唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

デューン 砂の惑星 (2)  ハヤカワ文庫

2014年09月19日 | 
デューン 砂の惑星 (2) (ハヤカワ文庫 SF (83))
フランク・ハーバート,矢野 徹
早川書房
12

ハルコンネンの謀略でお父さんが殺されて、お母さんとポウルは砂漠へ。
ポウルは目覚めました。
しかし、そのことによって、母親と立場が逆転してしまったような感じはちょっと悲しい。
母親の反応の遅さにイラッとする。そして、そんな息子を見て母親もムカッとくる。こんなやり取りはなんかいやだけど、一般家庭でもありそう。
ポウルは、ずっと先まで見えてしまってるのですね。それが必ずしも映画のようにハッピーエンドではないのかもしれません。

銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 (創元SF文庫)

2014年09月16日 | 
銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 (創元SF文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社
11

レンズマンです。
なんか、スケールがでかすぎて、自分には理解できません。
こんな話だったんですね。
キムボールキニスンは、スピード感があって、スマートな人なんですね。人間の常識を超えた、非常識な男になってしまったようです。



デューン砂の惑星 (1) /ハヤカワ文庫

2014年09月15日 | 
デューン砂の惑星 (1) (ハヤカワ文庫 SF (76))
クリエーター情報なし
早川書房
10

「アラキス…デューン…」「セカンドムーン…」「故郷の話を…」なんていろいろ頭の中の声がいまでもたまに出てきます。しかも日本語で!。
映画を観て本を買ったけれど、なかなか読み切ることができなかったのであらためて挑戦しました。
「失敗作」と言われようと、映画のDUNEが自分の中のDUNEなので、イメージもその通りになってしまう。
その時の写真も中にちりばめられてるし。でも、こんなシーン見たことないぞっていう写真ばかりな気がしました。
ハルコネンの陰謀を知りつつもアラキスに降り立ったアトレイデ家。息子のポールが到着早々暗殺されそうになります。それを未然に防げなかったメンタートのハワトは自分に対して怒り、父のレトは息子を殺そうとした「敵」に怒ります。ハルコネンの陰謀の前にアトレイデ家は抹殺されるのか?砂虫とは?伝説のクイサッツハデラッハとは?楽しみが広がります。
さて、今度は最後までいけるのか…。
たぶん途中で挫折すると思います。


被爆アオギリと生きる―語り部・沼田鈴子の伝言 (岩波ジュニア新書) / 広岩 近広

2014年08月25日 | 
被爆アオギリと生きる――語り部・沼田鈴子の伝言 (岩波ジュニア新書)
広岩 近広
岩波書店
9

ヒロシマの被爆体験を語り続けた沼田鈴子さんの活動について書かれています。

被爆の体験をただ語るというだけでなく、沖縄やアジア、アメリカの戦争の被害者に向き合うことで、自分が若い時、何も知らない軍国少女だったと反省し、加害者としての日本の立場をしっかりと基本に据えているところがアジアやあめりか、ヨーロッパでの共感の土台にあると思いました。

韓国の被爆者の実態、重慶爆撃やマレーシアでの残虐行為。沼田さんの海外活動がまず日本の犯したことを自覚するたびになり、そのことと向き合うことで被爆体験が深く伝わっていく。そんな気がしました。
原発や、戦争をする国にしようとする動きにも声を上げたたかってきた人でした。

沼田さんがまいた種は世界に広がった被爆アオギリのように、世界を変えていったような気がします。沼田さんだけではありませんが、世界の核兵器廃絶の流れも、こういった多くの被爆者や平和を願う人々の地道な活動が大きな影響を与えている気がします。

気がする。気がする。


アオギリにたくして (徳間文庫)

2014年08月20日 | 
アオギリにたくして (徳間文庫)
クリエーター情報なし
徳間書店
8

映画を観てその場で本を購入、さっき、読み終えました。
映画にはなかった場面なんかもあって、良かったです。
原爆の恐ろしさは、強力な爆風や熱線だけでなく、放射能だけでなく、街を家族を人間を将来にわたって破壊し続けることだと感じます。そんな田中節子さんとその妹さん、お父さんお母さん、婚約者とその母、いろんな人の人生がこわさていくわけです。

