=2016年9月22日「難波判決10周年記念集会」開かれる=
◆ 予防訴訟・難波判決の現在的意義を問う (リベルテ)

「堀尾先生」 《撮影:gamou》
◆ 「10周年集会」の意味
9月22日、この日、赤羽会館で難波判決10周年集会が開催された。予防訴訟に関係した研究者・弁護士をはじめ原告など56名の参加であった。
また、ご高齢で参加が困難であった尾山宏弁護士はメッセージで参加された。その他、10名を超える元原告からのメッセージが届けられ、メッセージ集として当日の資料として配布された。
この日の集会は、副題で「予防訴訟・難波判決の現代的意義を問う」とあるように、10年前をただ懐かしむ同窓会のような位置づけではなく、難波判決の積極的な面を再認識することを集会の一つの目標とした。
「日の丸・君が代」をめぐる訴訟の状況は、2011~12年にかけての一連の最高裁判決によって、「間接的制約」や「戒告をこえての処分は違法」等、一定の結論が出され、これをどのように超えていくかについてなかなか困難な壁となっている。
こういった状況の中、校長の職務命令を唯一「違法」と判示し、また「外部的行為と内心は密接な関連がある」など、最高裁判決を超える唯一の判例であった。この意味で、今後の「日の丸・君が」代裁判で最も示唆を与える判決としてとらえ直していく必要性があるといえる。こうした意味で「難波判決10周年」を振り返る意味は大きいといえる。
◆ 研究者・弁護士等のお話
集会では、片山むぎほ共同代表が、会を代表して挨拶し、加藤文也弁護士が「難波判決は教科書裁判の杉本判決以来の意味の大きい判決であったこと」「教育裁判史に残る判決であったこと」等を述べた。
次に、意見書等理論的な面で大きな支えとなった堀尾輝久先生(写真)は現在の安倍安保関連法制下の中にあって、この難波判決の意味を述べた。
また、現在、ご自分が安保法制に対する集団訴訟の原告である立場から憲法9条を世界憲章にすべきであることを述べた。
そしてご自分が最後の証人として、法廷で難波裁判長と向き合った思い出を述べた。
次に市川須美子先生が、難波判決が、通達が「教員として」だけでなく、「子どもに対する強制」であることをも認めたものであることを述べた。
大迫恵美子弁護士は、司法修習生時代に難波孝一裁判長が教官であったことからその人柄を述べた。常に冷静であり、現在では左翼的とみられがちな難波判決は、憲法を真っ白な頭で見つめた結果であること。
そして何よりも、法廷では尾山弁護団長と難波裁判長との真剣勝負が行われたこと、このような迫力に溢れた法廷は経験が無いこと等を述べた。
海部幸造弁護士は、教育担当で堀尾さんと連絡を取り合うことが多かった。都教委通達は、子どもの学ぶ権利への攻撃でもあり「許されるものではない」の趣旨を述べた。
川口彩子弁護士は、判決当日の思い出を話し、同時に憲法が揺らいでいる今日において難波判決の重要性を述べた。
山中眞人弁護士は資料を作成し、ロースクールで早稲田大の学生に講師として「日の丸・君が代」強制の問題を話した時のことを中心に話した。弁護士であっても、若い世代では「起立して当然だ」ということに手を挙げる人が何人かいたことに隔世の感を持ったという。「日の丸・君が代」の問題はどんどん風化してきているのである。
原告からは永井栄俊が難波判決のレジュメと共に報告した。現在、訴訟点となっている裁量権や多くの課題が難波判決の中で基本形が展開されていること、また控訴審で訴訟要件を根拠に一審を破棄されたが、きわめて政治的な判決であったことを述べた。
最後に、ひきつぐ会の共同代表である川村佐和さんが、現場がますます困難な状況となっており、教育と子どもを守る闘いがますます重要になってきたことを述べた。
(文責 永井栄俊)
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース 第45号』(2016年10月29日)
