歓心寺の如意輪観音菩薩に魅了され、ひと時境内の中にいた。
離れがたく意を決して紀州和歌山に向かった。
今、高野山は開創1200年の一大イベントが毎日日替わりで開催されている。
中心寺院の金剛峰寺を中心に壇上伽藍、そして奥の院と高野の山上は
多くの老若男女が行きかう。
女人高野の石の標
多くの願掛け札、とりわけ女性の願い札が多い
慈尊院の多宝塔
開創1200年に合わせて高野の麓九度山 、慈尊院も本尊の弥勒菩薩立像もご開帳を
されている。弥勒菩薩像はきりりとして威厳のあるお顔であった。
ここ九度山の名前の由来は、
大師は、月に九度は必ず高野山上より20数キロの山道を下って
母公を尋ねられたので地名を九度山と称す
ご母公がご本尊弥勒菩薩を尊崇せられた功徳により
入寂の砌、ご本尊様に化身さられたと言う信仰となり
女人の高野参りは、当院までということも相俟った。
そうである。「九度山HPより」
弥勒菩薩をじっくり拝観、その後裏手の高台にある丹生官省符神社が
あり、ここから高野山壇上伽藍まで町石道が20数キロのわたり有り
かの弘法大師もこの道を通ってここまで母に会いに来たのであろう。
1丁ごとに立てられた卒塔婆の形をした道しるべは今でもその歴史を
残している。5年前気持ちよく歩いたことを思い出す。
高野山壇上伽藍まで180丁の石標(約20キロ)
慈尊院の境内
途中には大師がここに開山するときの土地の提供者、丹生都比売神社や道案内をしたと
いう狩場明神、信仰の深さに纏わるエピソードなど、天野の農村の豊かで
長閑な山里は今でも桃源郷のようだ。
こうして20数キロ歩きと高野山の大門の下にたどり着く。
天野の里
丹生都比売神社
標高800Mほどの山並みを歩き高野山へ
いよいよ5年ぶりの高野山だ。