唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

東京難民/福澤徹三

2013年03月25日 | 
知り合いにあっという間に読めるからと貸してもらった本。あっという間というほど短時間ではないけれど、それなりに短い時間で読めました。あっという間にならなかったのは、主人公に共感がもてなかったからかなあ・・・

追い討ちをかける不幸の連続。これも社会の実際の出来事をつなぎ合わせたんだろうけど、彼自身がそこから這い上がろうとするときに自ら這い上がれない選択をしてしまうもんで、「自己責任」的感情が沸いてしまう。社会が悪いんだろうけど、この人の行動になんか一貫したものがないのが共感がもてない原因なのでしょう。

その上、もてちゃうのが腹立たしい。・・・これがいちばんこの人を信じられない原因かも。完全に嫉妬ですね。でも、それにしたって会う女の人すべてがこの人に好意をもつんだけど、それほどの人間には思えない。
いいかげんな人間のくせにあるときはとても誠実になって。バカなやつなのに、あるときにはとても知的に見えて。周りの人は結構主人公よりも劣ってる感じな印象を持たされてるのもなんかいやでした。長老的なおじいちゃんとか、最後のボランティアのお姉さんとか、後半で知り合った作家志望の知的な人とか、比較的印象深い人でも、ただ単にそういう人という域を出ない薄っぺらな感じがしました。

一つ一つの出来事は誰かが体験したことなんだろうけど、本当にそんなことが一人の人に襲いかかるものなのか。あんな短期間にこんな劇的に生活が変化するものなのか、それが違和感あったわけです。
しかし、にんげん、必ずしもいつも正しい選択をして生きているわけではないのも事実だし、たまたまいいかげんなやつを主人公にしているからといわれればそれまでですが・・・。

自分はここまで落ちることないだろうという安全な場所で読んでいて、仮にそうなっても、この主人公よりはうまく立ち回れるんじゃないかという気持ちになってしまうんだけど、それは現実を甘く見ているからなのかもしれません。
そして、それ自体が、現にそういう生活をしている人たちを蔑みの目で見ていることになるのかもしれません。

バカの話は必ず長いという本を読んだ

2012年10月21日 | 
自分の周りの人で、話が長い人が結構いて、結論が何なのかがわからずにだらだらし話したり、同じことを何度も言ったり、あーとかうーとか言って、それがまた濁音になって耳障りだったり、いろいろ音を立てる人がいたり・・・自分は話は短いと思っているんだけど、思い込みかもしれないし・・・聞く態度もあまりほめられたもんじゃなく、退屈そうにボケーっとしたり時計を気にしてるように見せたり、いつの間にか腕組みして話していたりしてます。


この本を読みたくなったのは、どれだけ自分が話を短くまとめられるか、話を聞くのが上手か、優越感に浸るためでしたが、そういう思い込みがバカな証拠ですね。

話が長いのは、コミュニケーション不足からそうなるということらしいです。
会話や会議には相手がいて、相手と時間を共有することであり、現代社会は良くも悪くも時間に追われる時代で、相手の時間を大切にする思いやりが大事なんでしょうね。時間だけでなく、会話は自分の気持ちを理解させるものでなく、相手の気持ちを理解しようとする姿勢が問われることをあらためて感じました。

コミュニケーションのとり方のマニュアル本です。前半はぱっと読んで、後半はさっと流して読みきりました。
結局テクニックが大事です。訓練が必要です。日々精進です。相手にバカな話をさせないために会話をコントロールしなければならないようです。でもそれって、相手をバカにした行為のようにも思えます。



ふしぎなキリスト教  / 橋爪 大三郎,大澤 真幸 / 講談社

2012年06月16日 | 
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
橋爪 大三郎,大澤 真幸
講談社


ユダヤ教とキリスト教の関係、キリスト教と他の宗教との違いなど、ぶっちゃけた感じで対談しています。信者の皆さんにはちょっと聞き捨てならん!みたいなところももしかしたらあるかもしれないけれど、結構なるほどって思うところがあって、信じるというところからのアプローチでないので、自分にとっては入りやすいです。

三浦綾子さんの本だと、神に対して疑問を持つこと自体がいけないこと、という感じで一刀両断されるところを、神(GOD)と人間との関係で、なぜ神が絶対なのかもユダヤ教の歴史からも語ってくれています。
安保条約にたとえて、守ってもらうかわりにへりくだってしおらしくしているのと同じみたいに言ってるところはなるほどって思いました。もともと安保が日本を守るためのものかどうかは別としても、アメリカに従属する日本の姿が思い浮かんできて面白い。だから、矛盾があっても、それに対して文句を言ってはいけない。神もアメリカも絶対なんだということですね。

