香川県の高松城を見て、徳島に入り、海産物で有名な
八百秀海産によって、鳴門わかめ、くきわかめを買って
高速に乗る。
神戸淡路鳴門自動車道でまずは淡路島に向けて出発。
淡路島最大の淡路SAでちょっと仮眠をとった。
大橋の夜景が綺麗に見れた。
淡路SAのイルミ
鳴門大橋
5時前におきて姫路に向かう、垂水JCTから第二神明道、加古川バイパスでは
朝の渋滞にはまったが、案外スムーズに抜けることができ、姫路市にはいった。
開門9時前には城に到着、大駐車場に車を停めて大手門に向かう、
いよいよ初めて見る姫路城だ。
大手門をくぐって三の丸の広場を左廻りに歩いて入城口へ。
チケットを買って菱の門から中に入っていく。
入ってすぐ右手に三国堀があり最初のビューポイントだ。
何枚かシャッターを押して、いの門、ろの門、はの門と通って
姥ヶ石、西小天守、乾小天守とだんだんと天守に近づいていく。
天守に入っていくとさすが高い、地階から地上六階の建物、さすが天下の名城だ。
天守から西の丸を望む。(長局 百間廊下)
天守から降りてきて備前丸から再度天守を。
でかい!!そして余りにも漆喰で白い。
西の丸から見る天守
西の丸と言えば、千姫、彼女は戦国時代の思惑に翻弄され続けた
女性、家康の孫娘として豊臣家に嫁いだ、齢7歳であった。
彼女は父に後の二代将軍徳川秀忠、母は浅井長政とお市の娘
お江である。
元和元年(1615)大阪夏の陣で敗れた秀頼は大阪城で自害、
城から救出された千姫は家康の陣に逃れた。
今年の真田丸では、この場面で千姫を助けたのは真田信繁(幸村)で
あり、お供をしたのは幸村の幼馴染のキリであった.
ここ姫路城に来た千姫は本多忠政の息子、忠刻に20歳で嫁ぐ。
彼女はここでの生活が一番幸せであったといわれている。
二の丸あたりから
ちなみに吉田城主であった池田輝政が姫路城主になったのは
慶長5年(1600)関が原の戦いの後である。
さて一週間におよぶ中国四国の城巡りも、ここ姫路城で
終わりとなった。いざ帰るとしますか。