◆ 「特別の教科道徳」学習指導要領とその解説書の問題
-戦前の学校への回帰か-
◆ 教育基本法「人格の完成」の読み方
教育基本法の改訂の議論の際にも、「人格の完成」とは、各個人の備えたあらゆる能カ-真・善・美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能カ-を可能な限り、かつ、調和的に発展させることとされてきた(改訂当時の文部科学大臣の答弁および文部科学白書等)。
しかし、中教審答申「道徳に係る教育課程の改善等について」及び改訂学習指導要領「特別の教科道徳」(以下道徳科)においても、「人格の完成は道徳性が基盤」と曲げ、道徳教育は、教育・学校教育(中教審)の中核をなすものであると飛躍させている。
一方で、今、開催中の次期学習指導要領のあり方を検討する教育課程企画特別部会では、教育の最終的に向かう方向に、内容的には道徳・規範教育そのものである「実践力」とする能力のモデル図(国立政策研究所)が資料として登場している。
道徳科設置の構想は道徳教育のあり方の問題だけではなく、学校全体の方向を変えるように動いている感がある。ここでは紙面の都合で、学習指導要領の目標・内容・指導の一部についてのみ検討する。
◆ 学習指導要領「総則」「道徳科」の目標は国家の求める人材育成
総則の目標は、「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」とある。
改訂前の目標は、「…人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、公共の精神を尊び、社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」であった。
大きく違ったように見えるが、改訂前の目標であった同じこの文章が、末尾のみ変えて「……主体性のある日本人の育成に資することとなるよう特に配慮しなければならない」として、上記の目標の後に記されており、解説書では「特に留意する事項」として記している。目標と「特に留意する事項」はどう関係しているのかの説明はない。
一方、学習指導要領「道徳科」の目標は、改訂前の「道徳的実践力を育成する」を「道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」などに改めたとされるが、改訂前と同様「道徳性の様相」(2008年版解説書)を示す用語で表されている。
ただ、今回の解説書には、「総則の…目標に基づき」の一言だけで、上記の総則の目標・留意事項について具体的には何も書かれていないという前回と大きな違いがあり、「特に留意する事項」は見落とされる可能性が高い。
このような目標の示し方は、道徳科が国家の求める人材養成を意図しているとの教科化批判をかわす方策のように見える。
◆ 内容について
○「内容項目」と「端的に表す言葉」で示す
内容は、「内容項目」(短い文章)と「それを端的に表す言葉」からなる。
「端的に表す言葉」とは、改訂案のキーワードが「端的に表す言葉」によったものである。別の箇所では、道徳的価値という言葉も使われているが、いずれの用語を使おうとも、正直・誠実・親切・思いやり等々、それは歴史的には徳目と呼ばれてきたものと違わない。
また、「内容項目」の文章はすべて「○○する、行うこと」という指示の文体をとっている。その項目数は、小学校低・中・高学年、中学校とも、およそ20前後である。
4つの柱別(省略)でみると最も多いのは、3の柱(集団や社会に関すること)で、およそ4割がここにある。
さらに、内容項目は複数の道徳的価値が含まれているのでそれを価値別にカウントするとおよそ40になる。これを4つの柱別でみると上記と同様に3の柱で中学校では約44%を占める。以上から、道徳科で重視していることは3の柱であり、1と2の柱のは、3に向かう人間ということが内容になる。
○目標と内容の関連について
ところで、一般に、内容は目標に即して具体化される。
ここでは目標については教育基本法との関係を縷々述べるが、そのことと上記の内容との関係について説明はない。
「児童一人一人が道徳的価値観を形成する上で必要なものをとりあげている」と述べるが、取りあげる客観的選択の基準の説明が必要なのである。
しかし、その説明はおそらくできないのではないかと思われる。なぜなら「内容」が先にありきで進んできているからである。
さらに、総則では、「道徳科を要として学校教育を通じて行う道徳の内容は、特別の教科道徳の第2に示す内容」となると規定した。
このことは、各教科の独自の内容に十二分な道徳的内容が含まれている事、及び、そうした実践を否定する見解ではないかと疑う。
