世にある日々

現世(うつしよ)は 愛おしくもあり 疎ましくもあり・・・・

二上山哀歌

2011-09-03 | かってに万葉


ちわっ

なんか 久しぶりすね~

久しぶりついでに 「 かってにまんよ~ 」
なんか やっちゃいましょうかね・・・・


今回は挽歌です。
有名な歌なのかな、これは・・・・・・・




  うつそみの 人にあるわれや 明日よりは
            二上山を 弟世とわが見む                 165


  磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど
            見すべき君が ありと言はなくに           166
 
                                                        巻第二



  うつそみの ひとにあるわれや あすよりは
            ふたかみやまを いろせとわがみむ


  いそのうえに おふるあしびを たおらめど
                    みすべききみが ありといわなくに


私訳  この世で生きている私は、明日から二上山を
                  わが弟として見ていきましょう

         川の岩のほとりに咲く馬酔木を手折って、君に見せたいと思っても
                 その馬酔木を見せる君がいると、誰も言わない ・・・・・


 







大来皇女(おおくのひめみこ)が弟の大津皇子が処刑され、
二上山に移葬されたとき詠った歌。

大津皇子の悲劇は、万葉の中では有馬皇子とならんで有名な話。
ここで、その話はしない。
先に書いたように、この時代は血で血を洗うような
生臭い事件が次々と起こっている。
若い純粋な正義を利用され、知らないうちに悪の手先になってしまうことは
この世ではよくあることだ。
また、皇室の内紛は、権力闘争に明け暮れる人々が権力を手に入れる
絶好のチャンスだったのかもしれない。

それよりも、僕は大津皇子が伊勢神宮に
大来皇女を訪ねていったことが気になる。
大来皇女は大津皇子の同母姉であった。
親も、もういなく唯一、血を分けた二人だった。

謀反を起こした罪で処刑された皇子だが、
それに至るまでの思いがあり、
話を聞いてもらいたくて
大来皇女のところにいったのではないだろうか。

いや、話さなくても逢うだけで
心が慰められたのではないだろうか。
男とはそんなものだ。
恋人であれ、妻であれ、姉・母であれ
男性にとって、そのような女性が必要なのだ。
大来皇女もそれを解っていた。
僕はこの歌から、そんなものを感じる。

人の思いとはそのようなものだ。
僕は、そんな人の思いを、
週刊誌の記事のような感覚で汚したくはない。

大来皇女は伊勢神宮の斎宮に任ぜられていた。
神を祭ることにすべてを捧げる仕事である。
多分、すべてが公の生活をしていたのだろう。
だから、簡単に伊勢神宮を離れることができず
弟に対する思いも、もどかしいところがあったに違いない。

神様はときに、
ある種の人間に悲劇の主人公を演じさせ、
その人を試される。
それを、となりで見守り、亡くなっていった人を
悲しみ傷む女性の歌がここにある。

二上山は、ふたこぶラクダの背中のような山だ。
僕も飛鳥にいったとき、よくこの山を見ていた。

この山を弟として、見守って生きている女性の歌に
悲しみと共に、女性の優しさと安らぎを
僕は感じる。









この馬酔木、大来皇女に捧げちゃおう ・・・・

すこしは慰めになるかな?

近くの駅のスタバでこれを草稿しているが、
書いている途中で、切なくなってきて涙が出てきてしまった。
ああ恥ずかしい ・・・・


上の文章と矛盾するかもしれないが
率直な感想を書くと
大津皇子は、ちと問題ありだね。

姉が伊勢神宮の斎宮に選任されて
それなりの使命を果たしているのに
のこのこ会いにいくなんてね。
姉が国の公の仕事をしている最中にだよ・・・・
で、父親の天武天皇は危ない状態だった
というから余計だよね。
気持ちはわかるけど、軽率だよね。

日頃の行動でも、この様なことが出るんだろうね。
それで、それなりの評価をされたのかもしれない。
会社の管理職くらいになると、このくらいは読めるようになるよね。

頭がよくて、いい男と書物では書いてあるらしいけど
万葉集にある大津皇子の歌を読んでみても
なにか鼻にかけていて、伝わってこないものがあるなあ。
精神的に弱いのかな ・・・・

男性心理として、女性に甘えたいところは書いたけど
やっぱり分別がなければね。
耐えるところは、やっぱりきちんと耐えて
やることやらなきゃ・・・・

大来皇女の歌は
巻第二の105と106に、訪ねてきた大津皇子を
見送る時の歌がある。
また、巻第二の163と164は、伊勢の国から都に
戻ってきたときに詠んだ歌がある。
どの歌も、読んでみると切なくなる ・・・・

大津皇子が伊勢にきた時、
大来皇女が心を鬼にして会わなかったらと思うこともある。

若さにこんなことを要求をするのは酷なことかな。


でも、きれいでステキなお姉さんだったのだろうね。
歌を読んでいると、感性の豊かさと芯の強さを感じる。
上の馬酔木のフォトみたいな女性だろうなぁ~
一度会って話をしてみたいな・・・・・・・








                In the Wake of Poseidon