*金門島の民宿~金城バスターミナル~水頭翟山バスツアー(A線)~北山播音墻(巨大スピーカー)~雷雨でビショ濡れ~金城市街散策~金門島の民宿・・・の巻!
夢から覚めて・・・
9年前の冬、世田谷支店に勤務していたときに「伊豆大島に行かない?」という話が出た。
伊豆大島・・・別に島は嫌いじゃないけれど、長男も生まれたばかりでまだ歩けないし、親子3人で全く知らない土地で暮らしていけるんだろうか。家に帰って奥さんと相談すると、「確かに不安だけど、滅多に経験できない生活をするチャンスかも」と「行けばどうにかなるさ」という結論で島行きが決定。ジェットフォイル(時々クジラと仲良くなるカラフルな水中翼船)で伊豆大島へ向かう。
島の暮らしはゆったりしていたけど、何から何までとにかく不便で、家から一番近い小さい商店まで約2Km、アイス1個買うのに車で走る。自宅のH港から伊豆大島支店のあるM町までは片道16Kmもあるのに信号はたった3つ。ほとんどの店は夕方6時で閉まり、島で最も遅くまで営業しているスーパー(らしき店)でも9時閉店だった。コンビニもファミレスもハンバーガー店も1軒もなし。いっぺん、テレビCMでやっていた「月見バーガー」とやらを食いたい、とダダをこねる息子を熱海駅前のMバーガー(ここが家から一番近い)に連れて行ったら、船賃だけで往復7千円もかかって笑っちゃった(息子はタダ)。羽田から乗った全日空機のエンジンが上空で2つとも止まって、CAさんの熱血指導で緊急着陸の練習をしたけれど、幸いにもエンジンが1つ復活して無事に大島空港に着陸したり。台風の日に同僚のTさん、Sさんと海岸に高波を見学に行って、車が水没してもう少しで殉職しそうになったり。8年間、色々な事がありました(もちろん楽しいこともたくさんありました)。
そんな島の暮らしにどっぷり浸かっていた自分が、今は地下鉄に乗って亀有支店に通っている。夜中にふと目が覚めて、これが都会の現実なのか、まだ島の夢を見ているのか、ときどきわからなくなる。しかし、T代田線の駅名をスラスラ言えるようになったのだから現実なんだろうな。日曜日に仕事を片付けに来て、職場の隣の公園で息子と娘が自転車に乗って遊んでいる。まさか、去年の今頃は下町の公園で遊ぶなんて夢にも思っていなかった。黒光りするD51を見ながら屋台のタコ焼きを頬張る。まぁ、こんな夢もアリなのかなと。
亀有支店の1年目に「ナニか面白い話!」と言われて書いた文章(2013年3月)より一部修正
ぴらにあを可愛がってくれた下田営業所のオバちゃんがよく言ってましたが、「特急に乗って東京駅に着くと、人の流れで目眩がするからイヤだ!」と。その時(世田谷支店勤務時)は「ンなアホな!」と思ってましたけど、島から東京に戻ってくると東京駅どころか地元K駅前でさえクラクラしました。バスと電車をいくつか乗り継いで職場まで片道1時間半、1ヶ月目にぶっ倒れて熱が10日間下がりませんでした。都会は恐ろしい所です・・・
【金門島の民宿は食事は作ってくれませんが、モーニングはお粥の有名店のテイクアウトをお姉さんが買ってきてくれます。この日は豚肉入りのスープと油條で朝からお腹いっぱいです・・・(前日は早朝発でバスツアーに行ったので食べられず、帰ってきてから泣く泣く処分させていただきました)】
【もうお馴染みの金城バスターミナルまでは徒歩10分、まだ出会ってないユーラシアカワウソくん(ガッツリ野生)がお出迎えです。バスターミナルの案内係のおじさんとも仲良くなりました・・・】
【一昨日、昨日とバスツアーに2回ほど参加しましたが、紙のチケット(250TWD)を持っているのはぴらにあだけで、他の人はカードでピピピみたいな感じだったんですよね。ガ~ン、電子マネー支払いだと半額(125TWD)だったんですか。600円×2損してました・・・(電子マネー支払いだと記念のカードは貰えません)】
【3回目のツアーは島の南西部を回ります、まずは莒光楼というタワーに来ました。ここは城跡かと思いましたが、金門砲戦の戦勝記念に作られた施設で、今は金門の歴史とか文化とかの展示があります。3階からの厦門の景色が最高です・・・】
【水頭集落は最もリッチな華僑の人たちが作った村で、今も残る町並みがとってもステキです。「水頭のように豊かになっても、水頭のような美しい家を建てることはできない」と言われていたそうです・・・】
【得月樓はお金持ちの人が作った塔ですが、海賊が攻めてきたときに一刻も早く見つけられるようにだそうです。金門島は華僑の人たちが大陸からアジア各地に出て行くときの基地になっていました・・・】
【金門島で一番立派な小学校は華僑の暮らしを紹介する展示があります。これは薬屋さんですかね・・・】
