今日のニュースで、箱根の町や奥多摩の町で
雪が薄らと積もっている景色が流れていました。
寒いです
今、窓の外でバラバラという妙な音がしたので
カーテンを開けてチョロっと眺めてみると
白いものが混ざっています。
みぞれです
もう4月も半ばだというのに・・・
先週の日曜日には夏日に近い気温だったというのに
今年の天候はまるでジェット・コースターのように
上がったり、下がったり
体調がついていきません
若いころからでも、この気温の急変には
ついて行くのが苦手で、よく風邪をひいたりしているのですが
年のせいか、体内サーモスタットが年々鈍くなっています。
母などは、寒い寒いの連発で
例年なら、なんとか我慢させていても、
今年は無理
我が家のエアコンはかなりの年代物でしたので
エコの風潮にも反するということで
先日、新しいものに交換いたしました。
暖かい
今まで、どんなに性能が悪かったのか・・・
この寒さで改めて認識いたしました。
母の体内サーモスタットも年々鈍くなってはいるのですが。
年明けに足を怪我してから
やはり、歩くのが一層難しくなっている様子です。
相変わらず、家の中で転がっております。
それなのに、動く・・・それも、無理な態勢で。
怒ってはいけない、広い心で
そうは思っておりますが、
キレます
近頃は、私の方が先に倒れるのではと、
不安になることも無くはないのですが(爆)
そんな中、数日前に朝日新聞の夕刊で
心にグサッと響く記事をよみました。
100歳のおじい様と暮らす役者志望だったお孫さんの話でした。
100年間生きることは当然、幸せ極まりないことですが、
それは同時にまた「孤独を生きる」ことでもあるのです
重たい言葉です。母はまだ100歳には、時間がかなりありますが
一族では、最高齢になってしまっています。
幸い、友人たちはみなさん、「動いたっきり老人」の如くで
母よりも達者で元気です。
耳の遠い母相手に、大声で電話をしてくださいます。
そういう意味では孤独には遠いのかもしれません。
実は、つい先日13回忌を迎えた母方の祖母は
100歳を越えたころから、
知人の訃報だけは伝えないようにしていました。
尤も、うちの祖母は自他ともに認める
不思議ちゃんでしたので、周りの心遣いは無駄な行為だったみたいです。
ベッドで横になりながらポツリと
「昨日、誰々さんがお別れに来たよ。皆、いなくなっちゃうね」
まさしく、孤独を生きていました。
長く生きることは、幸せなんだけど、
自由に動けなくなったり
わけがわからなくなったりするのは
寂しいし哀しいことですね
なんだか、ヨロヨロする母を見ていると
戸惑ってしまって、哀しくなります。
親って、いつまでも「歳をとらない」つもりでいましたから
今日のタイトルは「慟哭」を選びました。
布施明さんのライブでは、お馴染みの曲です。
原曲は「カルーソー」
原詩とは、かけ離れた歌詞で布施さんが唄われますが
この内容はやはり「生と死」
生きていくことの重たさを年月を垣間見る気がします。
これは、ライブビデオでは、映像が残っています。
ここ数年は聴く事ができませんが、
広くファン以外の人にも聴いて貰いたい一曲ですね。
このアルバムに収録されている曲は
布施さんのライブでもお馴染みの曲が多いですね。
表紙の写真は、ちょっと遊びで
刺繍をしてみました。
どうしても、猫の柄を作ってみたくて
刺繍なんて、ン十年振りで難しかったです。
一応、黒猫・・・の、つもりです
雪が薄らと積もっている景色が流れていました。
寒いです
今、窓の外でバラバラという妙な音がしたので
カーテンを開けてチョロっと眺めてみると
白いものが混ざっています。
みぞれです
もう4月も半ばだというのに・・・
先週の日曜日には夏日に近い気温だったというのに
今年の天候はまるでジェット・コースターのように
上がったり、下がったり
体調がついていきません
若いころからでも、この気温の急変には
ついて行くのが苦手で、よく風邪をひいたりしているのですが
年のせいか、体内サーモスタットが年々鈍くなっています。
母などは、寒い寒いの連発で
例年なら、なんとか我慢させていても、
今年は無理
我が家のエアコンはかなりの年代物でしたので
エコの風潮にも反するということで
先日、新しいものに交換いたしました。
暖かい
今まで、どんなに性能が悪かったのか・・・
この寒さで改めて認識いたしました。
母の体内サーモスタットも年々鈍くなってはいるのですが。
年明けに足を怪我してから
やはり、歩くのが一層難しくなっている様子です。
相変わらず、家の中で転がっております。
それなのに、動く・・・それも、無理な態勢で。
怒ってはいけない、広い心で
そうは思っておりますが、
キレます
近頃は、私の方が先に倒れるのではと、
不安になることも無くはないのですが(爆)
そんな中、数日前に朝日新聞の夕刊で
心にグサッと響く記事をよみました。
100歳のおじい様と暮らす役者志望だったお孫さんの話でした。
100年間生きることは当然、幸せ極まりないことですが、
それは同時にまた「孤独を生きる」ことでもあるのです
重たい言葉です。母はまだ100歳には、時間がかなりありますが
一族では、最高齢になってしまっています。
幸い、友人たちはみなさん、「動いたっきり老人」の如くで
母よりも達者で元気です。
耳の遠い母相手に、大声で電話をしてくださいます。
そういう意味では孤独には遠いのかもしれません。
実は、つい先日13回忌を迎えた母方の祖母は
100歳を越えたころから、
知人の訃報だけは伝えないようにしていました。
尤も、うちの祖母は自他ともに認める
不思議ちゃんでしたので、周りの心遣いは無駄な行為だったみたいです。
ベッドで横になりながらポツリと
「昨日、誰々さんがお別れに来たよ。皆、いなくなっちゃうね」
まさしく、孤独を生きていました。
長く生きることは、幸せなんだけど、
自由に動けなくなったり
わけがわからなくなったりするのは
寂しいし哀しいことですね
なんだか、ヨロヨロする母を見ていると
戸惑ってしまって、哀しくなります。
親って、いつまでも「歳をとらない」つもりでいましたから
今日のタイトルは「慟哭」を選びました。
布施明さんのライブでは、お馴染みの曲です。
原曲は「カルーソー」
原詩とは、かけ離れた歌詞で布施さんが唄われますが
この内容はやはり「生と死」
生きていくことの重たさを年月を垣間見る気がします。
これは、ライブビデオでは、映像が残っています。
ここ数年は聴く事ができませんが、
広くファン以外の人にも聴いて貰いたい一曲ですね。
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このアルバムに収録されている曲は
布施さんのライブでもお馴染みの曲が多いですね。
表紙の写真は、ちょっと遊びで
刺繍をしてみました。
どうしても、猫の柄を作ってみたくて
刺繍なんて、ン十年振りで難しかったです。
一応、黒猫・・・の、つもりです