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☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

仕事の順序を正しくすること

2014-05-13 03:30:00 | 今日の光明法語

物事を良くするには

順序が正しくなければならない。


仕事の順序がととのわねばならぬと云(い)うことを

「 仕事にはシステムがなければならぬ 」 と云う。


システムと云うのは

「 すじ 」 の通った一つの順序のことである。


勉強するのでも、参考書をチャンと手の届くところに

定めて置いておくことが必要である。


大ていの人は、どこにどの本があったか

探しまわるのに大変な時間をかけている。


坐(すわ)って勉強していたのに、

又 立って書棚へ行くだけでも度々すると、

勉強に落着きがなくなり、精神が統一しないで、

勉強の能率があがらない。


又 ものを探すと云うことは、

それが見つからないとイライラして来るから

一冊の本がみつからないだけで、

半日、何もせずにすごさなければならないこともあるものである。


こうして、或る日は半日が失われ、

無駄に費やしてしまう人が多い。


だからすべての物は 正しい置き場に置くことだ。


使ったものを蔵(しま)うときには、

少し遠くとも、面倒でも 元あった場所に

それを返して置くが好(よ)い。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 三十一日の法語  谷口雅春先生





よき種子(たね)を播(ま)かねばならぬ

2014-05-12 03:30:00 | 今日の光明法語

キリストは

「 二人の主(しゅ)に仕うること能(あた)わず 」

といったのである。


一事を成就するためには

他のすべてを犠牲にする覚悟がなくてはならない。


しかし 一事が成就されたら、

その他の欲するものも

自ずから獲得し得るのである。


蒔(ま)かぬ種は生えぬ。

蒔いた種は 刈りとらなければならぬ。


善き種を蒔くことは

善き収穫を得ることの前提である。


善き人格の種を蒔けば

善き運命が刈りとられるのである。


想(おも)い、言葉、行いは

すべて種となるものである。


すべての想いと言葉と行いとは

一種の惰力をもっていて、

それは結局 形をつくる力となるのである。

習慣がそれである。


善き習慣をつくれば

その次には努力なくして善きものが造られる。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 三十日の法語  谷口雅春先生



目的を定めなければ生命力は浪費される

2014-05-11 03:30:00 | 今日の光明法語

目的を定めずに努力しても

無効に終ることが多い。


港から出た船が

いくら燃料をもやして

エンジンを動かしても、

どこへ行くのか目的がわからないでは、

その船は無駄に航海するに等しいのである。


目的がなければ

目的を心に描くことである。


最高完全なる あこがれの対象を心に描いて

それが すでに自分であると念ずることである。

そしてそれを目的として全力を集中せよ。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十九日の法語  谷口雅春先生




詰まらない仕事が大きな仕事の基礎となる

2014-05-10 03:30:00 | 今日の光明法語

始終 目的を変更し、

職業を変更するものは

成功することはできない。


自分の職業をつまらないと思って、

もっと楽な 成功しているように見える仕事をうらやんで

心を他にふらふらさせる者は成功することができない。


どんなつまらない仕事でも、

それに本当に没頭する時、

それが基礎になってもっと大きな仕事が

成就できるのである。


成功の鍵(かぎ)は

自分自身のこの世界に占むべき位置であるところに

自分をおくということである。


今いる位置がかかる位置であるかないかは、

今いる位置に於いて真心をつくして

一心不乱に仕事をすることによって、

本当に自分の行くべき道の出口に出られるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十八日の法語  谷口雅春先生



人生は一路邁進(まいしん)だ

2014-05-09 03:30:00 | 今日の光明法語

世界は、まっしぐらに一路邁進するものの前には

自(おの)ずから道を開いて敬意を表するのである。


人生の前進は「 気合 」によって行われる。


まず心に実現すべき目的を描いて

その目標に対して遮二無二(しゃにむに)突き進むのである。


その時 如何なる障礙(しょうがい)物も

自(みずか)らその前進の踏み台となり

お庭の飛石となるのである。


障害物の上をとびこすことができなければ、

障礙物の下を くぐればよいのである。


下を くぐることもできなければ

障礙物に真正面からぶつかれ。


障害物は本来ないのであるから

その瞬間 その姿を消すであろう。




『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十七日の法語  谷口雅春先生




人間の能力は太陽の如きものである

2014-05-08 03:30:00 | 今日の光明法語

太陽の光によって誰も火傷(やけど)をしたものはない、

それはその光熱が拡散しているからである。


もしその光熱をレンズによって集中するならば、

それは大理石をとかし、ダイヤモンドさえも

燃やしてしまう力であるのである。


人間の能力も凡庸のように見えていても

もしその精神力を集中するならば

如何(いか)なるものをも 成就する力があるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十六日の法語  谷口雅春先生