だからこそ、アオギリのようにしぶとく生き抜いて、語り部として原爆に正面から立ち向かう姿が感動的でした。永遠のゼロと同じように、現代の若者が過去を調べていくという形をとっていますが、永遠のゼロの薄っぺらさとは違って、主人公の心境の変化をきちんと描いていると思いました。


新訳 思い出のマーニー (角川文庫)

2014年07月28日 | 
新訳 思い出のマーニー (角川文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA/角川書店


映画が面白かったので読んでみました。

映画の舞台が日本だったので、洋風な屋敷と外国人と、日本人の登場人物の重なり具合が微妙に違和感があって、「かずひこ!」とか言われちゃうと、日本にする意味は何かあったのか不思議な気がするし。まあ、「かずひこ」という名前で古い人なんだろうというのもわかるわけだけど。

小説はそういった違和感は当然ないので、その分流れもスムーズ。というか、明確にマーニーとの交流の前半と、お屋敷に引っ越してきた人たちとの交流、マーニーのなぞ解きの後半に分かれていて、この流れもよくて、後半では、マーニーが記憶や記録の中の人物になっていて、前半の生き生きとしたマーニーが静止した動かないものになってしまったさみしさ、そしてそこからアンナが動き出し、マーニーの記憶もみんなの中で動き出すような、最後はなんというか静かな感動とでもいうのでしょうか。とても優しい気持ちで本を読み終えました。

後半に出てくる家族が良かったです。

そして最後、マーニーは昔の人でなく、今あったような感じで言うのよ・・・ってところが、とてもうれしくなるのです。
そして、映画では設定上(?)語られなかった、アンナの名前の意味が素敵です。


奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)

2014年07月01日 | 
奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


ガラスの仮面のアニメを見て、それで、奇跡の人の映画を見て、ここにたどり着きました。
とても薄い本なのですぐ読めます。
子ども時代のヘレンのところはとても面白いです。
言葉は心の声なんだなあ…と感じます。そして、文章の表現で、あたかも見えて聞こえてるような表現があります。そして、ヘレンが感じたことの表現というのは、本当にみて聞いたものなんだろうと。物理的に見えるわけではないし、音も聞き取れるわけではないけれど、体で感じること、振動や空気感、手で触った感触、本や学習で身に付けた知識、すべての経験から判断した結果、それが見たり聞いたりした体験になるんだと思います。でも、それには、多くの人の協力もあったことがわかります。

そして、普通の人よりもいろんなものを感じて生きていることがとても素晴らしいと思います。

特に自然とのふれあいが素晴らしい。
風が体をふきぬけることや、水の流れ、木々のざわめき、生き物の躍動、一つ一つの何気ない運動自体がなんか奇跡のような気がしてきます。こんな美しいものを人間は壊してきたわけですが。
都会の喧騒にも触れています。やはり、自然の中にいるときとまったく違って、ストレスを感じるようです。

貧困、格差社会についてものべています。
ヘレンの奇跡は、努力のたまものなんだけど、家がそれなりに裕福だったからこその結果ともいえるような気がしました。

旧約聖書の一説なんかが所々に出てきてそれもまたおもしろいところです。




キネマの神様

2014年05月18日 | 
キネマの神様
クリエーター情報なし
文藝春秋


途中までは結構引き込まれていったんですけど、就職が決まってからの本筋ともいえる後半はなんというか、あまり面白くなかったです。
出てくる映画は、普通の映画にあえてしてるんだろうけど、出てくる作品を面白いと思う登場人物が、それほど深い考察をできるようにも思えなかったし。その辺のなんというかギャップが・・・。
主人公の女の人が後半はおまけみたいになってるのもいやでした。この人は、新たな就職先で、何を手に入れたのでしょうか。

映画を通じて真の友情だったり、家族のきずなだったりが深まりました。という話なんでしょうけど、なぜか、こころに響いてこないんですよね。
まあ、親父さんが最後まで好きになれなかったことが最大の原因ですね。


