◆ むのたけじ賞 (東京新聞【本音のコラム】)
百一歳で亡くなるまで、むのたけじさんは戦争反対を叫びつづけていた。
「ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ」。
従軍記者として目撃した戦争の醜さ、加害者の犯罪性批判が、むのさんの戦争反対の原点だった。
敗戦を迎えたあと「戦意昂揚(こうよう)の旗振り役」だった、と自己批判、その責任をとって朝日新聞記者をやめた。その決断の潔さはよく知られている。
そのあと、むのさんは秋田県横手市に帰郷。徒手空拳、週刊「たいまつ」を発刊。地域から日本を変えるために三十年間奮闘、休刊後もひとびとを励ます文章を書きつづけ二年前に他界した。
その精神と肉体の強靱(きょうじん)さは、ジャーナリズム史上に燦然(さんぜん)と輝いている。
むのさんの終焉(しゅうえん)の地である埼玉県の市民運動グループが、協同で「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」を創設することになり、私も落合恵子さん、佐高信さんなどと呼びかけ人になった。
地域紙や出版、ドキュメンタリー映画など、地域の問題に果敢に取り組んでいるひとや集団を顕彰しようという取り組みである。
「野の遺賢」に光を与えたい、というのが趣旨で、賛同する市民の浄財で運営を賄う。
賞とは無縁の生涯だったむのさんに「おれが欲しかつたよ」と喜んでもらえるような賞になればいいな。(ルポライター)
『東京新聞』(2018年10月23日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
百一歳で亡くなるまで、むのたけじさんは戦争反対を叫びつづけていた。
「ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ」。
従軍記者として目撃した戦争の醜さ、加害者の犯罪性批判が、むのさんの戦争反対の原点だった。
敗戦を迎えたあと「戦意昂揚(こうよう)の旗振り役」だった、と自己批判、その責任をとって朝日新聞記者をやめた。その決断の潔さはよく知られている。
そのあと、むのさんは秋田県横手市に帰郷。徒手空拳、週刊「たいまつ」を発刊。地域から日本を変えるために三十年間奮闘、休刊後もひとびとを励ます文章を書きつづけ二年前に他界した。
その精神と肉体の強靱(きょうじん)さは、ジャーナリズム史上に燦然(さんぜん)と輝いている。
むのさんの終焉(しゅうえん)の地である埼玉県の市民運動グループが、協同で「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」を創設することになり、私も落合恵子さん、佐高信さんなどと呼びかけ人になった。
地域紙や出版、ドキュメンタリー映画など、地域の問題に果敢に取り組んでいるひとや集団を顕彰しようという取り組みである。
「野の遺賢」に光を与えたい、というのが趣旨で、賛同する市民の浄財で運営を賄う。
賞とは無縁の生涯だったむのさんに「おれが欲しかつたよ」と喜んでもらえるような賞になればいいな。(ルポライター)
『東京新聞』(2018年10月23日【本音のコラム】)
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