映画を見て原作が気になって読んでみました。
最後の、イタクラショージに二人がどう映っていたのか・・・というところにびっくりしました。映画では全く感じなかった視点でした。映画を見た後でいろいろ考えていたときは、タキさんが手紙を届けなかったのは板倉さんを好きだったからかもしれないなあ…ぐらいに思っていたけれども、もっと違う視点があったんですねえ…でも真実は、タキさんの死とともに結局わからないわけですけど。
三人の関係で、三人がそれぞれ二人をどう見ていたのか、とても気になってしまいます。
タキさんの残した手記と、板倉さんの絵だけが頼りです。でも、タキさんの手記は真実を書いているとは断言できないし、板倉さんの絵は抽象的でわかるわけがない。このミステリーは、人間だれもが持っている秘密。ミステリーです。そして、それはそのままでいいものです。
なら、タキさんがあえてそれを書こうと思ったのはなぜ?
映画が、以外にも忠実につくられているのにも驚きました。山田洋次さんらしさと思っていたものは実はすでにこの作品の中にそれがあったし、逆にここまでわざとらしいセリフをはかせるか?と思ったところも、この小説にあるものでした。
映画を見てから読んだ本なので、タキさんはあのタキさんで、時子さんはこの時子さんでした。映画を見ているので、物語のイメージもすんなり入ってきてとても面白く読めました。映画に入っていないエピソードもあって、さらに深みが増しました。もう一度映画を見てみたくなりました。逆に残念なのは、映画の助けを借りてこの本を読んだだけであって、この本を最初に読んでいたら、この本をちゃんと読めたのか、または、読んだ後に映画を見たら映画はどんな印象になったのか、それがわからないことです。それが最大の謎です。
戦争に向かって行くときの国内の状況、国民の意識というものは、時とともに移り変わっていくもので、気が付いたら取り返しのつかないところまで行ってしまうんですね。だから、歴史に学ばなければいけないわけですが、今の政治の流れの中で、戦争に向かう危険性を感じつつも、まさかそんなことにはならないだろうと思っている自分もいたけれども、そう思っているうちに気が付いたら、巻き込まれているというのが戦争なのでしょう。
もう一つびっくりしたのが、この作者さんのことです。この作品で初めて知ったんですけど、最初は山田洋次さんと同い年かもうちょっと年配の人かと思っていました。(すいません・・・)映画を見たせいもあって、小説に対する安心感が前提であったので、これは体験者の話だと思い込んでいたのです。そしたら1964年生まれと書いてあってびっくり!!!(ほんとすいません・・・
最終章ではなんか今まで物語とガラッと変わった感じがして実はテキトーに読んでしまいましたが(マジですいません・・・)、そこの文章だけなら1964年というのもわかります。しかし、本当に1964年生まれの人がその「時代」を書けるのでしょうか。
今では比較するのも申し訳ないくそ作品の永遠のなんたらいう小説を読んでいた時は調べたことを調べたようにのせているなあ…と思ったけれど、この本では、そういう調べてるなあ…ということはちっとも感じませんでした。なんか、本当に実体験を書いているものと思っていました。この「時代」の空気を表現できる1964年生まれっていったい何なの?まさか別の人が…さむらご…(すごくすいません!!いろんな意味ですいません。)
というわけで、著者の心の中にある真実を知りたいものです。(物語の結末のです)