地図と絵画で読む 聖書大百科【普及版】

2014年04月15日 | 
地図と絵画で読む 聖書大百科【普及版】
クリエーター情報なし
創元社


こんな本も買っちゃいました。
最近、無駄遣いばかりしてる。
いや、この本が無駄遣いというわけではないんだけど。衝動買いが多いなあと。

毎日ではないけど、1~2ページづつ読み進めています。
書いてあることはとてもむずかしい。
名前や土地がよくわからないし、物語自体もそんなに知っているわけではないし。
でも、なんか読んでいるとなにかをつかめる気がします。
それは信仰でなくて、歴史的なものですけどね。

1/3ほどしか進んでいないけれど、本を理解できない程度の頭で感じるのは、血で血を洗う土地の取り合いが、だんだん組織的になって侵略性が増していく感じとか、最初は個人と神の関係だったものが集団と神の関係になってきてる気もするし。神への認識がだんだん薄れていってること。さて、これからどうなるのでしょうか。

旧約聖書を読むときに、信仰として読むというのには抵抗があるけれど、歴史的にみるととても貴重な事が書かれている気がします。いや、信仰する人にとっては、神と人間の関係こそが主なのだろうけど。

ココ・マッカリーナの机 (集英社文庫)/中島京子

2014年03月13日 | 
ココ・マッカリーナの机 (集英社文庫)
クリエーター情報なし
集英社



政治の世界だけを観てるとなんて横柄な国と思ってしまうけれど、これもアメリカの姿です。人間的な温かみを感じます。日本語なまりの英語を「でも私たちはキョウコの英語が好きよ」というくだりはすごく心に残ります。あと、広島の話も良かったです。

ほんわかしていて、とても気持ちがあたたまる。ココ・マッカリーナという愛称にすべてが集約されている気がしました。

人と人とのつながりを邪魔してるのは案外政治だったりします。
政治が人と人とのつながりをもっと大切にできれば、自然といい世界になるんじゃないですかね。
あたりまえといえば当たり前の話だけど、その当たり前のことをできなくさせているのが現状です。
中国や韓国との関係も同じことが言えると思います。

あ、こんなこと考えちゃって本の内容と全くかけ離れちゃってますが、そんな政治抜きで気楽に面白く読めました。 

今年やっと4冊目です。


小さいおうち (文春文庫) / 中島 京子

2014年03月01日 | 
小さいおうち (文春文庫)
中島 京子
文藝春秋


映画を見て原作が気になって読んでみました。
最後の、イタクラショージに二人がどう映っていたのか・・・というところにびっくりしました。映画では全く感じなかった視点でした。映画を見た後でいろいろ考えていたときは、タキさんが手紙を届けなかったのは板倉さんを好きだったからかもしれないなあ…ぐらいに思っていたけれども、もっと違う視点があったんですねえ…でも真実は、タキさんの死とともに結局わからないわけですけど。


三人の関係で、三人がそれぞれ二人をどう見ていたのか、とても気になってしまいます。
タキさんの残した手記と、板倉さんの絵だけが頼りです。でも、タキさんの手記は真実を書いているとは断言できないし、板倉さんの絵は抽象的でわかるわけがない。このミステリーは、人間だれもが持っている秘密。ミステリーです。そして、それはそのままでいいものです。
なら、タキさんがあえてそれを書こうと思ったのはなぜ?

映画が、以外にも忠実につくられているのにも驚きました。山田洋次さんらしさと思っていたものは実はすでにこの作品の中にそれがあったし、逆にここまでわざとらしいセリフをはかせるか?と思ったところも、この小説にあるものでした。

映画を見てから読んだ本なので、タキさんはあのタキさんで、時子さんはこの時子さんでした。映画を見ているので、物語のイメージもすんなり入ってきてとても面白く読めました。映画に入っていないエピソードもあって、さらに深みが増しました。もう一度映画を見てみたくなりました。逆に残念なのは、映画の助けを借りてこの本を読んだだけであって、この本を最初に読んでいたら、この本をちゃんと読めたのか、または、読んだ後に映画を見たら映画はどんな印象になったのか、それがわからないことです。それが最大の謎です。

