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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「遅すぎた聖断」が招いた「最後の空襲」の被害

2020年08月15日 | 平和憲法
 ◆ <情報>毎日新聞・栗原俊雄さんから:8月15日文化放送で「玉音放送」特集です。
   皆さま     高嶋伸欣です


 下のメールによれば、明日15日午前11時から、ラジオ文化放送で「玉音放送」の特集番組が企画されています。どのような内容になるかご注目下さい。
 参考までに、「玉音放送」がらみの「最後の空襲」関係資料を添付で紹介いたします。
 75年前の今日14日深夜、米軍の最後の空襲で2200人が亡くなっています
 米軍は、日本政府が10日午前9時に天皇の地位存続を条件にポツダム宣言を受け入れる(降伏する)用意があると連合国側に通告したので、予定していた11日以後の爆撃作戦を中止させます
 けれども、日本政府が連合国から天皇制維持(国体護持)についての明確な回答を求めてその後の時間を浪費したため、業を煮やした米軍は爆撃の再開に踏み切ったのが14日深夜から15日未明への「最後の爆撃」でした。
 「最後の空襲」の死者は、添付の『産経』記事によれば、大阪市359人、埼玉県熊谷市266人、秋田市277人、山口県光市738人、同岩国市517人、さらに群馬県伊勢崎市とその隣接地域で約70人などで2200人を超えています。
 14日夜と言えば、「終戦の詔書」や「玉音放送」の録音はすでにできあがっていました。「あと一日か半日でも早く連合軍に通知されていれば失われないで済んだ命(と財産・家屋など)だったはず」なのですから、やはり「遅すぎた聖断」の責任を問い続ける必要があると思えます。
 ちなみに最後の最後になった空襲は神奈川県小田原市で、12人が死亡、約600戸が焼失しています。熊谷か伊勢崎を空襲したB29のうちの1機が、残っていた焼夷弾を落としたのだと言われています。
*爆弾を機内に残したまま基地に戻って着陸するのは危険なので、帰路の海上に出る前の陸地に落とすのが、爆撃機の流儀でした。
 千葉県九十九里の北の台地の農地では、作業小屋などの新築で掘り下げると錆びていない焼夷弾に行き当たることがあるそうです。
 九十九里は、富士山を目標にして侵入した後に首都圏を爆撃してから会場に脱出するB29の定石コースに位置していました。小田原は、逆のコースの脱出地点の一つであったのが、「最後の最後の被災地」にされた理由という訳です。
 添付資料の『産経』記事は、「ポツダム宣言のあとも爆撃を続けたのでこのように被害が深刻化したのだ」とでも言いたいのではないかと思われます。
 けれども、中学校の歴史教科書には、当時の日本政府について「日本政府は、最後まで降伏後の天皇制の存続の確認に努めていました」と明記されています(日本文教出版)。「聖断」がもっと早ければ「最後の空襲」どころか、『産経』が強調する被害も防げたのだと、中学生でも気づく事柄のはずです。
 「聖断」「玉音放送」から75年目の明日8月15日、ラジオ文化放送だけでなく他局のラジオやテレビ、それに新聞各紙はどのように昭和天皇とその側近たちの判断と行動を位置づけるのでしょうか。
 *それにしても安倍首相は「75年談話」を出す気概などまるで喪失しているようで「70年談話」が忘れ去られているのも当然に思えます。
 以上、また長くなりましたが 久しぶりに国内で8月15日を体験するので幾分か高揚しての私見です。 添付資料類、お役に立てば幸いです。
 ※件名: 毎日新聞・栗原俊雄さんから:8月15日文化放送で「玉音放送」特集です。
 -----Original Message-----

 Subject: 8月15日文化放送で「玉音放送」特集です。
 8月15日(土)11時~13時、ラジオの文化放送で「玉音放送」の特集番組があります。詩人のアーサー・ビナードさんがメインで、当方と研究者の方も出演します。
 「放送」が制作された経緯や歴史的意味について話し合うものです。当方は「聖断のおかげで戦争が終わって、被害の拡大を防いだ」的な「聖断史観」に待ったをかけたいと思っています。もっと早く終わらせるべきだったし、そもそも始めるべきではなかった、と。
 お聴き頂ければ幸いに存じます。
   毎日新聞学芸部記者
   栗原俊雄

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