◆ 子どもの主体性のとらえかた
道徳教育について「特定の価値観を押し付けたり主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは道徳教育の対極にあるものといわねばならない」。
この文章は、中央教育審議会答申にも学習指導要領にも度々登場する。
「物事を多面的・多角的に考える」「考える道徳」「問題解決的な学習を取り入れる」等々の文言を目にする時、上記の、押しつけ以外の何もでもない内容の示し方との齟齬をどう解釈すればいいのか、この間、筆者は考え続けてきたが、その答えは解説書にあった。
「道徳科は、…道徳的価値を自分とのかかわりの中で捉える時間である。したがって、児童が道徳的価値を自覚するように指導方法の工夫に努めなければならない」(指導の方針)「児童が・・・道徳的価値の意義およびその大切さの理解が必要になる」(道徳科の目標)とある。
つまり、価値・行動を押しつけてはいけないが、学習指導要領が示す道徳的価値・行動を自ら我がものにするよう指導することが道徳教育だと述べている。
しかし、普通それは、子どもの心の、誘導・操作・教化というものであって主体性を尊重することではない。
主体的とは他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさまであり、主体性とは主体的であること。またそういう態度をいう(広辞苑第六版)のではないか。
◆ 教育基本法の「学問の自由を尊重し……」の意味の確認
教育基本法の教育の目標の前段にある、学問の自由を尊重し……は、憲法第23条でも謳っている理念である。
それは、学問の自由が認められず、且つ、学問と教育は別とし、為政者の意向を強く汲んだ教育であったことへの強い反省から位置づけた条文・文言である。
教科として成立する条件は、その内容が科学的・学問的で、国民が合意できる客観的なものであるか否かである。強いて言えば、国民が今、合意したと見なされるのは、憲法の条項でしかない。
時の政府の意向を強く反映させた内容を教科にすることは、戦前の轍を踏んでいるのである。(つるたあっこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 103号』(2015.8)
-戦前の学校への回帰か-
鶴田敦子(子どもと教科書全国ネット21代表委員)
◆ 教育基本法「人格の完成」の読み方
教育基本法の改訂の議論の際にも、「人格の完成」とは、各個人の備えたあらゆる能カ-真・善・美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能カ-を可能な限り、かつ、調和的に発展させることとされてきた(改訂当時の文部科学大臣の答弁および文部科学白書等)。
しかし、中教審答申「道徳に係る教育課程の改善等について」及び改訂学習指導要領「特別の教科道徳」(以下道徳科)においても、「人格の完成は道徳性が基盤」と曲げ、道徳教育は、教育・学校教育(中教審)の中核をなすものであると飛躍させている。
一方で、今、開催中の次期学習指導要領のあり方を検討する教育課程企画特別部会では、教育の最終的に向かう方向に、内容的には道徳・規範教育そのものである「実践力」とする能力のモデル図(国立政策研究所)が資料として登場している。
道徳科設置の構想は道徳教育のあり方の問題だけではなく、学校全体の方向を変えるように動いている感がある。ここでは紙面の都合で、学習指導要領の目標・内容・指導の一部についてのみ検討する。
◆ 学習指導要領「総則」「道徳科」の目標は国家の求める人材育成
総則の目標は、「道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする」とある。
改訂前の目標は、「…人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、公共の精神を尊び、社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」であった。
大きく違ったように見えるが、改訂前の目標であった同じこの文章が、末尾のみ変えて「……主体性のある日本人の育成に資することとなるよう特に配慮しなければならない」として、上記の目標の後に記されており、解説書では「特に留意する事項」として記している。目標と「特に留意する事項」はどう関係しているのかの説明はない。
一方、学習指導要領「道徳科」の目標は、改訂前の「道徳的実践力を育成する」を「道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」などに改めたとされるが、改訂前と同様「道徳性の様相」(2008年版解説書)を示す用語で表されている。
