皆様へ、日中友好と教育の自由のために〈中国通信1076〉を送ります。
重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。
*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
◆ 豆腐の美学
作者:梁文道 原文:『読者』2016・15(日本語訳の簡約:近藤)
“淡”この不思議な味覚を語るとすぐ豆腐を連想するが、中国人と日本人ではどちらがその深みを理解しているか、論争になる。
日本の豆腐料理では豆腐が主役で、中国料理のように味を引き立てる添え物ではない。
例えば、夏に豆腐で作る中国式のサラダはピータン豆腐だ。
皆、これを素晴らしいと言うが、ピータンの味は強く、豆腐はそれを越えられない。
これに対して、日本の“冷奴”はトマトや鰹節だけで、その滑らかな喉越しは絹豆腐の味そのものである。
従って、ある人は、日本人の豆腐の味わい方は中国人よりも精通し、中国人よりも優れていると言う。だが、これは極端な例の比較説明である。
金庸の小説にある“二十四橋名月夜”は、まず豆腐を小さな球にして太いハムの穴の中に入れ味をしみこませる。その後、豆腐の球を取り出して客に出す。
一方、日本の商人が発明した豆腐アイスクリームは、必ずしも豆腐の原料ではないが、豆腐の味がする。
“二十四橋名月夜”と豆腐アイスクリームを比較すると、日本人は全神経を集中して豆腐の味を作り出し、中国人は豆腐に様々な味をしみこませて味を配合する。
おもしろいことに、豆腐はさらに濃いスープや肉類を混ぜ合わせても元の豆腐の味は保たれているということ。マーボ豆腐はどんなに辛くとも豆腐の風味は残されている。
豆腐の“淡”は、中国料理では書画に残された白のようで、この白がなくなったら山水樹木は呼吸できなくて、画面は伸縮・奥行きの余地がなくなる。
平板な白は単独では存在しない、他の食材の味を別の境地に昇華する。
逆に、日本料理の豆腐は、空白の画面を主として、人物や花鳥はこの白を強調するためにこそ強いて描かれている。
この両者は豆腐を食べる方法の二つの“淡”の美学である。
一方は、“淡”をこの世の自然の事物と切っても切れないものと見なし、もう一方は、凡庸な豆の味からとことん抜け出すことを追求したものだ。
両者は、どちらが優劣かを決める必要なない。
~~~~~~~~~~~~
《安倍首相 真珠湾訪問 「訪問での清算、独りよがりだ」 中国外務省》
毎日新聞2016年12月28日
《中国外務省の華春瑩(かしゅんえい)・副報道局長は・・。「中国などのアジアの被害国との和解がなければ、日本は過去を清算することはできない」と述べた。 》
*確かに、あの戦争の大枠がいよいよはっきりしてきた。
“アメリカに負けた。”いや“アジアで負けた。”
沖縄、ヒロシマ・ナガサキ、千島、尖閣、慰安婦、真珠湾、今年は、戦争の傷跡がクローズアップされた。
来年は七七事件80周年。(近藤)
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重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。
*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
◆ 豆腐の美学
作者:梁文道 原文:『読者』2016・15(日本語訳の簡約:近藤)
“淡”この不思議な味覚を語るとすぐ豆腐を連想するが、中国人と日本人ではどちらがその深みを理解しているか、論争になる。
日本の豆腐料理では豆腐が主役で、中国料理のように味を引き立てる添え物ではない。
例えば、夏に豆腐で作る中国式のサラダはピータン豆腐だ。
皆、これを素晴らしいと言うが、ピータンの味は強く、豆腐はそれを越えられない。
これに対して、日本の“冷奴”はトマトや鰹節だけで、その滑らかな喉越しは絹豆腐の味そのものである。
従って、ある人は、日本人の豆腐の味わい方は中国人よりも精通し、中国人よりも優れていると言う。だが、これは極端な例の比較説明である。
金庸の小説にある“二十四橋名月夜”は、まず豆腐を小さな球にして太いハムの穴の中に入れ味をしみこませる。その後、豆腐の球を取り出して客に出す。
一方、日本の商人が発明した豆腐アイスクリームは、必ずしも豆腐の原料ではないが、豆腐の味がする。
“二十四橋名月夜”と豆腐アイスクリームを比較すると、日本人は全神経を集中して豆腐の味を作り出し、中国人は豆腐に様々な味をしみこませて味を配合する。
おもしろいことに、豆腐はさらに濃いスープや肉類を混ぜ合わせても元の豆腐の味は保たれているということ。マーボ豆腐はどんなに辛くとも豆腐の風味は残されている。
豆腐の“淡”は、中国料理では書画に残された白のようで、この白がなくなったら山水樹木は呼吸できなくて、画面は伸縮・奥行きの余地がなくなる。
平板な白は単独では存在しない、他の食材の味を別の境地に昇華する。
逆に、日本料理の豆腐は、空白の画面を主として、人物や花鳥はこの白を強調するためにこそ強いて描かれている。
この両者は豆腐を食べる方法の二つの“淡”の美学である。
一方は、“淡”をこの世の自然の事物と切っても切れないものと見なし、もう一方は、凡庸な豆の味からとことん抜け出すことを追求したものだ。
両者は、どちらが優劣かを決める必要なない。
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《安倍首相 真珠湾訪問 「訪問での清算、独りよがりだ」 中国外務省》
毎日新聞2016年12月28日
《中国外務省の華春瑩(かしゅんえい)・副報道局長は・・。「中国などのアジアの被害国との和解がなければ、日本は過去を清算することはできない」と述べた。 》
*確かに、あの戦争の大枠がいよいよはっきりしてきた。
“アメリカに負けた。”いや“アジアで負けた。”
沖縄、ヒロシマ・ナガサキ、千島、尖閣、慰安婦、真珠湾、今年は、戦争の傷跡がクローズアップされた。
来年は七七事件80周年。(近藤)
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