◆ 予防訴訟・難波判決の現在的意義を問う (リベルテ)

「堀尾先生」 《撮影:gamou》
◆ 「10周年集会」の意味
9月22日、この日、赤羽会館で難波判決10周年集会が開催された。予防訴訟に関係した研究者・弁護士をはじめ原告など56名の参加であった。
また、ご高齢で参加が困難であった尾山宏弁護士はメッセージで参加された。その他、10名を超える元原告からのメッセージが届けられ、メッセージ集として当日の資料として配布された。
この日の集会は、副題で「予防訴訟・難波判決の現代的意義を問う」とあるように、10年前をただ懐かしむ同窓会のような位置づけではなく、難波判決の積極的な面を再認識することを集会の一つの目標とした。
「日の丸・君が代」をめぐる訴訟の状況は、2011~12年にかけての一連の最高裁判決によって、「間接的制約」や「戒告をこえての処分は違法」等、一定の結論が出され、これをどのように超えていくかについてなかなか困難な壁となっている。
こういった状況の中、校長の職務命令を唯一「違法」と判示し、また「外部的行為と内心は密接な関連がある」など、最高裁判決を超える唯一の判例であった。この意味で、今後の「日の丸・君が」代裁判で最も示唆を与える判決としてとらえ直していく必要性があるといえる。こうした意味で「難波判決10周年」を振り返る意味は大きいといえる。
◆ 研究者・弁護士等のお話
集会では、片山むぎほ共同代表が、会を代表して挨拶し、加藤文也弁護士が「難波判決は教科書裁判の杉本判決以来の意味の大きい判決であったこと」「教育裁判史に残る判決であったこと」等を述べた。
次に、意見書等理論的な面で大きな支えとなった堀尾輝久先生(写真)は現在の安倍安保関連法制下の中にあって、この難波判決の意味を述べた。
また、現在、ご自分が安保法制に対する集団訴訟の原告である立場から憲法9条を世界憲章にすべきであることを述べた。
そしてご自分が最後の証人として、法廷で難波裁判長と向き合った思い出を述べた。
次に市川須美子先生が、難波判決が、通達が「教員として」だけでなく、「子どもに対する強制」であることをも認めたものであることを述べた。
大迫恵美子弁護士は、司法修習生時代に難波孝一裁判長が教官であったことからその人柄を述べた。常に冷静であり、現在では左翼的とみられがちな難波判決は、憲法を真っ白な頭で見つめた結果であること。
そして何よりも、法廷では尾山弁護団長と難波裁判長との真剣勝負が行われたこと、このような迫力に溢れた法廷は経験が無いこと等を述べた。
海部幸造弁護士は、教育担当で堀尾さんと連絡を取り合うことが多かった。都教委通達は、子どもの学ぶ権利への攻撃でもあり「許されるものではない」の趣旨を述べた。
川口彩子弁護士は、判決当日の思い出を話し、同時に憲法が揺らいでいる今日において難波判決の重要性を述べた。
山中眞人弁護士は資料を作成し、ロースクールで早稲田大の学生に講師として「日の丸・君が代」強制の問題を話した時のことを中心に話した。弁護士であっても、若い世代では「起立して当然だ」ということに手を挙げる人が何人かいたことに隔世の感を持ったという。「日の丸・君が代」の問題はどんどん風化してきているのである。
原告からは永井栄俊が難波判決のレジュメと共に報告した。現在、訴訟点となっている裁量権や多くの課題が難波判決の中で基本形が展開されていること、また控訴審で訴訟要件を根拠に一審を破棄されたが、きわめて政治的な判決であったことを述べた。
最後に、ひきつぐ会の共同代表である川村佐和さんが、現場がますます困難な状況となっており、教育と子どもを守る闘いがますます重要になってきたことを述べた。
(文責 永井栄俊)
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース 第45号』(2016年10月29日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます