長唄三味線・伝の会、初の沖縄単独ライブを開催した。お運び頂いた皆様に大感謝。お運び頂いた方の中には、前日公演を行った前進座の皆さんや、藤木勇人さん、よなは徹さんもいらっしゃった。東京から見に来た方もいた。
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よなは徹さんは研究熱心で、ずっと食い入るように手元を見つめていた。じっと見つめる藤木さんの頭の中には歌舞伎の舞台が映っていたのではないだろうか。タイムスの記者さんも、たいそうおもしろがっていた。
会場はChu Pan Jah。いつも美味しい料理を作ってくれる、そらさんも聞き惚れていた。ジミヘンとマイルスと長唄三味線、ふだんこの店にはない取り合わせがおもしろい。
惜しむらくは我が知識の浅さ。三味線がこんなに湿気に弱い楽器とは知らなんだ。いつもよりも頻繁に調弦を気にしていると思ったら、当日の雨と厨房の湯気のせいだったようだ。ネコの皮も絹の糸も、三線に比べてずっとデリケートらしい。
そらさんの料理が美味しいというのも、場所をChu Pan Jahにした理由のひとつだったけれど、もうしわけないけど料理は作り置きできるモノにしてもらうとか、お願いしておけばよかったか…。(一所懸命に料理を供してくれたそらさん、ごめんなさいねこんなこと書いて)
それでも勘所を微妙に調整しながら素晴らしい演奏を披露して頂いた、伝の会杵屋邦寿、松永鉄九郎のご両人に感服と感謝。さすが鍛え方、場数の踏み方が違う。
ライブが終わった後の打ち上げも楽しかった。鉄九郎さんになぜ長唄の世界に入ったのかと聞いた。「若い頃バンドやってる頃に、渋谷のエピキュラスで練習してたら、青学のお兄さんたちのバンドや、黒人音楽の浮サうな連中と一緒になってね。かなわねーなって思ったんだよ」
で、伝の会を始めたきっかけも聞いてみると、「自分の場所を探しているうちに伝統音楽の世界に入ったんだけど、これがまた入ってわかった、この世界の人たちって殆どお芝居や舞踊の伴奏で食べてるわけで、音楽家として鍛えた技をピンで披露する機会ってほとんど無いのね。それじゃ死ぬまで自分が目立てる機会なんて無い。一生勉強ですって人たちの世界だからね。自分が主役になれる場所が欲しくて伝の会を始めたんだよね」(注:この下り、少々私の意訳が入ってます)
そんなことを考える若手は他にはいなかったらしく、随分たたかれたりもしたらしいけど、伝の会みたいな形がなければ、私も長唄三味線なんて縁が無かったと思う。お二人の活動に尊敬の念を禁じ得ません。そして、伝の会を知るきっかけを作ってくれた新良幸人さんにも感謝。
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よなは徹さんは研究熱心で、ずっと食い入るように手元を見つめていた。じっと見つめる藤木さんの頭の中には歌舞伎の舞台が映っていたのではないだろうか。タイムスの記者さんも、たいそうおもしろがっていた。
会場はChu Pan Jah。いつも美味しい料理を作ってくれる、そらさんも聞き惚れていた。ジミヘンとマイルスと長唄三味線、ふだんこの店にはない取り合わせがおもしろい。
惜しむらくは我が知識の浅さ。三味線がこんなに湿気に弱い楽器とは知らなんだ。いつもよりも頻繁に調弦を気にしていると思ったら、当日の雨と厨房の湯気のせいだったようだ。ネコの皮も絹の糸も、三線に比べてずっとデリケートらしい。
そらさんの料理が美味しいというのも、場所をChu Pan Jahにした理由のひとつだったけれど、もうしわけないけど料理は作り置きできるモノにしてもらうとか、お願いしておけばよかったか…。(一所懸命に料理を供してくれたそらさん、ごめんなさいねこんなこと書いて)
それでも勘所を微妙に調整しながら素晴らしい演奏を披露して頂いた、伝の会杵屋邦寿、松永鉄九郎のご両人に感服と感謝。さすが鍛え方、場数の踏み方が違う。
ライブが終わった後の打ち上げも楽しかった。鉄九郎さんになぜ長唄の世界に入ったのかと聞いた。「若い頃バンドやってる頃に、渋谷のエピキュラスで練習してたら、青学のお兄さんたちのバンドや、黒人音楽の浮サうな連中と一緒になってね。かなわねーなって思ったんだよ」
で、伝の会を始めたきっかけも聞いてみると、「自分の場所を探しているうちに伝統音楽の世界に入ったんだけど、これがまた入ってわかった、この世界の人たちって殆どお芝居や舞踊の伴奏で食べてるわけで、音楽家として鍛えた技をピンで披露する機会ってほとんど無いのね。それじゃ死ぬまで自分が目立てる機会なんて無い。一生勉強ですって人たちの世界だからね。自分が主役になれる場所が欲しくて伝の会を始めたんだよね」(注:この下り、少々私の意訳が入ってます)
そんなことを考える若手は他にはいなかったらしく、随分たたかれたりもしたらしいけど、伝の会みたいな形がなければ、私も長唄三味線なんて縁が無かったと思う。お二人の活動に尊敬の念を禁じ得ません。そして、伝の会を知るきっかけを作ってくれた新良幸人さんにも感謝。