私自身、ふつうの父親を一人持っている人を
羨ましがって自分を殻に閉じ込めている時期が
長かった。
生活に必要なものが揃い、安全に暮らしていける
それが途方もなく羨ましかった。
けれど、それをしていたら私は一歩も社会に
踏み込むことができなかった。
だから、それをやめるようにするのは難しかった
けれど、その壁を乗り越えたら、その父親が社長
だったり、ベンツ乗ってたりするのも気にならなく
なりました。(明らかにこちらが低所得の家庭で
あることを馬鹿にされたり、同等の外車などを
持たないことで卑下されたりすることさえなければ。)
馬鹿にするつもりはないけれど、明らかに自慢
しているな、と思われるときもあったけれど、
持っていたら嬉しいものは嬉しいのだろうと
素直に認めることにしていました。
若干、それで格下格上をきめるようなタイプの
人がいるときもあって、自慢しているだけでなくて
私を格下だと決めていたんだなと、私が成績など
ほかのことが嬉しくてそれをその自慢した相手に
認めてもらおうとしたときに、「なにを生意気な」
的な対応を受けて知ることになることもあるのだ
けれど、基本私は他人が嬉しいことを嬉しいと
言ったならそれはそれで聞くし、その代わり、
私は私で嬉しいことがあると(多少程度差が
あまり出ないようには気を遣いながら)嬉しいと
言うことにしています。
年齢や経験などがあるので、すべてを対等に
しようとはしていないけれど、基本、同学年
だったり、対等であるべきだろうという相手には
対等であろうとつとめました。
それでもね、中学の時とか、私背が低いもの
だから、頭一つ低いところから話しているという
だけでも、「タメ口きくなや」的な態度が返って
くることも少なくありませんでしたが。
それでも、高校のとき(これ書くと私がどこの
高校の誰かわかりそうだから書かなかったのですが)
小説家や漫画家などを目指していて、そういう
クラブに所属していたら、同じ学校に、芸術大学の
教授のお子さんがいて、もう小さい時から絵を描く
英才教育を受けていて基本からして全然違う。
私はバイトしたりして合間に練習するが、相手は
絵を描くために学業ですら後回しにできる。画材も
高いものをふんだんに使える。バブル期だから、
お金のかけないと見に行けないような景色などを
描いたもののほうが評価される。
これは、悔しかった。勝ち目がないと思いました。
就職の障害になると思われた父がなくなったので
私は絵の世界の底辺になるのではなくて、平凡な
社会人になれそうな英文科短大に進学しました。
世間知らずの私は教科書と辞書さえあれば、みな
平等に英語の勉強ができるのだと思っていました。
私は夏休み、ハンバーガーショップでバイトする。
ほかもバイトがしたい子がいるから、譲り合って
夏休み中いっぱいいっぱい使って8万円程度に
なる。
その間、英語圏に留学していた子が全然違う発音に
なって帰って来る。語彙力とかは単語帳とにらめっこ
していた私のほうがあったかもしれないが、先生と
閑談になったときに、ディズニーランドの地理的
話題になどになると私は何一つ口を挟むことが
できないし、単語帳の単語をつなげた英文より
それは「会話」だと思いました。(それが、何々の
隣に何々がある、といった中学生レベルの英文で
あれ)
そんな子が親に着せてもらっているブラウス1枚が
8万円ぐらいだと言う。
それが私の記憶するバブル時代でした。
外大に行ったら行ったで学問の世界には平安時代から
学問を専門にする職業の家庭もあるんだと言われるし。
私は適わなかっただけで、その人たちから絵を描く
ことや学業の妨げになるようなことはされていません。
(絵のほうは、そのお子さんは明らかにコネのような
賞をたくさん受賞されていましたが。それも微妙です。
確かに画力は賞をもらう出来になっていたかもしれ
ません。しかし、あそこまで学業を後回しにできたら
絵の出来もそれだけ違っていて当然だろうと思われたり
しますし。でも、学業を捨てる覚悟をしたのは間違いなく
その子本人なのです。)
親が経験や知識や財産を持ち、我が子に投じる。
それは、それができない家庭には不利だが、それ自体は
自然の成り行きなのだと思いました。
むしろ、自分が努力して絵が描けるようになったり
語学力が上がったりすればするほど、パワフルな親を
持っている人に対面することが増えるんだと思いました。
だから、パワフルな親が子どもに有利な教育をすることを
否定するということは、私がかつて普通の親を持つ子を
遠ざけていては、私自身が普通の生活とすることを
難しくさせるということと同じようなことだと思いました。
格差が生まれないよう、無料だったり比較的手に入りやすい
