《教科書ネット21ニュースから》
◆ なぜ、「コロナで休校は必要だったのか」が議論されないのか?
◆ 「9月入学」騒動は止まったが…
「9月入学」の騒動は、自民党・安倍政権がすぐに実施することはあきらめ、事実上、止まった。
「9月入学」については、日教組、全教も反対の声を上げ、日本教育学会も反対の声を上げ、教育研究者からも多くの反対意見が具体的な問題点も示しつつ出されている。一部のタレント教育評論家はテレビで推進の論陣を張っているが、当面の「勝負」はついた。
とはいえ、このまま「よかった」「よかった」と忘れ去ってしまっていいのか?私には疑問が残る。
というのも、「9月入学」について議論するのは結構なのだが、そもそも、その議論のきっかけとなったのは、「コロナ休校で学校に通えなくなっている子どもたちが教育を十分に受けられるように入学時期をずらしたらどうか」といったものだった。
私は、かなりの衝撃を受けた。子どもたちの学校で学ぶ権利が侵害されていることにこれほどまで無頓着で能天気な議論がありうるのかと思った。
◆ 「コロナ休校」の実態
休校の実態を私の息子のケースで紹介したい。
私の息子は、今年2020年4月に東京・杉並区立の小学校に入学した。4月6日に入学式が開かれた。その翌日から、休校に突入した。
教科書も、先生から子どもに直接、渡されるのではなく、4月8日に保護者が受け取った。「学校に子どもを来させてはならない」という教育委員会の方針だったことが後にわかった。
子どもは、休校で学校には行けなかったが、杉並区の運営する学童保育はやっていたので、朝から学校ではなく学童保育に通った。給食がないため毎朝、弁当を持って通っていた。
学校教育を受けられないことは大間題だったが、それでも、子どもどうしが出会える場であった学童保育につながっていた4月7日から4月10日まではよかった。
その後は、小学校も学童保育もまったく何もない状況に突入した。
子どもが子どもどうしでだれとも会えなくなった。学校にも学童保育にも行けないからである。
「休校」というと、「勉強の遅れ」といった内容の問題が指摘されるが、それ以上に子どもの社会的関係を断ち切ったという点が非常に大きかったのではないか。
国や都は、在宅ワークを推奨し、妻も基本的に在宅ワークとなった。私は大学の非常勤講師の仕事はあるが、基本的に失業中で自宅にいる時問がもともと長い状況にあった。
狭い賃貸マンションに3人が丸一日「ステイホーム」というのは、安倍首相のようにゆったりと犬をなでてお茶を飲むなどという優雅な世界ではない。
子どもをどこかに連れて行かないと何もできない。妻と私とで交代で外に子どもを連れ出す。と言っても、地域の公園で遊ばせるのと、必要な食品、日用品をスーパーなどに買いに行くときに連れ出すくらいしかない。
これを丸々2カ月間(我が家の場合は新入生だったので2カ月間だったが、緊急事態宣言が出る前の期開もあわせると3カ月近くという家庭もあった)続けたのだから、普通の状態ではない。
ストレスは、子どもにも大きくかかっていたし、親にもかなりのストレスとなっていた。
経済状況が悪化する中で、親にも精神的余裕がなくなった家庭もあっただろう。もともと虐待リスクのあった家庭などの場合は、虐待が激しくなるなどもあったかもしれない。
最初は、緊急事態宣言が5月6日までということだったので、休校も5月6日までを想定されていた。ただ、4月末くらいになれば、「このまま緊急事態宣言が明けることもないだろうし、休校も継続するのか」と不安と不満が募ることとなった。
というのも、子どもはまったく学校教育を受けていない。毎日の通学ではなくても登校日が設けられるべきではないのか、感染リスクに配慮した分散登校などもありうるのではないかと思っていたが、そもそも学校から「なぜ休校なのか」という説明はいっさいなかった。
◆ 学校は意思決定ができない構造
それなら教育委員会は
4月の後半に小学校の担任の教師から電話がようやくあった。子どもと電話で話して状況把握をするということのようだった。
担任の教師には、私の思いを伝えた。
「せめて登校日を設けるべきではないのか?」
「虐待が起こっていたらどうするのか?あれだけ深刻な虐待死事件が起こった後の対応としては問題があるのではないか」
「学校からはHPに掲載されたプリントを印刷して勉強するようにということだが、勉強の習慣がない子どもが勉強できるのか?」
「そもそもプリンターはどこの家庭にもあるわけではない。印刷したものを配布する必要があるのではないか」
「世間ではオンライン教育が云々されているが、オンライン教育は学校教育に代わりようがないのではないか」
「スーパーが開店しているのに、大切な学校が閉まっているのはおかしいのではないのか?部分的にでも学校に通える努力をすべきではないのか?」等々。
私は思っていることをすべて伝えた。
小学校は、数日後に、校長、副校長、担任の御三方が私と会ってくださった。保護者の疑問に、忙しい中、1時間以上も対応して頂いた。校長からの説明をまとめるとこうだ。
「小学校としては、登校日を設けたいし設ける予定だったのだが、教育委員会の方針でできないでいる」、