外界の擾乱(じょうらん)に心をとらわれるな

2014-05-07 03:30:00 | 今日の光明法語

ビクトル・ユーゴは一八三○年の革命戦争の真最中で

銃砲弾の飛んでくるその直下の部屋に於いて、

扉をとざして外へ逃げられないように、

誰(たれ)からも誘惑されないようにして

熱心に著作に従事したのが名作 「 ノートルダム 」 であるという。


どんな時にでも心を散乱せしめるようなものは

大業(たいぎょう)をなすことはできないのである。


一念集中の力は一大磁石の如(ごと)きものである。


次第次第に周囲のものをひきよせて、

そして遂(つい)に偉大なる仕事を成就するのである。




『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十五日の法語  谷口雅春先生




精神の粘着力が天才を作る

2014-05-06 03:30:00 | 今日の光明法語

或(あ)る人はいう。

「 天才は忍耐なり 」 と。


まことにも天才は一つの目的に

精神力を粘着せしめて放さない人である。


一心になれば何でも一度きいたことは

忘れないで記憶することができる。


アブラハム・リンコルンは子供の時教会できいた話を

家(うち)へ帰ると、そのまま口移しに少しも間違わずに

復唱することができたという。


これは説教を聴聞している際に

完全に精神が説教に集中していたからである。


学校でも先生の顔を見詰めて一心に傾聴している生徒は

屹度(きっと)成績優良である。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十四日の法語  谷口雅春先生





天才とは精神集中者である

2014-05-05 03:30:00 | 今日の光明法語

まず一人一目的に精神力及び肉体力を集中すべきである。


あれをやり、これをやり、精力と能力とを分散せしめるならば

余程の天才でもすばらしい大業を成し遂げることは出来ないのである。


一人一目的に集中する時 余程の凡庸なるものも

必ずその目的を貫徹することができるのである。


寧(むし)ろ天才とは巧みに事物に興味をもって

精神力を集中し得た凡庸人とも云(い)えるのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十三日の法語  谷口雅春先生




一念不動、ただ前進せよ

2014-05-04 03:30:00 | 今日の光明法語

一念不動である。

傍目(わきめ)をふること勿れ。


目的以外に精力を浪費しないものは、

遂(つい)に目的を貫徹するものである。


特に仕事の最中に机の上に色々の物を置いて

気を散らしてはならない。


ミケランジェロは常にそのアトリエに

唯(ただ)一人きりで生活したのである。


友人がその理由を尋ねると彼は答えていった。

「 芸術は嫉妬深い婦人である。

彼女は私のすべてのすべてを要求するのです。」 と。


彼はシスタイン・チヤペルで仕事をしていた時には

誰(たれ)にも会うことを拒絶した。


自宅にいてもその期間は誰にも面会を

拒絶したといわれている。


一念芸術製作に没頭した彼であったればこそ

かくの如き名作が生まれたのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十二日の法語  谷口雅春先生




困難を見ず真直(まっすぐ)に行け

2014-05-03 03:30:00 | 今日の光明法語

困っているということ勿(なか)れ。


「 困っている 」 と告白することは

その人の無能力を表現するのであるから

何人(なんぴと)もそんな人を雇いたがらないであろう。


どんな困難の前にも困らないで常に楽しい精神状態でいるもののみが

人から歓迎されるのである。


困難を言葉で表現すれば困難は増大する。

真直に行け。

断じて行け。


人生は矢の如(ごと)きものである。

進まない矢は途中で墜落してしまう外(ほか)はない。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十一日の法語  谷口雅春先生




困難は魂を浄化する

2014-05-02 03:30:30 | 今日の光明法語


人生は一見 有用なるものばかりでは

成り立ってはいないのである。


却(かえ)って無用と見えるものが

適当の分量に於いて有用であるのである。


滋養物のみが人体に健康を与えるのではない。


不消化な滓(かす)になるような繊維素その他が

腸内の清浄作用に非常に役に立っているのである。


それと同じく人生に不用に思われる摩擦や困難が

吾々の魂の清浄作用に役立っているのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 二十日の法語  谷口雅春先生




重きものは筋肉を発達せしめる

2014-05-01 17:38:38 | 今日の光明法語

千万長者といわれるような人たちは何(いず)れも一度は

破産者または、破産同様の関所を越えてきた人ばかりである。


もしそうでなく安易に一千万円を得たならば、

それは間もなく煙のように消えてしまうに違いない。


もっとも美しき、もっとも強き、もっとも高邁(こうまい)なる性格は、

温室のような環境では育たないのである。


それはもっとも美しき筋肉美が、重きものを動かす運動をしないで

発達しないのとおなじことである。

環境の重圧に耐えて来た魂の筋肉美こそ最も美しいのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年七月号

「 困難の受け方に就いて 」 十九日の法語  谷口雅春先生