戦争に向かって行くときの国内の状況、国民の意識というものは、時とともに移り変わっていくもので、気が付いたら取り返しのつかないところまで行ってしまうんですね。だから、歴史に学ばなければいけないわけですが、今の政治の流れの中で、戦争に向かう危険性を感じつつも、まさかそんなことにはならないだろうと思っている自分もいたけれども、そう思っているうちに気が付いたら、巻き込まれているというのが戦争なのでしょう。

もう一つびっくりしたのが、この作者さんのことです。この作品で初めて知ったんですけど、最初は山田洋次さんと同い年かもうちょっと年配の人かと思っていました。(すいません・・・)映画を見たせいもあって、小説に対する安心感が前提であったので、これは体験者の話だと思い込んでいたのです。そしたら1964年生まれと書いてあってびっくり!!!(ほんとすいません・・・
最終章ではなんか今まで物語とガラッと変わった感じがして実はテキトーに読んでしまいましたが(マジですいません・・・)、そこの文章だけなら1964年というのもわかります。しかし、本当に1964年生まれの人がその「時代」を書けるのでしょうか。
今では比較するのも申し訳ないくそ作品の永遠のなんたらいう小説を読んでいた時は調べたことを調べたようにのせているなあ…と思ったけれど、この本では、そういう調べてるなあ…ということはちっとも感じませんでした。なんか、本当に実体験を書いているものと思っていました。この「時代」の空気を表現できる1964年生まれっていったい何なの?まさか別の人が…さむらご…(すごくすいません!!いろんな意味ですいません。)

というわけで、著者の心の中にある真実を知りたいものです。(物語の結末のです)

永遠の0

2013年10月02日 | 
永遠の0 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


面白く読めました。泣きもしました。でも、なにかしっくりこなかったです。

特攻だったおじいさんのことが何人かの証言で明らかになっていくのはいいんだけど、一人ひとりの話は机上でつくりあげたような印象が強くて、それぞれの人の口から発された言葉のような気がしない。ゼロ戦やいろんな作戦の中身までこと細かく言うとは思えない。おじいさんのことよりも目的と違う余計なことのほうが熱が入ってる気がして。その余計なところが面白いんだけどね。

そして最後のほうを読み進めているうちにふと思ったのです。日本軍のシステムに問題があっただけで、そのシステムがしっかりしていれば、上官がまともで、軍部もいろんなばかばかしい作戦を立てずに、特攻なんかもしなくていい戦争ができたというのでしょうか。この戦争自体は日本は正しい選択をしたのでしょうか。日本が戦争に勝てば問題なかったのでしょうか。

特攻は自爆テロと違って民間人にむけてやられたものではないと言ってた人もいたけれど、命令が貿易センタービルへの突入だったら、断ったのでしょうか。日本人はこの戦争で、民間人に対して銃を向けたことはなかったのでしょうか。むしろ日本兵が殺した大多数は民間人だったのではないでしょうか。

この戦争で死んでいった日本兵の大多数は残念ながら国を守るために死んでいった人たちではないと思うのです。死んだのが日本の国内か外かその割合をみれば圧倒的に国外で死んでいるのではないでしょうか。そこには日本の侵略性が表れているわけで、それもなしにただ兵隊さんは立派にお国を守りました。愛する人を守るために死にましたというのは薄っぺらすぎる。そこのずれがしっくりこなかった原因だと思います。

自衛のための戦争…その自衛のための戦争に負けたのになぜ日本は日本として残されたのか。その自衛ってなんなんでしょうか。何に対して何をまもるためだったのでしょうか。自衛のために外国を攻めるってどういうことなのでしょうか。そもそも日本が戦争を始めなければ、空襲はなかったし、原爆も落とす理由はなかったわけです。

この物語は、いろいろ残酷だったり悲惨だったりのエピソードを交えながら、戦争はいけないという体裁になっているようで、実は戦争自体を美しいものにしている。そんな気がしました。

