PICO's BLOG~きままな日記帖~

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なんでもチャレンジ、そんなPICOの備忘録
   

開創1200年 高野山

2015年04月25日 22時38分13秒 | 寺社めぐり

今回の寺院、仏見の旅も最終章

高野山の麓の慈尊院から町石道沿いに行くと、天野という里に出会う。

白洲正子さんの「かくれ里」には、ここは現代の桃源郷だと記している、

穏やかな山間の村で本を書かれたころは台風、地震など自然災害に 

あったことがない、と言われた里山である。そんな村の中に丹生都比売神社がある、

弘法大師空海が高野山を開山するときに、その地を貸し与えた神とされている。

大きな太鼓橋を渡って本殿へ、桜花が舞う中、朱色の橋や本殿の色が似合う。

 

そして高野山の玄関、大門へ着く。

大門

大門から四国の方を。

 

 

ここは5年前に来たときに奇遇となったところ、四国遍路の時、高知の宿で

同宿した韓国人の女性とばったり再会したところである。

高知の宿で出会ってから一ヶ月以上経ってから偶然と再会した。不思議な

場所である。そして今回も似たような出来事があった。

慈尊院から180丁、第一番の町石道の卒塔婆が壇上伽藍にある。

町石道の道しるべ丁石 第1丁

根本大塔

大日如来三尊

金剛峯寺庭園

金剛峯寺で抹茶をいただく

 

高野山のマスコット こうやくん

 

 

今、高野山は高村光太郎の父開創1200年の大法要が催しされており、多くの人が

来られている。三度目の高野山だが、まだまだ知らないところがいっぱいだ。

余りにも多くの建物や工芸品、仏像などなど・・・

一日目は奥の院を参拝し、翌日に壇上伽藍や金剛峯寺を中心に見て歩いた。

そして仏像や空海が唐から持ち帰った法具、曼荼羅など随分と時間をとって

見てきた。

孔雀明王

三鈷杵がかかっていた言われる松

(空海が唐にわたり真言密教を恵果阿じゃりから伝授され帰国の途に着いたとき

乗船する港から、日本に向け三鈷杵を投げ真言密教の教えを広める根本道場の

最適な場所見つけたといわれる伝説)

大師堂

西塔

山王院

 

金堂の本尊薬師如来は高村光太郎の父、光雲作でり、今回は初めての開帳であった。

金堂に入ってじっくりと見させてもらった。その金堂の隣には朱色の根本大塔が建つ。

中はまさに仏像ワールド、中央に大日如来、その四方にもアシュク如来、阿弥陀如来

宝生如来、不空成就如来などの仏像が取り囲み、

大塔の柱には堂本印象の絵が荘厳な雰囲気を醸し出す。

そして金堂の正面には官界の開創記念事業で172年ぶりに再建された中門が完成していた。

中門の四天王

平安の歌人 西行の桜

水向地蔵

奥の院への参道

大師入定の地 奥の院

 

 

 

 

明日は高野山大学でのシンポジュームの聴講だ。