【豪商の館のご馳走です・・・】
【で、たくさん来ている小学生の社会科見学が優先です・・・】
【金門城北門は400年ほど前に金門島の中心だった町のゲートですが、車両は通行禁止では無くて大型バスもフツーに通っちゃいます・・・】
【金門城北門の外に続く明遺老街は、今でも金門城が栄えていたときの雰囲気を残しています・・・】
【で、必ず出会う巨大シーサー師匠。バスツアーには有名シーサーのみを巡るコースもあります・・・】
【コチラは金門城南門近くにある文臺寶塔です、14世紀に作られた金門島最古の塔で戦争でも壊されなかったそうです。しかし、この辺りは不思議なカオリが漂っており・・・】
【う~ん、謎の工場あり。高粱酒って書いてありますけど・・・】
【残念ながら高粱酒工場は見学場所に入ってませんでしたが、お隣にある高粱酒卵は有名だそうで皆さん群がってお買い求めです。ツアーで仲良くなった日本語が堪能なおじさん(お寿司が大好き)が「何個食う?」って買ってくれました・・・】
【「1個でいいッス」と言ったら、「え~1個?、遠慮するなよ~!」的な(皆さん10個ずつくらい買ってました)。バスの中で高粱酒卵(独特のお味でなんとも言えない)を頂戴しながら、島の最南端にある翟山坑道に来ました、ここは海軍の船を砲撃から待避させる坑道がある場所です・・・】
【この坑道は突貫工事で作ったため、工事の途中で多くの犠牲者が出たそうです。もう、本当にぴらにあは戦争の無い時代に生まれて幸せだったと思います・・・】
【坑道の内部はVの字になっていて、かなり大きな船舶も入れるようになっています。ほとんど照明が無いので鳥目のぴらにあには怖いです・・・】
【午前のツアーが終了しまして、高粱酒卵のおじさんに「ランチ行かない?」と誘われましたが一人になりたくて。バスターミナルすぐ近くの気になってたお店で、乾麺(牛肉のそぼろが乗っている平麺)と、豚肉入りの捲餅(ブリトーみたいなヤツ)を。対面にはクワの実ジュースのおじいさん(お客さんではありません)が座っており・・・】
【さて、島の北海岸に大陸向けプロパガンダ放送用の巨大スピーカー(北山播音墻)があるらしく、そこへ行ってみたいんですが路線バスはどれに乗ればよいのでしょう。「午後のツアー(B線)に参加すればいいんじゃね?」とバスターミナルのおじさんは言いますが・・・】
【ちょっとね、ツアーは疲れました(面白いけどとにかく忙しない)。で、ネットの地図を片手にバスに乗って来ましたが、一番近いバス停から1Kmほど歩かなくちゃいけないようですね。「オラ~、オマエ美味そうだな!」と道端のモ~さんが語りかけてきますが、「後ろからもっと美味しいのが来るよ!」とはぐらかして・・・】
【高粱畑の向こうにナニやら見えてきました・・・】
【先ほど見えた施設は放送局(北山播音墻)で、このロケットランチャーみたいなのがスピーカー群です、48個のスピーカーが並んでます。ここから歌姫とかの語りかけで、「台湾いいとこ一度はおいで~!」とか流したり、生活必需品(石けんとか歯ブラシとかあると便利的な)も海に流していたみたいです・・・】
【耳をすませば大陸の音が聞こえる?】
【いや~、北山播音墻を離れた途端にとんでもない雷雨になりましたよ。雨宿りする場所も無く、ズブ濡れでやっと見つけたバス停にはいつバスが来るかも知れず。やっと金城に戻ってきて、ヤケで巨大芋泥かき氷食ってます・・・】
【もう靴の中までビショビショ、10日間の日程だからと予備の靴を持ってきてよかったです。民宿に戻って着替えて洗濯して金城の食堂でディナーです。台湾のソーセージは超甘いんですけど、これは台湾では昔から他の地域に比べて砂糖がふんだんに使えたので、ソーセージに限らず「台湾スゲーだろ、甘いんだぞ!」という理由だそうです・・・(ぴらにあの研究による)】
【そうそう、貢糖というおこし的なお菓子が金門島の名物だそうです。お店のオバちゃんに「2つじゃなくて3つにしなよ!」と勧められてサービスして貰えるのかと思ったら、ピッタリ3個分のお会計でしたとさ・・・】
【「高粱酒もどう?」と盛んに営業モードですが、重たいしぴらにあ飲めないので遠慮しておきます(ちょっと興味はあったけど瓶デカイし)。ここのオバちゃんはネットの評判がすこぶる悪いのですが、ぴらにあは面白い人だと思います・・・(バラの貢糖をたくさんくれました)】
【昨日、チョイとだけ見た清金門鎮総兵署に再訪問です。地下に潜ったら牢屋がありまして「オレは無実なんだ、出してくれ~!」だそうです・・・】
【ご親切に刑罰の種類やら、拷問の上手なやり方らや、手枷足枷首っ枷。これにていっけんらくちゃく・・・】