教材などでその差を埋めていくことを考えて、できる
ところまでをやればいいじゃないか、そういうつもりで
私はNoneを育てています。
それは、むこうが圧倒的に有利なのだと理解した上で
相手を肯定するということで、私たちが私たちの努力で
手に入れた実力も、それがどの程度であれ、実力通りの
力を肯定してほしいという思いがあります。
私自身がドイツ語が好きで、NHKのドイツ語テキスト
の後部にあるドイツ語教室を訪ねると、しばらく勉強
したらゲーテを紹介され、ゲーテにしばらくいると
大阪外大を勧められという経路をたどりました。
これですら、ドイツ語に詳しい家に生まれていれば
もっと早い段階でゲーテにでも行けたのだろうと
思いますが、頑張れば道の方が向こうから開けてくる
ものだと思っているし、Noneが頑張ればNone
にも、ある種導きのような道が向こうからやってくる
ように信じています。
私自身は、今はその格差を乗り越えるのが比較的
やりやすくなってきているんじゃないかと思って
いるので、それをどこまでできるかと挑戦すること
そのものが半分目的のようになっているかもしれません。
知識階層の家庭の子と不利な条件の家庭の子が努力
して手に入れる力をどれだけ近づけられるか、また
そこに壁のようなものを生じさせないようにしたいとか
思うところはいろいろあります。
(これが知識階層から見ると、シモジモは来るな
とか思われているのでしょうか?)
まあ、医療系を希望しているNoneにとって
シモジモ出身でもそれなりに働けるポジションは
狙えるだろうと思っているので、そこまで切羽
詰まった境遇ではないと思っているのですが。
ここから先はNoneの選ぶ道といえると思う
のですが、英語に関しては私がNoneに合わせて
勉強が続けられる方法を考案していくつもりです。
これ自体が、言語獲得などについて学んだことも
思いつくこともできないという人にしてみれば
格差になるんだろうなとも思います。
今になって思うと、親の派閥みたいなものに子どもを
巻き込むことのないように、自分よりいい親を持っている
子であろうと、自分より不利なのに努力して出来る子で
あろうと、壁をつくらず接することのできる子にNoneが
なればいいなと思います。
だいたいこんな感じです。
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羨ましがって自分を殻に閉じ込めている時期が
長かった。
生活に必要なものが揃い、安全に暮らしていける
それが途方もなく羨ましかった。
けれど、それをしていたら私は一歩も社会に
踏み込むことができなかった。
だから、それをやめるようにするのは難しかった
けれど、その壁を乗り越えたら、その父親が社長
だったり、ベンツ乗ってたりするのも気にならなく
なりました。(明らかにこちらが低所得の家庭で
あることを馬鹿にされたり、同等の外車などを
持たないことで卑下されたりすることさえなければ。)
馬鹿にするつもりはないけれど、明らかに自慢
しているな、と思われるときもあったけれど、
持っていたら嬉しいものは嬉しいのだろうと
素直に認めることにしていました。
若干、それで格下格上をきめるようなタイプの
人がいるときもあって、自慢しているだけでなくて
私を格下だと決めていたんだなと、私が成績など
ほかのことが嬉しくてそれをその自慢した相手に
認めてもらおうとしたときに、「なにを生意気な」
的な対応を受けて知ることになることもあるのだ
けれど、基本私は他人が嬉しいことを嬉しいと
言ったならそれはそれで聞くし、その代わり、
私は私で嬉しいことがあると(多少程度差が
あまり出ないようには気を遣いながら)嬉しいと
言うことにしています。
年齢や経験などがあるので、すべてを対等に
しようとはしていないけれど、基本、同学年
だったり、対等であるべきだろうという相手には
対等であろうとつとめました。
それでもね、中学の時とか、私背が低いもの
だから、頭一つ低いところから話しているという
だけでも、「タメ口きくなや」的な態度が返って
くることも少なくありませんでしたが。
それでも、高校のとき(これ書くと私がどこの
高校の誰かわかりそうだから書かなかったのですが)
小説家や漫画家などを目指していて、そういう
クラブに所属していたら、同じ学校に、芸術大学の
教授のお子さんがいて、もう小さい時から絵を描く
英才教育を受けていて基本からして全然違う。
私はバイトしたりして合間に練習するが、相手は
絵を描くために学業ですら後回しにできる。画材も
高いものをふんだんに使える。バブル期だから、
お金のかけないと見に行けないような景色などを
描いたもののほうが評価される。