つらつら読み進めていって、結構入ってこない文章がありましたが、なんとなく、この題になっているキリスト教の不思議が少しだけわかったかな・・・というか、よんでも少ししかわからない自分が不思議なのかも。

キリスト教の神が創った「自然」は、神の作った「物」としてみるので自然科学を発展させることになり、法律的なものも縛りがないから民主主義を発展させる土台にもなったことなどが書かれていて、なるほどと思うところもあって。違ったらごめんなさいね。

実際にキリスト教が全体の流れになっている地域で哲学的な考察をするときにキリスト教的な発想というのはあると思うし、人間は良くも悪くもその環境に影響を受けるものなのでそれは理解できるんだけど…
なぜかマルクスが出てくるとちんぷんかんぷんになってくる。マルクスは神を否定しておきながらその手法はキリスト教的だということを言ってるんだけど、それをなぜ否定的にとらえるのかがよくわからない。「宗教はアヘン」という言葉にすごくこだわっているし、お金の偶像化のこともなんとなく否定的にとらえているのは、なんかしっくりこない。

マルクス自身がその時代の人間であり、ヘーゲルやそのほかの哲学者や経済学者などなど、そういったそれまで人類が築きあげてきたものを受け入れて発展させようとするマルクスのアプローチからすれば、キリスト教的であってもちっともおかしくないと思うのだけれど、なんか、マルクスだって所詮キリスト教の一派なんですみたいな感じに受けたのはなんなんですかね。

2人がよほどマルクスが嫌いで意識的にそうしているのか、ただ無知なのか、それとも、自分が無知なだけなのか。読み違いか?マルクスが出てくると、おかしくなる気がしました。

あと、カタカナ文字がちょくちょく出てくるのと、漢字にふり仮名が少ないのが・・・

宗教を知るには、宗教の教えだけでなく歴史的背景も大事なんだと思いました。旧約聖書や新約聖書の成り立ちや宗教と国家の関係、歴史的背景がわからないと、理解したことにはならないようです。
宗教という観点から歴史の教科書に書いてあった出来事がどういう意味を持つのかを整理できると、歴史がまた面白いかもしれません。
いろいろこの本でも説明してくれているんだけど、あまりにも自分はしらなすぎると感じました。

旧約聖書入門―光と愛を求めて (光文社文庫) / 三浦 綾子

2012年06月09日 | 
旧約聖書入門―光と愛を求めて (光文社文庫)
三浦 綾子
光文社


神の存在を信じていないので、神に祈ったこともありません。
神の意思は人間には計ることはできないので、自分にひどいことが降りかかってもただただ神を絶対的に信じるしかないというのは、結局現状を甘んじて受け入れることになってしまうのではないかと思えます。それが国家権力の支配に利用されたなら、世の中を変えようという立場には立てない気がします。

神の恩恵を受けたことがない中でその神を信じろということが考えにくいのだけれども、神を信じる立場からすれば、その考え自体が人間の傲慢さなのでしょうね。

もし、神がいるとすれば、それは「無」だと思います。無には絶対不可侵です。「有」になった瞬間に限界が生じ、神は神でなくなるんじゃないのかな。無いものを求めるからこそ「絶対的」になれるんじゃないでしょうかね。自分にとってはその無いものにすがることの方が無意味に思えます。

人間が傲慢になるたびにリセットボタンを押されてしまいます。
津波は天罰なんてひどいことを言った人もいますが、それ自体もこの世界では受け入れなければならない天罰なのでしょう。でも、なぜ、津波を起こしたのか。それは人間の傲慢さなのか。であるならばなぜ東北地方なのでしょうか。
天罰といえる人がいたら、よほど熱心な信者か、傲慢で人のことを思いやれない人間ですね。
様々な疑問を出すたびに、神のご意思は人間の考えの及ぶ範囲では理解できないと一刀両断されそうですが、そこで思考停止というのは、ある意味楽な考え方ですよね。

読み物としては面白そうな話がいっぱいありそうですが、すごい長そうですね。
そういえば書いてありました。旧約は39巻、新約は27巻だそうです。

新約聖書入門―心の糧を求める人へ  / 三浦 綾子

2012年05月28日 | 
新約聖書入門―心の糧を求める人へ (知恵の森文庫)
三浦 綾子
光文社


三浦綾子さんの本はちょっと前に結構は待って読んでいました。面白いんだけど、宗教的なものが入ってくるとちょっとひいちゃったりしながら読んでいたんですが、この本は三浦綾子さんが疑問や理解が浅かったところなども含めて自分の経験からいろいろ話してくれているので、とてもわかりやすく読ませていただきました。