「オンライン教育が学校教育に代わるなどということはありえない。早く学校を再開したい」。
ここで、私は東京都教育委員会と杉並区教育委員会の決定に縛られて学校の独自の意思決定ができない構造になっていることを理解した。
そこで、5月13日と5月27日に開かれた杉並区教育委員会の定例会を傍聴してみた。
学校に通えないでいる小学校1年生の息子を連れてである。
教育委員会を傍聴して驚いたのは、学校を閉鎖するという重大な事態である休校について、その是非や、どうやって学校を再開するかなどということについて、まったく議題になっていないことだった。
5月27日の教育委員会では、学校の再開が決まっていて再開後の学校の感染防止の手段などが報告・議論されていた。
つまり、学校をいつ、どのように再開するかということについては、教育委員会では実質的な議論がなされていなかった。教育委員会の空洞化が問題になっていると聞いてはいたが、これでは役割を果たしていないではないかと憤りが増した。
◆ 「休校」についての検証を
6月1日からようやく学校が部分的に始まった。学童保育も再開された。
息子が学校教育から排除され、子どもから孤立させられた2カ月間が終わった。
これが全国的規模で起こったことを思うと、その損害は計り知れない。
その間、虐待は、どこかで確実に起こっている。深刻な状況もあったかもしれない。
メディアではあいかわらず「9月入学」の是非ばかりが議論されている。「休校が必要だったのか?」を正面から議論すべきではないのか?
東京都議会議員から聞いた話だと、「早く休校をやめさせろ」という意見と「学校を再開するな」という意見との両方が多数寄せられていたという。
この結果として、「休校」について明快な主張は、どの政党からも出てこないままに現在に至っている。
日本小児科学会は、5月20日に「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」を発表し、「教育・保育・療育・医療福祉施設等の閉鎖が子どもの心身を脅かしており、小児に関してはCOVID-19関連健康被害の方が問題と思われる」と指摘している。
そもそも休校は子どもの健康にとってコロナ以上に有害だったというのが日本小児科学会の医学的結論である。
いずれ、またコロナか新しい感染症が流行するときに、学校を安易に閉鎖することがないように、この数カ月間の「休校」についての検証が不可欠であるように思う。
『子どもと教科書全国ネット21NEWS 132号』(2020年6月15日)
◆ なぜ、「コロナで休校は必要だったのか」が議論されないのか?
河添 誠(かわそえまこと・小学校1年生の保護者)
◆ 「9月入学」騒動は止まったが…
「9月入学」の騒動は、自民党・安倍政権がすぐに実施することはあきらめ、事実上、止まった。
「9月入学」については、日教組、全教も反対の声を上げ、日本教育学会も反対の声を上げ、教育研究者からも多くの反対意見が具体的な問題点も示しつつ出されている。一部のタレント教育評論家はテレビで推進の論陣を張っているが、当面の「勝負」はついた。
とはいえ、このまま「よかった」「よかった」と忘れ去ってしまっていいのか?私には疑問が残る。
というのも、「9月入学」について議論するのは結構なのだが、そもそも、その議論のきっかけとなったのは、「コロナ休校で学校に通えなくなっている子どもたちが教育を十分に受けられるように入学時期をずらしたらどうか」といったものだった。
私は、かなりの衝撃を受けた。子どもたちの学校で学ぶ権利が侵害されていることにこれほどまで無頓着で能天気な議論がありうるのかと思った。
◆ 「コロナ休校」の実態
休校の実態を私の息子のケースで紹介したい。
私の息子は、今年2020年4月に東京・杉並区立の小学校に入学した。4月6日に入学式が開かれた。その翌日から、休校に突入した。
教科書も、先生から子どもに直接、渡されるのではなく、4月8日に保護者が受け取った。「学校に子どもを来させてはならない」という教育委員会の方針だったことが後にわかった。
子どもは、休校で学校には行けなかったが、杉並区の運営する学童保育はやっていたので、朝から学校ではなく学童保育に通った。給食がないため毎朝、弁当を持って通っていた。
学校教育を受けられないことは大間題だったが、それでも、子どもどうしが出会える場であった学童保育につながっていた4月7日から4月10日まではよかった。
その後は、小学校も学童保育もまったく何もない状況に突入した。
子どもが子どもどうしでだれとも会えなくなった。学校にも学童保育にも行けないからである。
「休校」というと、「勉強の遅れ」といった内容の問題が指摘されるが、それ以上に子どもの社会的関係を断ち切ったという点が非常に大きかったのではないか。
国や都は、在宅ワークを推奨し、妻も基本的に在宅ワークとなった。私は大学の非常勤講師の仕事はあるが、基本的に失業中で自宅にいる時問がもともと長い状況にあった。
狭い賃貸マンションに3人が丸一日「ステイホーム」というのは、安倍首相のようにゆったりと犬をなでてお茶を飲むなどという優雅な世界ではない。
