<はたらく>人生の幸福を実現する活動
◆ 「働くこと」の意味 佐藤・早稲田大教授に聞く (TOKYO Web)
労働時間にかかわらず成果で給与を支払う「残業代ゼロ」制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)。制度導入を進める議論では、働くことの根本が問われている。「働く」とは何か。働くことを成果と結び付ける考え方は、どこから来るのか。現代哲学の視座から社会問題を考察する早稲田大文学部の佐藤真理人教授(66)に聞いた。 (三浦耕喜)
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-残業代ゼロ制度で安倍政権は「時間ではなく、成果で評価される働き方」を唱えている。何時間働いたからではなく、これだけの結果を出せば、いくらの給料を出すという方向へと、働くことの評価を変えるという議論だが。
「この議論には、『働く』という日本語にある二つの意味が、混在しているように思う。
一つの意味は、英語で言えば『labor(レイバー)』だ。ラテン語系の言葉で、『苦役』というイメージが強い。働くのは奴隷の役目だった古代ギリシャ・ローマの歴史が背景にあるからだ」
-働くことはつらいことだという認識があると?
「ええ。だが、苦役ととらえるからこそ、人間らしい暮らしを営むためには、できるだけ苦役は減らした方が望ましいという考え方になる。時間で評価するのも、働き過ぎを避ける目的があるからだ。労使関係、労働運動の文脈では、基本的にレイバーという言葉が使われるのはそのためだ」
-確かに、働く者の保護に当たる労働省は、米国では「Department of Labor」だ。もう一つの意味とは何か。
「『work(ワーク)』です。レイバーに対して、ゲルマン語系のこの言葉には、マイナスのイメージはない。レイバーが無理に強いられる働きなのに対し、ワークは自主的に活動をなすという意味がある」
-自主的に働くのであれば、職人や芸術家の働き方というイメージだが。
「だからこそ、彼らが活動の結果、なした成果を『ワーク(作品)』と呼ぶ」
-すると、安倍首相は働くことの考え方を苦役であるレイバーから脱却させようと言っているのか。これからは自主的な活動で成果を出すワークなのだと。
「そうかもしれない。人を動かす側の論理は常に策略的で、心地よい言葉でそう信じさせてしまう。だが、現実を見てほしい。非正規雇用、ブラック企業、長時間労働、過労死、低賃金など、以前に比べ、現在の働くことは、『苦役』という側面がますます強くなっている。レイバーとしての苦役の現実で、ワークだからと成果を求められたらどうなるか。奴隷にむち打つようなものだ」
-働く現場の厳しい現実を直視しないと、成果は求められないはずだと。
「その『成果』というものも、一体だれのために、だれが決める成果なのかを問う必要がある。使う側が決めるなら、企業の利益のためになるほかない。人の生活を向上させることを、この政権はどう考えているのか疑問だ」
-働くことをめぐる二重の意味に、働く側は気を付けなければならないと。
「もちろん、レイバーとワークは混然一体で、働くことの楽しみも、苦しみの中にこそある。私も自分で選んだ職業だが、日々の職務に忙殺され、好きなことができるのは三割もない。それでも、本来、働くとは、自分の人生の幸福を実現するための活動だ。それを妨げようとするものに対して、働く者は闘わなくてはならない。それもまた、意味のある『ワーク』といえるだろう」
さとう・まりと 1948年生まれ、早稲田大第一文学部卒、同大文学部教授。ドイツ・フランスの実存哲学を主に研究。社会に対する哲学の応用を模索する「早稲田大学交域哲学研究所」の所長を務める。
『東京新聞』(2014年7月25日【暮らし】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2014072502000178.html
◆ 「働くこと」の意味 佐藤・早稲田大教授に聞く (TOKYO Web)
労働時間にかかわらず成果で給与を支払う「残業代ゼロ」制度(ホワイトカラー・エグゼンプション)。制度導入を進める議論では、働くことの根本が問われている。「働く」とは何か。働くことを成果と結び付ける考え方は、どこから来るのか。現代哲学の視座から社会問題を考察する早稲田大文学部の佐藤真理人教授(66)に聞いた。 (三浦耕喜)
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-残業代ゼロ制度で安倍政権は「時間ではなく、成果で評価される働き方」を唱えている。何時間働いたからではなく、これだけの結果を出せば、いくらの給料を出すという方向へと、働くことの評価を変えるという議論だが。
「この議論には、『働く』という日本語にある二つの意味が、混在しているように思う。
一つの意味は、英語で言えば『labor(レイバー)』だ。ラテン語系の言葉で、『苦役』というイメージが強い。働くのは奴隷の役目だった古代ギリシャ・ローマの歴史が背景にあるからだ」
-働くことはつらいことだという認識があると?
「ええ。だが、苦役ととらえるからこそ、人間らしい暮らしを営むためには、できるだけ苦役は減らした方が望ましいという考え方になる。時間で評価するのも、働き過ぎを避ける目的があるからだ。労使関係、労働運動の文脈では、基本的にレイバーという言葉が使われるのはそのためだ」
-確かに、働く者の保護に当たる労働省は、米国では「Department of Labor」だ。もう一つの意味とは何か。
「『work(ワーク)』です。レイバーに対して、ゲルマン語系のこの言葉には、マイナスのイメージはない。レイバーが無理に強いられる働きなのに対し、ワークは自主的に活動をなすという意味がある」
-自主的に働くのであれば、職人や芸術家の働き方というイメージだが。
「だからこそ、彼らが活動の結果、なした成果を『ワーク(作品)』と呼ぶ」
-すると、安倍首相は働くことの考え方を苦役であるレイバーから脱却させようと言っているのか。これからは自主的な活動で成果を出すワークなのだと。
「そうかもしれない。人を動かす側の論理は常に策略的で、心地よい言葉でそう信じさせてしまう。だが、現実を見てほしい。非正規雇用、ブラック企業、長時間労働、過労死、低賃金など、以前に比べ、現在の働くことは、『苦役』という側面がますます強くなっている。レイバーとしての苦役の現実で、ワークだからと成果を求められたらどうなるか。奴隷にむち打つようなものだ」
-働く現場の厳しい現実を直視しないと、成果は求められないはずだと。
「その『成果』というものも、一体だれのために、だれが決める成果なのかを問う必要がある。使う側が決めるなら、企業の利益のためになるほかない。人の生活を向上させることを、この政権はどう考えているのか疑問だ」
-働くことをめぐる二重の意味に、働く側は気を付けなければならないと。
「もちろん、レイバーとワークは混然一体で、働くことの楽しみも、苦しみの中にこそある。私も自分で選んだ職業だが、日々の職務に忙殺され、好きなことができるのは三割もない。それでも、本来、働くとは、自分の人生の幸福を実現するための活動だ。それを妨げようとするものに対して、働く者は闘わなくてはならない。それもまた、意味のある『ワーク』といえるだろう」
さとう・まりと 1948年生まれ、早稲田大第一文学部卒、同大文学部教授。ドイツ・フランスの実存哲学を主に研究。社会に対する哲学の応用を模索する「早稲田大学交域哲学研究所」の所長を務める。
『東京新聞』(2014年7月25日【暮らし】)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2014072502000178.html
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