沖縄映像祭2006を見に行く。桜坂劇場のワークショップで、私の参加した斑の作った作品『幸運のベンチ』もエントリーされていた。久しぶりにワークショップの仲間も集まり、ある種、同窓会的雰囲気。
審査結果は、グランプリ該当作品無し、観客賞、openArt賞、準グランプリを、宮平優子さんの『鬼の秘密』が総なめ。倦蛯フ卒業制作として一年かけて作成したクレイアニメだそうだ(すみません、見てません…)。
審査員の皆さんからは厳しい講評が飛んだ。ようするに、「人前にさらす以上、もっと必死に作品を作りやがレ!」ってことだったと思うけど、そうはいっても初めてワークショップで顔を合わせて偶然同じグループになった人間が、仕事の合間をやりくりして必死に作ったわけで…。ま、言い訳です、スミマセン。
せっかく作ったのでワークショップでの作品は全部応募してみようと言うことになった流れもあるわけで、そういうことだったら出品もしなかったと思いますけど、なんだか場違いな舞台に立たされて怒られてしまったみたいでなんとも釈然としない感じだった。
逆に言うと、そういった作品が多く含まれていた事情を審査員の皆さんも知らなかったことでしょうし、審査の手間を増やして申し訳なかったかなとも思います。
あと、“沖縄らしさ”云々という講評もありましたが、それが足りないというならば、今沖縄はそういう状況だと言うことだと思います。また、青い空とかハイビスカスとか、そんなものが出てこないとしても、それが住んでいる人の感覚なら、それが沖縄らしさです。
ああ、それにしても、最近感じるのは住んでみないとわからない感覚についてだ。どんなに感性の鋭いアーティストや評論家が沖縄について話しているのを聞いても、この経済の中でどっぷりと暮らしたことのない人が沖縄を語るとき、しっくりとこないものを感じる。
これは、「暮らしたこと無いくせにわからないよ!」と言いたい訳じゃなくて、どこまでもまとわりつく沖縄の持つ強力なイメージが本質を見えにくくしていて、そのズレを上手いこと利用して外から見る人に本質を悟らせまいとすることに成功しているような感じがする。
そのために、沖縄を舞台にした、ここ最近の映画やドラマやバラエティ番組が機能しているような気がする。意識的にせよ無意識にせよ。
もう一回、ウルトラマンやウルトラセブンに立ち返らねばならぬのではないかと…。40年も経ってるんだけど。
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審査結果は、グランプリ該当作品無し、観客賞、openArt賞、準グランプリを、宮平優子さんの『鬼の秘密』が総なめ。倦蛯フ卒業制作として一年かけて作成したクレイアニメだそうだ(すみません、見てません…)。
審査員の皆さんからは厳しい講評が飛んだ。ようするに、「人前にさらす以上、もっと必死に作品を作りやがレ!」ってことだったと思うけど、そうはいっても初めてワークショップで顔を合わせて偶然同じグループになった人間が、仕事の合間をやりくりして必死に作ったわけで…。ま、言い訳です、スミマセン。
せっかく作ったのでワークショップでの作品は全部応募してみようと言うことになった流れもあるわけで、そういうことだったら出品もしなかったと思いますけど、なんだか場違いな舞台に立たされて怒られてしまったみたいでなんとも釈然としない感じだった。
逆に言うと、そういった作品が多く含まれていた事情を審査員の皆さんも知らなかったことでしょうし、審査の手間を増やして申し訳なかったかなとも思います。
あと、“沖縄らしさ”云々という講評もありましたが、それが足りないというならば、今沖縄はそういう状況だと言うことだと思います。また、青い空とかハイビスカスとか、そんなものが出てこないとしても、それが住んでいる人の感覚なら、それが沖縄らしさです。
ああ、それにしても、最近感じるのは住んでみないとわからない感覚についてだ。どんなに感性の鋭いアーティストや評論家が沖縄について話しているのを聞いても、この経済の中でどっぷりと暮らしたことのない人が沖縄を語るとき、しっくりとこないものを感じる。
これは、「暮らしたこと無いくせにわからないよ!」と言いたい訳じゃなくて、どこまでもまとわりつく沖縄の持つ強力なイメージが本質を見えにくくしていて、そのズレを上手いこと利用して外から見る人に本質を悟らせまいとすることに成功しているような感じがする。
そのために、沖縄を舞台にした、ここ最近の映画やドラマやバラエティ番組が機能しているような気がする。意識的にせよ無意識にせよ。
もう一回、ウルトラマンやウルトラセブンに立ち返らねばならぬのではないかと…。40年も経ってるんだけど。