ただ、今回の解説書には、「総則の…目標に基づき」の一言だけで、上記の総則の目標・留意事項について具体的には何も書かれていないという前回と大きな違いがあり、「特に留意する事項」は見落とされる可能性が高い。
このような目標の示し方は、道徳科が国家の求める人材養成を意図しているとの教科化批判をかわす方策のように見える。
◆ 内容について
○「内容項目」と「端的に表す言葉」で示す
内容は、「内容項目」(短い文章)と「それを端的に表す言葉」からなる。
「端的に表す言葉」とは、改訂案のキーワードが「端的に表す言葉」によったものである。別の箇所では、道徳的価値という言葉も使われているが、いずれの用語を使おうとも、正直・誠実・親切・思いやり等々、それは歴史的には徳目と呼ばれてきたものと違わない。
また、「内容項目」の文章はすべて「○○する、行うこと」という指示の文体をとっている。その項目数は、小学校低・中・高学年、中学校とも、およそ20前後である。
4つの柱別(省略)でみると最も多いのは、3の柱(集団や社会に関すること)で、およそ4割がここにある。
さらに、内容項目は複数の道徳的価値が含まれているのでそれを価値別にカウントするとおよそ40になる。これを4つの柱別でみると上記と同様に3の柱で中学校では約44%を占める。以上から、道徳科で重視していることは3の柱であり、1と2の柱のは、3に向かう人間ということが内容になる。
○目標と内容の関連について
ところで、一般に、内容は目標に即して具体化される。
ここでは目標については教育基本法との関係を縷々述べるが、そのことと上記の内容との関係について説明はない。
「児童一人一人が道徳的価値観を形成する上で必要なものをとりあげている」と述べるが、取りあげる客観的選択の基準の説明が必要なのである。
しかし、その説明はおそらくできないのではないかと思われる。なぜなら「内容」が先にありきで進んできているからである。
さらに、総則では、「道徳科を要として学校教育を通じて行う道徳の内容は、特別の教科道徳の第2に示す内容」となると規定した。
このことは、各教科の独自の内容に十二分な道徳的内容が含まれている事、及び、そうした実践を否定する見解ではないかと疑う。
◆ 子どもの主体性のとらえかた
道徳教育について「特定の価値観を押し付けたり主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは道徳教育の対極にあるものといわねばならない」。
この文章は、中央教育審議会答申にも学習指導要領にも度々登場する。
「物事を多面的・多角的に考える」「考える道徳」「問題解決的な学習を取り入れる」等々の文言を目にする時、上記の、押しつけ以外の何もでもない内容の示し方との齟齬をどう解釈すればいいのか、この間、筆者は考え続けてきたが、その答えは解説書にあった。
「道徳科は、…道徳的価値を自分とのかかわりの中で捉える時間である。したがって、児童が道徳的価値を自覚するように指導方法の工夫に努めなければならない」(指導の方針)「児童が・・・道徳的価値の意義およびその大切さの理解が必要になる」(道徳科の目標)とある。
つまり、価値・行動を押しつけてはいけないが、学習指導要領が示す道徳的価値・行動を自ら我がものにするよう指導することが道徳教育だと述べている。
しかし、普通それは、子どもの心の、誘導・操作・教化というものであって主体性を尊重することではない。
主体的とは他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさまであり、主体性とは主体的であること。またそういう態度をいう(広辞苑第六版)のではないか。
◆ 教育基本法の「学問の自由を尊重し……」の意味の確認
教育基本法の教育の目標の前段にある、学問の自由を尊重し……は、憲法第23条でも謳っている理念である。
それは、学問の自由が認められず、且つ、学問と教育は別とし、為政者の意向を強く汲んだ教育であったことへの強い反省から位置づけた条文・文言である。
教科として成立する条件は、その内容が科学的・学問的で、国民が合意できる客観的なものであるか否かである。強いて言えば、国民が今、合意したと見なされるのは、憲法の条項でしかない。
時の政府の意向を強く反映させた内容を教科にすることは、戦前の轍を踏んでいるのである。(つるたあっこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 103号』(2015.8)
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