ダイエー創業者、中内功さんが亡くなられた。享年83才。ダイエーの沖縄撤退が報じられて数日。どのような思いの中で永眠されたのだろうか。
月刊『うるま』創刊号(97年12月15日発行)
月刊『うるま』創刊号のインタビューは、当時ダイエーの会長兼社長だった中内功さんだった。このことはなぜか深く印象に残っている。
記事中には、「新アジアバザール~人、物、文化の交流点」を基本コンセプトに、ダイエーが那覇新都心再開発計画の中核を担い、地上25階建320室の都市型リゾートホテルやデパート、大型スーパー、専門店街などを建設し、200~300億円の投資が見込まれると書かれている。
バブルが崩壊し、世の中が厳しい状況の中で、沖縄でだけえらく豪気な話だなと思ったような気がする。結局こんな話は実現しなかったのだが、もしもダイエーが元気なままだったら、新都心の風景は今とは違ったモノとなっていただろう。それが良かったかどうかは別として。
あ、そうそう、そもそもこの広大な土地は、米軍が占領していたのだ。県都那覇を見下ろす高台に、ちょっと前までアメリカ軍がいた。
それにしても、折角返還された土地をあんな風に消費してしまって良いのだろうか…。普天間基地が返還された跡には、どんな街が生まれるのだろうか。そんなに遠い先の話じゃないと思うのだけれど。
月刊『うるま』創刊号(97年12月15日発行)
月刊『うるま』創刊号のインタビューは、当時ダイエーの会長兼社長だった中内功さんだった。このことはなぜか深く印象に残っている。
記事中には、「新アジアバザール~人、物、文化の交流点」を基本コンセプトに、ダイエーが那覇新都心再開発計画の中核を担い、地上25階建320室の都市型リゾートホテルやデパート、大型スーパー、専門店街などを建設し、200~300億円の投資が見込まれると書かれている。
バブルが崩壊し、世の中が厳しい状況の中で、沖縄でだけえらく豪気な話だなと思ったような気がする。結局こんな話は実現しなかったのだが、もしもダイエーが元気なままだったら、新都心の風景は今とは違ったモノとなっていただろう。それが良かったかどうかは別として。
あ、そうそう、そもそもこの広大な土地は、米軍が占領していたのだ。県都那覇を見下ろす高台に、ちょっと前までアメリカ軍がいた。
それにしても、折角返還された土地をあんな風に消費してしまって良いのだろうか…。普天間基地が返還された跡には、どんな街が生まれるのだろうか。そんなに遠い先の話じゃないと思うのだけれど。