これは、悔しかった。勝ち目がないと思いました。
就職の障害になると思われた父がなくなったので
私は絵の世界の底辺になるのではなくて、平凡な
社会人になれそうな英文科短大に進学しました。
世間知らずの私は教科書と辞書さえあれば、みな
平等に英語の勉強ができるのだと思っていました。
私は夏休み、ハンバーガーショップでバイトする。
ほかもバイトがしたい子がいるから、譲り合って
夏休み中いっぱいいっぱい使って8万円程度に
なる。
その間、英語圏に留学していた子が全然違う発音に
なって帰って来る。語彙力とかは単語帳とにらめっこ
していた私のほうがあったかもしれないが、先生と
閑談になったときに、ディズニーランドの地理的
話題になどになると私は何一つ口を挟むことが
できないし、単語帳の単語をつなげた英文より
それは「会話」だと思いました。(それが、何々の
隣に何々がある、といった中学生レベルの英文で
あれ)
そんな子が親に着せてもらっているブラウス1枚が
8万円ぐらいだと言う。
それが私の記憶するバブル時代でした。
外大に行ったら行ったで学問の世界には平安時代から
学問を専門にする職業の家庭もあるんだと言われるし。
私は適わなかっただけで、その人たちから絵を描く
ことや学業の妨げになるようなことはされていません。
(絵のほうは、そのお子さんは明らかにコネのような
賞をたくさん受賞されていましたが。それも微妙です。
確かに画力は賞をもらう出来になっていたかもしれ
ません。しかし、あそこまで学業を後回しにできたら
絵の出来もそれだけ違っていて当然だろうと思われたり
しますし。でも、学業を捨てる覚悟をしたのは間違いなく
その子本人なのです。)
親が経験や知識や財産を持ち、我が子に投じる。
それは、それができない家庭には不利だが、それ自体は
自然の成り行きなのだと思いました。
むしろ、自分が努力して絵が描けるようになったり
語学力が上がったりすればするほど、パワフルな親を
持っている人に対面することが増えるんだと思いました。
だから、パワフルな親が子どもに有利な教育をすることを
否定するということは、私がかつて普通の親を持つ子を
遠ざけていては、私自身が普通の生活とすることを
難しくさせるということと同じようなことだと思いました。
格差が生まれないよう、無料だったり比較的手に入りやすい
教材などでその差を埋めていくことを考えて、できる
ところまでをやればいいじゃないか、そういうつもりで
私はNoneを育てています。
それは、むこうが圧倒的に有利なのだと理解した上で
相手を肯定するということで、私たちが私たちの努力で
手に入れた実力も、それがどの程度であれ、実力通りの
力を肯定してほしいという思いがあります。
私自身がドイツ語が好きで、NHKのドイツ語テキスト
の後部にあるドイツ語教室を訪ねると、しばらく勉強
したらゲーテを紹介され、ゲーテにしばらくいると
大阪外大を勧められという経路をたどりました。
これですら、ドイツ語に詳しい家に生まれていれば
もっと早い段階でゲーテにでも行けたのだろうと
思いますが、頑張れば道の方が向こうから開けてくる
ものだと思っているし、Noneが頑張ればNone
にも、ある種導きのような道が向こうからやってくる
ように信じています。
私自身は、今はその格差を乗り越えるのが比較的
やりやすくなってきているんじゃないかと思って
いるので、それをどこまでできるかと挑戦すること
そのものが半分目的のようになっているかもしれません。
知識階層の家庭の子と不利な条件の家庭の子が努力
して手に入れる力をどれだけ近づけられるか、また
そこに壁のようなものを生じさせないようにしたいとか
思うところはいろいろあります。
(これが知識階層から見ると、シモジモは来るな
とか思われているのでしょうか?)
まあ、医療系を希望しているNoneにとって
シモジモ出身でもそれなりに働けるポジションは
狙えるだろうと思っているので、そこまで切羽
詰まった境遇ではないと思っているのですが。
ここから先はNoneの選ぶ道といえると思う
のですが、英語に関しては私がNoneに合わせて
勉強が続けられる方法を考案していくつもりです。
これ自体が、言語獲得などについて学んだことも
思いつくこともできないという人にしてみれば
格差になるんだろうなとも思います。
今になって思うと、親の派閥みたいなものに子どもを
巻き込むことのないように、自分よりいい親を持っている
子であろうと、自分より不利なのに努力して出来る子で
あろうと、壁をつくらず接することのできる子にNoneが
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