子どもをどこかに連れて行かないと何もできない。妻と私とで交代で外に子どもを連れ出す。と言っても、地域の公園で遊ばせるのと、必要な食品、日用品をスーパーなどに買いに行くときに連れ出すくらいしかない。
これを丸々2カ月間(我が家の場合は新入生だったので2カ月間だったが、緊急事態宣言が出る前の期開もあわせると3カ月近くという家庭もあった)続けたのだから、普通の状態ではない。
ストレスは、子どもにも大きくかかっていたし、親にもかなりのストレスとなっていた。
経済状況が悪化する中で、親にも精神的余裕がなくなった家庭もあっただろう。もともと虐待リスクのあった家庭などの場合は、虐待が激しくなるなどもあったかもしれない。
最初は、緊急事態宣言が5月6日までということだったので、休校も5月6日までを想定されていた。ただ、4月末くらいになれば、「このまま緊急事態宣言が明けることもないだろうし、休校も継続するのか」と不安と不満が募ることとなった。
というのも、子どもはまったく学校教育を受けていない。毎日の通学ではなくても登校日が設けられるべきではないのか、感染リスクに配慮した分散登校などもありうるのではないかと思っていたが、そもそも学校から「なぜ休校なのか」という説明はいっさいなかった。
◆ 学校は意思決定ができない構造
それなら教育委員会は
4月の後半に小学校の担任の教師から電話がようやくあった。子どもと電話で話して状況把握をするということのようだった。
担任の教師には、私の思いを伝えた。
「せめて登校日を設けるべきではないのか?」
「虐待が起こっていたらどうするのか?あれだけ深刻な虐待死事件が起こった後の対応としては問題があるのではないか」
「学校からはHPに掲載されたプリントを印刷して勉強するようにということだが、勉強の習慣がない子どもが勉強できるのか?」
「そもそもプリンターはどこの家庭にもあるわけではない。印刷したものを配布する必要があるのではないか」
「世間ではオンライン教育が云々されているが、オンライン教育は学校教育に代わりようがないのではないか」
「スーパーが開店しているのに、大切な学校が閉まっているのはおかしいのではないのか?部分的にでも学校に通える努力をすべきではないのか?」等々。
私は思っていることをすべて伝えた。
小学校は、数日後に、校長、副校長、担任の御三方が私と会ってくださった。保護者の疑問に、忙しい中、1時間以上も対応して頂いた。校長からの説明をまとめるとこうだ。
「小学校としては、登校日を設けたいし設ける予定だったのだが、教育委員会の方針でできないでいる」、
「オンライン教育が学校教育に代わるなどということはありえない。早く学校を再開したい」。
ここで、私は東京都教育委員会と杉並区教育委員会の決定に縛られて学校の独自の意思決定ができない構造になっていることを理解した。
そこで、5月13日と5月27日に開かれた杉並区教育委員会の定例会を傍聴してみた。
学校に通えないでいる小学校1年生の息子を連れてである。
教育委員会を傍聴して驚いたのは、学校を閉鎖するという重大な事態である休校について、その是非や、どうやって学校を再開するかなどということについて、まったく議題になっていないことだった。
5月27日の教育委員会では、学校の再開が決まっていて再開後の学校の感染防止の手段などが報告・議論されていた。
つまり、学校をいつ、どのように再開するかということについては、教育委員会では実質的な議論がなされていなかった。教育委員会の空洞化が問題になっていると聞いてはいたが、これでは役割を果たしていないではないかと憤りが増した。
◆ 「休校」についての検証を
6月1日からようやく学校が部分的に始まった。学童保育も再開された。
息子が学校教育から排除され、子どもから孤立させられた2カ月間が終わった。
これが全国的規模で起こったことを思うと、その損害は計り知れない。
その間、虐待は、どこかで確実に起こっている。深刻な状況もあったかもしれない。
メディアではあいかわらず「9月入学」の是非ばかりが議論されている。「休校が必要だったのか?」を正面から議論すべきではないのか?
東京都議会議員から聞いた話だと、「早く休校をやめさせろ」という意見と「学校を再開するな」という意見との両方が多数寄せられていたという。
この結果として、「休校」について明快な主張は、どの政党からも出てこないままに現在に至っている。
日本小児科学会は、5月20日に「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」を発表し、「教育・保育・療育・医療福祉施設等の閉鎖が子どもの心身を脅かしており、小児に関してはCOVID-19関連健康被害の方が問題と思われる」と指摘している。
そもそも休校は子どもの健康にとってコロナ以上に有害だったというのが日本小児科学会の医学的結論である。
いずれ、またコロナか新しい感染症が流行するときに、学校を安易に閉鎖することがないように、この数カ月間の「休校」についての検証が不可欠であるように思う。
『子どもと教科書全国ネット21NEWS 132号』(2020年6月15日)
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