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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大津波に呑まれた大川小学校のこどもたち

2011年04月29日 | フクシマ原発震災
 どんなに理不尽であろうと失われた命は帰ってきません。
 この上いま生きている子どもたちの命を見殺しに出来るでしょうか?
 死んで痛ましいのは、津波でも、放射能でも、一緒です。


 『原子力発電を考える石巻市民の会』(2011年4月16日)
 ▼ 大津波に呑まれた大川小学校のこどもたち
   108人の全校児童中64人死亡、10人行方不明


 (略)北上川の右岸に沿って道を下り釜谷(かまや)の新北上大橋に近づいて初めて、対岸には渡れなくなっていることに気づきました。橋の一部が対岸の手前でなくなっていたのです。
 杖を頼りに橋のたもとに立つと、近くに建つ大川小学校の土砂に覆われた姿が目に入りました。津波で108人の全校児童中64人が亡くなり、10人が行方不明となった石巻市立の小学校です
 以下の写真は、娘と見て回ったその大川小のありさまです。
◆ ◆ ◆

 土砂で埋まった校門にはいくつもの花束がささげられていた。
 教員も、当時学校にいた11人(事務員1人を含む)のうち9人が亡くなり1人が行方不明だという。

 ★児童たちが津波に飲まれた前後の事情は、『証言3・11:東日本大震災 児童、泣き叫び嘔吐 学校最多の犠牲者、石巻市立大川小』(毎日新聞4月19日付)で知ることができます(地図と大川小の航空写真付き)。

二階の教室に流れ込んだ大量の土砂が下に流れ落ちていた。


卒業生たちが思いを込めてかいた宮沢賢治の影絵と言葉と手をつなぐ世界のこどもたち。

『原子力発電を考える石巻市民の会』(2011年4月16日)
http://shiminnokai.info/cat58/okawasho.html
 ↑ 写真多数。全文はリンク先でご覧下さい。

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