とりあえず、昨日今日の、中国語で韓国語を習う、
は、けっこう韓国語のリズムみたいなのが身についてる
状態になっているのがわかると思う。
Duolingo Korean from Chinese 20250124-3 韓国語学習中
Duolingo Korean from Chinese 20250125 韓国語学習中
朝、自分がまだネットストーカーの方でなにかする
可能性の話を聞いてだと思う、朝またトラブってたと
思う。
また、記憶を操作されているんだと思う、
自分は、日本人としてこの国で扱われたことは
ないし、そのように生きてきたことを、また改めて
ここで言わないといけない必然性を感じてた
いや、たぶん、自分の生い立ちを、親切な日本人に
囲まれて育ったことにしようとする人が、まだここで
そのつもりの話をしているのが聞こえたんだと思う。
たぶん、教師とか、学校関係の人間だったと思う。
父は、まだ米国領だったときの、沖縄の人間で、
自分が生まれたときは、沖縄姓だった。
3歳ぐらいのときに、母方の親戚で、姓が途絶える
ということで、跡継ぎを探したときに、父が、
沖縄姓では差別を受けるからということで、母方の
親戚は実は嫌がっていたけど、無理矢理家ごと後を
継いだというふうに聞いている。
沖縄の人と実際に一緒に過ごした経験はほぼない
ので、沖縄のルーツなのは、何人か父の横で
お酒につきあったりしているのを見たことがある、
でも、全部合わせても5回とないだろうという
回数しかない。
母が、父の同級生だったという、沖縄の同級生で
ギターの教師だった人と、けっこう仲良かった
ことなら覚えている。
母と、父の兄が一緒に四国のお参り行くとか
実は不倫だったろ、みたいなことがあるので、
それだってかなり怪しかったと思ってる。
で、母方は、日本の伝統文化を重んじる家で、
今思えば、父は海外文化に関するお店で仕事を
しようとしていたのに、母方の親戚がその妨害を
していたと思えることが、たくさん思い出される。
単に、古い考えで父の好みや仕事が理解できて
なかった話だと思ってたけど、日本人らしく
やんわりわからないように、父の人生を潰して
いたんだろうと思う。
で、私は父に似ていると母が思っていることも
あって(自分では、どちらにも似てない認識だけど)
母方の親戚からも孤立していた。
(母の言い分では、私に近づこうとした祖母に、父が
「近寄るな!」と言って、怒鳴ったから近づけなく
なったとか言うけど、私が覚えている祖母は、そんな
子ども好きな人ではなく、従兄弟たちにも構わない
人で、母自身が、祖母はちゃんと子育てせず、洗濯も
掃除も、家事全体をちゃんとできない人だったので
私が小さい時からやらされていた、みたいに言っていた。
その祖母が、そんなに私に構おうと最初からしなかった
のではないかという私の今の推測のほうが正しいと思う。
で、幼稚園に入る前に、子どもが集まる場に連れていって
もらっても、他の子は、折り鶴など、日本人家庭で習う
伝統文化の遊びをしていて、知らない自分は、その場で
教えてもらうこともできずに、ただ茫然と孤立して
その場にいた。
その後も、なんなら、ずっと50年余り、ずっとそうだった。
小学校で、最初の年から4年生まで、学習障害とか
グレーゾーンの子の学習補助をするように言われ、
私自身はちゃんと授業を受けられるようにも、友達が
できるようにもしてもらえなかったのが、偶然では
なく、沖縄ルーツかなにかの、差別だったことも、
今回、教育とか音楽の関係の団体がしていた差別
だったんだとわかった。
自分に対しての記録がおそろしくあるらしく、幼稚園に
入る前に切手や王冠を集めていた、というようなことから
持っていたおもちゃ(幼児期、唯一買ってもらえた
黒ひげゲーム)の話などを知ってて、それが記録として
あるなら、同時期の自分の家の暴力なども記録されて
ないとおかしいのに、日本人は親切でいい子育てを
している、という記録の話しかしない。その話が
とても少ないので、至極稀にあった「いい話」を
イヤになるほど繰り返し聞かされるし、その至極稀な
話で、その他、山ほどあった酷い話を帳消しにしようと
されている。
小学校5年生で初めて友達ができたのは、4年生で
母が実家に帰って、学校内での人間関係を操作
できなくなったからだろうと思ってる。
4年生のときは、母が日本人のつながりで顔が
広かったみたいだけど、父のアルコール依存症が
ひどくなったとかで、立場が低くなったのだと
思う、一番クラスのなかで、酷い扱いを受けた。
まあ、まず、「よくあんな家に住んでて恥ずかしく
ないな」みたいに追い詰められて、自殺騒ぎになった
ときに、担任がついて家に帰ることになったけど
担任そのものが
「こんな騒ぎを起こされては迷惑なんですけど」
みたいな対応だったし、実の親だし、さすがに庇って
くれると思った母も
「あんたが自殺とかしたら、私のピアノのクラスの
生徒が減るのよ。あなたは残された弟や父さんが
可哀想じゃないの?」
って言われたし
(これは、皮肉にも、脱法大が、今回のトラブルで
批判を受けて、受験生が減っていたらしく、学生らしき
ストーカーが、「あいつが死んだら、生徒が減るねん」
とか言ってるのも聞こえた)
小4のときに、学級会で、なにか自分がすごい悪い
ことをしたことにされ、「授業中にノートに落書きを
していました。クラスのみんなに謝ってもらいたいです。」
みたいなことが議題にされ、「いや、なんで他の生徒に
謝らんといかん?」みたいに反論するとかになって、
