。そこには、この非常時には個人を顧みるよりも、代わりに「国」へ力を尽くそうという意味が込められているのだろうか。Oneとなるべきところを「国」に置き換えるなんて!
 発信者の名前も記されていないこのボスターは、株式会社グラペインなる会社(大田区)が「継続的な復興活動への啓蒙を目的としたポスターを制作し無料での配布活動を行って」希望する学校や会社へ送るようだ。ウェブからも落とせる。「制作に当たっては仕事の合間をぬって社内でねりあげた」と新聞記事で読み、元句のOneを敢えてJapanにしたことについて、どのような議論が交わされたのか問い合わせたが、返答は無い。
 最近他国の列車事故のことなどもあったが、それを見るにつけても、特に非常時にあっては一人一人(の命)こそ大切であり、「国」としての利益が何かはむしろその後についてくることではないか。あるいはこの復興ボスターは、単純にシンボルイメージ的なわかりやすさのみを求めてのものか。
 感覚的なシンボルやイメージによる年少者への刷り込みの怖さは、私たちが多大な犠牲と反省とともに学んできたことだ。勤務校の若い歴史の教員にそんな話をする機会が最近ようやく持て、それなりによく理解してもらえたと思っているが、この先どう展開したらよいだろうか。暑くて暗い夏が終わらないうちに、職場の麻痺した思考を揺り起こす一手をなんとか打たなければならない。
 (終)

『都高退教ニュース』(2011/9/5 NO.79)

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