森口カフェが沖縄でも行われると聞いて参加してみた。森口カフェとは、森口豁さんのドキュメント作品の上映とトークセッションの会で、東京ではちょくちょく開催しているのを見かけていた(イベント情報として)。那覇の会場はBar土の2階ギャラリースペース。初めてのこの日は20名くらいが集まった。
『ひめゆり戦史~いま問う国家と教育』と『空白の戦史~沖縄住民虐殺35年~』を見たあと、時代背景や現場の様子の話などを聞いた。ドキュメンタリー番組が大好きで、中学生の頃から『NHK特集』や『ドキュメント'00』をたくさん見てきた自分としては、当時ドキュメンタリー作品を作っていた方のお話しは実に興味深かった。
森口さんはだいたい隔月のペースで東京と沖縄を行ったり来たりしているそうで、沖縄に来ている期間に1、2回、森口カフェを開催するそうだ。次の森口カフェは9月26日20:00からBar 土での予定。
さて、本筋と離れるのだが、
森口さんが「20:00からだと帰りのバスがなくなってしまうので来られない人がいるだろう。もっと早くはじめた方がよいのではないか」と気にされていた。Bar土のマスターのゴウさんは「これでもまだ早くてギリギリに来る人もいるんだけど…」と困っていた。
どう思いますかと話を振られたので「みなさんに、今日は何処から何できたか聞いてみては」と提案した。するとほとんどが、「近くから歩いて来た」か「車やバイクで来た」という事で「バス」という人は確かいなかった。時間的にもみなさん結構ギリギリだった。
森口さんの気遣いはもっともだと思うが、沖縄の事情はそうなっていない。私も、「みんな車で来るし、一回家に帰ってから集まるので遅くても良い」とは言いたくないが、公共交通機関が無い沖縄ではそう選択せざるを得ないのが現状だ。
早く名護まで鉄軌道を通して欲しい。そうすれば、渋滞もないので早い時間でも会場にたどり着けるだろう。終わってから時間もできて、いっぱいやりながらの話も弾むだろう。お店も儲かる。終電で帰れば飲酒運転もしなくて済むし、タクシー代や運転代行代もかからない。
イベントの面から見ても、公共交通機関がないのは、いろいろ不都合なことを感じる。せめて遅い時間までバスを運行するだけでも随分と違うはず。
また同じ事書いてるな…。年老いた気分。
以下、資料的なもの。====================
森口豁(たにぐち・かつ)1937年、東京生まれ。ジャーナリスト。沖縄を語る一人の会主宰。1959年~74年、琉球新報(沖縄の新聞社)社会部記者や日本テレビ沖縄特派員として米軍統治下の沖縄で暮らす。
●『ひめゆり戦史~いま問う国家と教育』(1979年5月放送、55分)米軍上陸が間近に迫った1945年3月、戦場に投入された多くの学徒たち。いったい、誰が、何が幼い学徒を戦場に駆り立てたのか。ひめゆり学徒として九死に一生を得た第3外科壕の5人の学徒と、当時の沖縄師範学校教員と校長。それに第32軍高級参謀らの証言が明かす「戦争の真実」。放送直後から沖縄でも大きな反響を呼んだ話題作。
●『空白の戦史~沖縄住民虐殺35年~』(1980年11月放送、25分)1945年5月、大宜味村で中南部からの避難民数十人が日本兵に虐殺される事件が起きた。被害者の中には幼児や老人もいた。日本兵はなぜ罪のない住民に手をかけたのか。戦後35年経った1980年、初めて現地を訪れた1日本兵が遺族に語ったものは…。そこから見えてきたものは、戦場における「沖縄差別」と「軍隊の論理」…。