もう、最初からいちゃもんみたいな話ばかりで毎週
議題にされてたから、どんなのがあったかはもう覚えて
ないけど、今のこの状態と違って、謝る必要がないことを
ちゃんと理屈で言えていれば、それは承認されて、
謝らないではすんだ。(今あっているストーカーは
理屈であっていることを言っても、何か別のいちゃもんを
つけてきて、私が悪いことにしかならないように
している。同じようにストーカーが他のひとにも
迷惑とか酷いことをしているので、その人たちに
話し合って、たぶんストーカー側が悪いことを
認めないといけない状態まで追い詰めたと思う。)
当時の小学校のクラスの生徒数は50人ぐらいいたから
もう、「99人の壁」ってテレビ番組があったときは、
そのときの自分がその半分の人数でしていたのと
とても似ていて、見ているのが辛かった。
そのときの、対して悪いことをしてないのに、
毎回週一回あった、ホームルーム(5限か6限か、
授業の時間を一時間使ってするホームルーム)で
いつもつるし上げにあっていたのが、小1から
友達ができないようにされていたのと同様、
母や母方の親戚(日本の右翼のひととかに影響力を
持ってたと思われる)が、学校の中にいた、やはり
右翼(海外ルーツの子などを差別しようという)と
一緒になってやっていたことだと思っている。
母の兄弟には、他にも在日の人と結婚した人も
いたんだけど、そっちは在日の人の力のある団体と
繋がっていたので、ずっといい立場にいた。
(ヤンキーとかだったけどね)
その立場のつよい在日のグループの紹介で
母と父は結婚しているんだけど、父はアルコール
依存症とかギャンブル依存症とかになる。
まあ、父の父(祖父)は、戦後、強盗に遭って
亡くなったと聞いてる(警察の処理は事故で
済まされているが)
すぐ働きに出た祖母は、すぐ引きこもりになる
なんらかのセクハラのようなものがあったのでは
ないかと私は推測している。
当時、6歳だったという父の生育に影響があったと
思うし、そういう意味では、働くということが
他の過程で育った人より、間違った考えを聞いていた
可能性もあるし、なにより、
差別をされた側から、差別をする側になりたい
という考え方をしていたので、普通に働くという
なら、働けたかもしれないのに、差別もしてない
人にしたら、差別をするつもりのひとを雇いたく
ないし、一緒に働きたくない、になったのは、
見ていてすぐわかることだった。
それが、あきらかに父が、どこに行っても長く
働けなかった理由だったと思う。
実際、父のほう、差別されたから、差別しかえしたい
みたいなのが、(たぶん偽助もそうだと思う)私を
また、足手纏いみたいに扱っていたのもわかってる
バブル期のお金の儲け方とか、明らかに長続きしない
短期的に大金を設けよう、みたいな話ばっかりだったので
(本当に、マルチ商法みたいなのに、かなり誘われた)
断ったり、なんなら批判とかしていたので、偽助なんかは
私のことを「偽善者」とか言って、陰で人生を潰してた
らしいこともわかってる。
どこかに就職しても、就職先に自分のあることないこと
言っていて、続けられなくなっていたらしいし。
ここにきて、偽助は実際に声や話を聞けるから、偽助
だと思ってるけど
中学生ぐらいから、母から聞かされていたこと、
「お前のお父さんは、どこにお前が勤めようとも
調べてやってきて、たかってきて、その職場を続けられ
ないようにするだろう」
と、言ってた。
私が父だと思っていたのは、17のときに亡くなってるん
だけど、本当の父ではなかったみたいに、今になって聞いて
いるから、生きていて、それで、母が言ったように、ずっと
わたしにたかってて、その職場も続けられないようにしてきた
のではないかと、今思った。
影さんが、私の父について、「ガチキチ」とか言って
実は知っている、みたいに言っていたけど。
やっぱ、違う人が父で、生きてて、ずっと自分にたかって
きてたのかなあ?
って、確かに、結婚して、塚口に住んでいたときに、
私は父と一度も会ったことがないのに、めちゃくちゃ
似ている、みたいな話をしている人がいたし。
影さんは、自分が父だと思っていたほうの人物に
ついて、詳しく聞いてきたし、その前に、私の父が
昔経理社員として勤めていたスーパーの名前(地元に
一軒しかない)を知っていたし
もう、影さんに会わせてもらって、今からでも人間
らしい暮らしができるようにしてもらえそうだから
安心していたんだけど、日本はいい国だから、みたいに
私をだまして、 夷狄として扱われていた私を
黙らせようとか、まだ金づるにしようとしている
金づるとしてはもう無理だけど、影さんと会わせ
なければ、死んでしまう(口を塞げる)し、影さんに
会えるとしたら、影さん側で、お金のいい仕事が
あるはずなので、それを狙っているみたいなんだけど
(っていうか、影さんが自分に送金したらしいのも
勝手に触って盗っていたみたいな話も聞いてるし)
こうやって、海外ルーツだから酷い目にあったと
言えば、大事にされている海外ルーツのひとを
たくさん目につくぐらい見せびらかしにくるし
まあ、海外ルーツ同志で、大きな団体とか力を
持つとまた違うんだろうと思う。
孤立したようなのが、このように獲物にされるん
だろうけど。
影さんのところに行きたい。
決して、自分は、日本で大切にされてましたなんて
認めたくはない。
だいたいこんな感じです。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
ランキングに参加しています。応援クリックお願いします