皆様へ、日中友好と教育の自由のために〈中国通信1570〉を送ります。重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。*記事の中国語原文については大幅に(略)しています。全文を読みたい方はご連絡ください。
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◆ 蒋豊:日本は歴史の結節点に直面している
2018-08-15 ?球?? 蒋? 原文:環球時報 作者:蒋豊
(日本語訳の簡約:近藤)
1年に1度の“8・15”。中国を含む日本の侵略を受けた国ではこの日を日本の“敗戦日”と呼んできたが、73年来、日本は“終戦日”と呼んできた。
これは文字上の違いだけではなく歴史観“戦争責任観”の問題である。
来年4月には明仁天皇が退位し、今年は最後の“全国戦没者追悼式”である。
1868年江戸幕府を転覆させて以来、日本は近代において明治・大正・昭和・平成という4つの異なる朝廷の時代を経てきたが、平成だけは対外戦争のない時代であったが、それも次第に薄れ、哀愁との別れが始まっている。
指摘すべきは、明仁天皇は追悼式での200字、3分間の講話を自分で作っているが、ここ3年いかなる変化もないことである。
昭和天皇は次々と侵略戦争を発動した。明仁天皇は戦前生まれで、父子は共に神格化され、戦争“当事者”である。
明仁天皇の近年の講話から見られるのは、もちろん父・昭和天皇を明確に非難してはいないが、記憶にある3歳半、つまり日本が1937年“盧溝橋事変”を起こし300万以上がなくなったことを語っている。
そして、日本は“満州事変”(918事変)から始まった戦争の歴史をしっかり学び、今後の歩みにおいては戦争の歴史・惨禍を次の世代に伝えていくことを強調している。
この他、明仁天皇は日本各地及び海外の戦場を訪れ、慰霊・追悼しているが、これは昭和天皇にはなかった。
このため、ある人は、“父に代わって謝罪している”とかいう。
それも今年で終わり、戦後生まれの天皇によって、戦争体験もなく、歴史観・戦争観は父、祖父を受け継ぐのだろうか、どんな変化があるのか、注目される。
明仁天皇は在位の最後5年、再び首相に就任した安倍首相と過ごした。
明仁天皇が平和を追求するのとは異なり、安倍は頻繁に“改憲”を追求している。
実際に、日本の“改憲”とは、“平和憲法”の改正で、戦争の核心に関しては、日本が再び参戦可能、戦争国家に介入することになる。
また、靖国問題に注目するのは、安倍は言うべきことを言い、するべきことをするのである。
靖国は安倍においてはすでに単なる信仰ではなく、一つの看板である。
いつ出すか、いつ引っ込めるか、全ては彼の政治的信念次第である。
戦後73年、明仁天皇は間もなく退位し、改憲を推進する安倍首相は9月自民党総裁に継続選任され、任期内に改憲の“大業”を目指す。
この点から、日本はまさに一つの歴史の結節点に直面していると言える。
はっきりしているのは、日本の隣国中国の発展につれて、日本の極端な勢力の制圧力がますます大きくなっている。
“戦えば両者とも傷つき、協力すれば両者とも利を得る”、これは、日本の当面の隣国との交流のことだけではなく、日本が73年前の戦争から導き出した血の教訓である。
(作者は日本通の中文マスコミ人)編集責任:?建?
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◆ 《終戦の日、平成最後の追悼式 首相が不戦の決意表明》
朝日新聞 2018/08/15 12:06
《・・1993年の細川護熙氏以降、歴代首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れ、「深い反省」や「哀悼の意」などを表明してきたが、安倍首相は第2次政権発足後、6年連続で加害責任に言及しなかった。正午から参列者全員で黙祷(もくとう)した後、天皇陛下が「おことば」を述べた。おことばでは「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という表現を盛り込み、「戦争の惨禍が再び繰り返されぬこと」を切に願うとした。・・》
安倍首相の式辞
《・・未(いま)だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも脳裡(のうり)から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう全力を尽くしてまいります。》
全国戦没者追悼式への出席を前に、沖縄戦で戦死した父親の武村茂雄さんについて語る重田美津子さん(毎日新聞)
*“平和な歳月”は過去のものとなるのか?“英霊”は隣の靖国(玉串料を奉納)に戻ったが“遺骨”は帰っていないということか?