「レ・ミゼラブル」百六景〈新装版〉 (文春文庫)

2013年05月13日 | 
「レ・ミゼラブル」百六景〈新装版〉 (文春文庫)
鹿島 茂
文藝春秋


ながーいレ・ミゼラブルのおいしいところの解説をしてくれるのでなるほどと思うことが結構ありました。
レミゼラブルの本自体を読んでいないのでジャンバルジャンが金持ちとして登場するところは何でなのかわからないとこ炉だったんだけど、それも空想的社会主義者の影響が表れているというのはなんか妙に納得だし、コゼットよりも死んじゃう女の人の哀愁を感じさせるのは何でかも気になっていたのだけれど、ユゴー自身のその辺の気持ちがちょっとわかった気がしたのはなんか良かった。

今だとパクリは大変なことだけど、この当時はお互いパクリあって物語を作っていたのかもしれないとも思いました。クラシックで、ヨハンシュトラウスなんかがそのときの流行の曲のメロディを曲の中に取り入れたりして、そういうことはその当時は当たり前にやられていたとどこかで読んだけど、文学もそうだったに違いないとなんとなく思いました。



フランス革命 -歴史における劇薬- /遅塚忠躬 (岩波ジュニア新書)

2013年04月19日 | 
とても面白い本でした。
フランス革命の偉大さというのはイメージとしてもっていたけれど、その革命の中での悲惨さ、残酷さがとても印象深かったです。ちゃんと歴史を勉強せねば。

それで、革命は、革命が起きました。はい、変わりました!という単純なものではなくて、最初のきっかけから、大きなうねり、反動の巻き返し、妥協、偶然、必然・・・いろいろなものがその流れの中にあってこれはこういうものと一言で言い切れないものがあると思いました。

川の流れも、ただまっすぐに流れているわけではなく、渦巻いたり、溜まってしまったり、岩にぶつかったり、いろんなうねりがその大きな流れに中にはありますもんね。

生存権、市民の生活保障が社会の義務とされる流れがここで生まれ、今の自分たちの生活にもその反映があるわけですが、そういう歴史的な大きな流れを見たときに、また逆流も起こっていることを感じます。維新の会はあからさまですね。以前の困窮者へのお恵み的に戻そうという考えが露骨に出ています。生活保護バッシングなんかもそれですね。

維新の会=RESTORATION PARTY=復古の会

なるほど、そういうことだったんですね。

話を元に戻して、若者が革命の中心にいることも印象的でした。これは、レミゼラブルを観たときにも思ったんです。やっぱり社会変革は変革の側の主体に若い人たちが能動的に集まっている状態が必要だと。日本はダメかなあ・・・とぼんやり考えてはっと思いました反原発の運動とかで、若い世代が動き出しているのが今ですよね。そうやって考えていくと、いろんな反動や逆流の中でも大きな流れが起こりつつあるのが今の状況じゃないかと。政治のひどさからいったら、もう末期的ですからね。

ちょっとテレビでみたら、待機児ゼロなんて安倍さんが言ったとかってやってたけどその中身は、認可以外への補助。つまり、企業が参入しやすいように基準がゆるいところを援助して、詰め込みをやろうということなんじゃないのか?と思ってしまいます。いいことを言っている裏を考えてしまう今日この頃です。

歴史ってすごいですね。革命の中心になった人が自分たちの革命によって死んでいくのはまさに悲劇としか言いようがないです。産みの苦しみ。ここでは劇薬と表現していましたが、歴史の前進のために払った犠牲はかなり大きいんですね。

ロシア革命も大きな志とは真逆の恐怖政治によってソ連崩壊となりました。ここでは劇薬というよりはスターリンという毒薬が結果的に死に至らしめたと思ってしまいますが。

これからの社会変革の事業というのは、どうなっていくのでしょうか。

話があっちこっちに飛んでしまいましたが、今の状況にひきつけて考えると面白い本だということですね。
歴史に学び今を見つめ、未来を作る。人間一人ひとりがその主役です。

フランス革命―歴史における劇薬 (岩波ジュニア新書)
遅塚 忠躬
岩波書店