《レイバーネット日本:アリの一言》
☆ 特筆されるべき大江健三郎氏の文化勲章辞退
3日亡くなった大江健三郎氏の文学史上の評価は私には分かりませんが、『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』からは多くのことを学びました。「九条の会」の結成と活動はとりわけ評価されるべきと思います。
そんな大江氏の数々の功績・業績の中でも特筆されるべきものがあります。なぜか新聞の社説や評伝、追悼コメントではほとんど触れられていません(社説で触れているのは、私が読んだ限りでは沖縄タイムスだけでした)。
それは1994年、ノーベル文学賞受賞決定の直後、政府から打診があった文化勲章を辞退(拒否)したことです。
文化勲章は1937年に勅令によって創設されました。つくったのは天皇裕仁です。褒章は国家権力にとって天皇制を支える重要なツールです。文化勲章はその頂点ともいえます。天皇が直接授与し、皇居の庭で記念撮影が行われます。
それを大江氏は辞退しました。なぜか。
米ニューヨークタイムズ紙のインタビューでこう述べています(栗原俊雄著『勲章―知られざる素顔』岩波新書2011年より)。
「私が文化勲章の受章を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観を認めないからだ。これはきわめて単純だが、非常に重要なことだ」
作家の城山三郎氏は大江氏の文化勲章辞退に感激し、当時こう述べていました。
「スジを通した立派なことだと思う。…言論、表現の仕事に携わるものは、いつも権力に対して距離を置くべきだ。権力からアメをもらっていては、権力にモノを言えるわけがない」(1994年10月15日付朝日新聞夕刊)
その城山氏も、のちに紫綬褒章を辞退しました。
大江氏は「天皇制」という言葉は使っていませんが、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」といって天皇がつくった文化勲章を辞退したことは、天皇制イデオロギーに対する痛烈な批判であることは明白です。
かつて朝日新聞記者が大江氏に夏目漱石の「こころ」についてインタビューした際、大江氏は、「「こころ」を再読し、漱石の書いた「明治の精神」は天皇の精神ではなく、明治に生きた人々つまり漱石の精神だと思い直した」と言ったそうです(14日付朝日新聞デジタル、吉村千彰記者)。
このエピソードにも、天皇制イデオロギーに対する大江氏の批判眼が表れています。
日ごろ「民主主義」「反権力」を口にしながら、自分が褒章を受けることになると喜々として天皇制に取り込まれるエセ「知識人・文化人」がなんと多いことか。
そんな日本社会で、大江氏や城山氏の言動・思想が持つ意味はいくら強調してもしすぎることはありません。そしてこの点にこそ、今日の日本人が汲み取るべき大江氏の最大の功績があるのではないでしょうか。
大江氏の死去にあたり、山田洋次監督はこう述べています。
「加藤周一さんと大江健三郎さんの存在が長い間、日本人にとってどれほど大切だったかを思いつつ、今大江さんを失うことが、現在のような混沌としたこの国の、さらに世界の状況にとって大きな損失だということを考えます。心ある日本人にとって、羅針盤を失ったような気持ちではないでしょうか」(14日付京都新聞=共同)
優れた本物の知識人・文化人が次々この世を去っていきます。それに代わる若い世代の知識人・文化人の名前が浮かんできません。この国の劣化がますます進んでいく。危機感は募るばかりです。
『レイバーネット日本』(2023-03-16)
http://www.labornetjp.org/news/2023/1678919539401sasaki
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