天皇が“平和”を語り、安倍が“英霊”を語るタッグが続いてきた。(近藤)
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◆ 蒋豊:日本は歴史の結節点に直面している
2018-08-15 ?球?? 蒋? 原文:環球時報 作者:蒋豊
(日本語訳の簡約:近藤)
1年に1度の“8・15”。中国を含む日本の侵略を受けた国ではこの日を日本の“敗戦日”と呼んできたが、73年来、日本は“終戦日”と呼んできた。
これは文字上の違いだけではなく歴史観“戦争責任観”の問題である。
来年4月には明仁天皇が退位し、今年は最後の“全国戦没者追悼式”である。
1868年江戸幕府を転覆させて以来、日本は近代において明治・大正・昭和・平成という4つの異なる朝廷の時代を経てきたが、平成だけは対外戦争のない時代であったが、それも次第に薄れ、哀愁との別れが始まっている。
指摘すべきは、明仁天皇は追悼式での200字、3分間の講話を自分で作っているが、ここ3年いかなる変化もないことである。
昭和天皇は次々と侵略戦争を発動した。明仁天皇は戦前生まれで、父子は共に神格化され、戦争“当事者”である。
明仁天皇の近年の講話から見られるのは、もちろん父・昭和天皇を明確に非難してはいないが、記憶にある3歳半、つまり日本が1937年“盧溝橋事変”を起こし300万以上がなくなったことを語っている。
そして、日本は“満州事変”(918事変)から始まった戦争の歴史をしっかり学び、今後の歩みにおいては戦争の歴史・惨禍を次の世代に伝えていくことを強調している。
この他、明仁天皇は日本各地及び海外の戦場を訪れ、慰霊・追悼しているが、これは昭和天皇にはなかった。
このため、ある人は、“父に代わって謝罪している”とかいう。
それも今年で終わり、戦後生まれの天皇によって、戦争体験もなく、歴史観・戦争観は父、祖父を受け継ぐのだろうか、どんな変化があるのか、注目される。
明仁天皇は在位の最後5年、再び首相に就任した安倍首相と過ごした。
明仁天皇が平和を追求するのとは異なり、安倍は頻繁に“改憲”を追求している。
実際に、日本の“改憲”とは、“平和憲法”の改正で、戦争の核心に関しては、日本が再び参戦可能、戦争国家に介入することになる。
また、靖国問題に注目するのは、安倍は言うべきことを言い、するべきことをするのである。
靖国は安倍においてはすでに単なる信仰ではなく、一つの看板である。
いつ出すか、いつ引っ込めるか、全ては彼の政治的信念次第である。
戦後73年、明仁天皇は間もなく退位し、改憲を推進する安倍首相は9月自民党総裁に継続選任され、任期内に改憲の“大業”を目指す。
この点から、日本はまさに一つの歴史の結節点に直面していると言える。
はっきりしているのは、日本の隣国中国の発展につれて、日本の極端な勢力の制圧力がますます大きくなっている。
“戦えば両者とも傷つき、協力すれば両者とも利を得る”、これは、日本の当面の隣国との交流のことだけではなく、日本が73年前の戦争から導き出した血の教訓である。
(作者は日本通の中文マスコミ人)編集責任:?建?
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◆ 《終戦の日、平成最後の追悼式 首相が不戦の決意表明》
朝日新聞 2018/08/15 12:06
《・・1993年の細川護熙氏以降、歴代首相は式辞でアジア諸国への加害責任に触れ、「深い反省」や「哀悼の意」などを表明してきたが、安倍首相は第2次政権発足後、6年連続で加害責任に言及しなかった。正午から参列者全員で黙祷(もくとう)した後、天皇陛下が「おことば」を述べた。おことばでは「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という表現を盛り込み、「戦争の惨禍が再び繰り返されぬこと」を切に願うとした。・・》
安倍首相の式辞
《・・未(いま)だ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも脳裡(のうり)から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう全力を尽くしてまいります。》
全国戦没者追悼式への出席を前に、沖縄戦で戦死した父親の武村茂雄さんについて語る重田美津子さん(毎日新聞)
*“平和な歳月”は過去のものとなるのか?“英霊”は隣の靖国(玉串料を奉納)に戻ったが“遺骨”は帰っていないということか?
天皇が“平和”を語り、安倍が“英霊”を語るタッグが続いてきた。(近藤)
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