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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

ひめゆり生存者高齢化で、戦争体験証言講話終了

2015年03月21日 | 平和憲法
 ◆ ひめゆり、最後の語り

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、看護活動に動員され半数以上が亡くなった「ひめゆり学徒隊」による講話が、今月末で終わる九人の証言者は全員八十代で、活動の継続が難しくなった。戦争の記憶をどう伝えていくかー。「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)では、若い世代が証言をつないでいく準備を進めている。
 ◆ 月末終了 若手に託す
 「私にとって体験を語ることは、失った仲間を弔うことでもあった」。二月上旬の資料館。島袋淑子館長(87)は東京都内の高校生約百人に語り掛けた。
 当時十七歳で、一九四五年三月下旬から、同県南部の壕で負傷兵の看護や食事作りをした。壕の中は腐乱臭などが充満し、手や足を失った兵隊が「水をくれ」とうめく声が一日中響いた。
 動員からニカ月半余、突然、解散命令が出た。砲撃の中を仲間と逃げ惑い六月二十三日、沖縄戦の終結を迎えた。教師を含め二百四十人の学徒隊のうち百三十六人が命を落とした。島袋さんの左腕には砲弾を浴びた際の破片が今も残る。
 動員拠点の陸軍病院跡に資料館が開設され、「ひめゆり」による講話が本格化したのは八九年だ。「生き残ったことへの罪悪感」などから、島袋さんが「戦争の悲惨さを伝えなくては」と決意するまで四十年以上の歳月が必要だった。
 資料館には多くの修学旅行生が訪れ、二〇一一年度には過去最高の二千四百十三校が来館した。壕内見学に立ち会ったり、宿泊ホテルに出向いたりする「出張講話」にも取り組んだ。
 しかし、戦後七十年を迎え、当初二十七人いた証言者は九人に減り、現在の最高齢は八十九歳。館外での講話は一三年秋で終了したが、一日一回の団体向け館内講話も、「高齢化で半年先の予約を受けるごとが難しい」と昨夏、今月末で終えることを決めた。
 資料館では「ひめゆり」の体験を後世につなぐため、十年ほど前から取り組みを進めてきた。証言をビデオに記録する一方、二十代と三十代の職員三人を後継の「説明員」に採用し、四月から「平和講話」を任せる。
 島袋さんは「若い世代の職員は時間をかけ戦争の歴史を学んできた。新しい形で記憶をつないでいきたい」と語った。
『東京新聞』(2015/3/19【話題の発掘】)

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