福音書にはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つがあって、ヨハネ以外を共観福音書と言うそうで、そのほかに使徒行伝、書簡、黙示録があるなんていうこともはじめて知ったわけです。

自分は無宗教で、神の存在も否定する立場ですが、ここで紹介されている内容は人としてどう生きるのかというところではとても共感できるものです。そういう点では、人間社会の中で、宗教がいい影響を与えてきたことも事実だし、この教えに忠実であれば、人としての道を踏み外すことはないと思えました。

それが、なぜ、人の行いという範囲ではよさそうに思えるのに、歴史的な場面で、この教えに反していると思えるような行為が神の名の下に行われるのかがとても疑問です。アメリカの侵略の歴史も、神の名の下に行われてますが、なぜ、キリスト教のなかでこんな行為が許されるのかよくわかりません。

政治や経済的な問題はおいといて、宗教的な理由として、他の宗教の存在や宗教を認めない輩はつぶしてもかまわないという論理だとすれば、時の権力者がその権力を維持するためにイエスの存在を消そうとした論理と同じになってしまうのではないかと思えます。
宗教が国家と結びつくと、その国家の維持のために利用されるということなのかもしれませんが、その時点で、宗教は自浄能力を発揮できないのでしょうか。

あと、面白いのは、やはり「愛」という言葉の位置づけが大きいことでした。信仰があっても、どんな行いをしても、愛がなければ無に等しいとか言ってるし、見返りを求めない愛の形を感じて、いつまでも存続するものは信仰と希望と愛で、「そのうち最も大いなるものは愛であるといっています。その「愛」という自分的には照れてしまう言葉の宗教的な重みを感じました。くだらない歌の歌詞の「愛がすべてだ」「愛は地球を救う(って結局金かい!)」みたいな軽いものとはまったく違うんですねえ・・・

そしてもう一つ、「復活」がとても重要なことだということもなんとなくわかりました。「復活」がウソだったら、「私たちはすべての人たちの中で最もあわれむべき存在となる」という、存在意義の否定になるほどの意味があるようです。
この本の中でも、イエスが死に至るまでのよわっちい弟子たちが、その後は相当すごい弾圧を受けて殺されていて、そこにいたった変化に、復活があった事実を裏付けているみたいな書き方をしています。(そんな断定的には言ってない?)

最後に、人は悪いことを隠そうとするけれど、むしろ、いいことをしてもひた隠しにしなさいみたいな文章があって、自分は、人の評価を求めてしまう人間なので、「人の評価なんか、所詮人の目線であって、そういった行いは神に対して行うもの」みたいなところはとても励まされました。
神にという言葉は、真実とか、事実とかに置き換えたい気はするんだけど、人の評価を気にして行動するのはやはりちがうとおもいます。
しかし、やっぱり自分は悪いことの方をひた隠しにする人間です。

なんか、心の糧をここに求めてもいいかもしれないなあ・・・と、ちょっと思いました。

僕はお父さんを訴えます / 友井 羊

2012年05月08日 | 
僕はお父さんを訴えます
友井 羊
宝島社


読み始めたら最後まで止まりませんでした。判決のときの告白のシーンは涙がずっと出てました。

最初のペットを殺された犯人探しが思わぬ展開になり・・・でも、それは結構前にも布石が打ってあって、違和感なくその展開を受け入れられます。
 
しかし、主人公の行動は理解できない。
その点では、女の子の気持ちが自分にいちばん近いと思います。どんな事情があれ、そういう行為をしてしまったことに対する嫌悪というか恐怖は、どうしてもふとしたときに出てしまう。そんな人と付き合いが続けられるのかというと、結構厳しいと思います。
ただ、それは、物語の中にありえない矛盾があるという意味ではなく、人間は、間違いを犯す生き物であること、きっかけしだいで信じられない行為をしてしまうわけで、人間自身が矛盾する生き物なんだということなんです。
信じられないような行為をしたことが、彼の告白を重いものにしている。
自分が経験していない体験の中で、彼がどんな判断をしたのかは、彼のその経験の中で出される答えですからね。それが正しかろうが正しくなかろうが。

人間の関係は自己判断の信頼の上に成り立っているんだなと、感じさせられます。人の心の中はわからない、だから表面に現れる会話や表情、行為で相手を判断するしかない。でも、そこで出された判断は正しいのか正しくないのか、100%正しいなんてことはないわけで。

いや、だからこそ、心の中がどうかという前に行動そのものが正しいかどうかで問われるわけですね。正しさというのは、人間の社会的基準ではありますが、原因はどうあれ、その行為そのものがまず問われなければならない。社会の中で生きていくにはルールを守ることが必要です。それは人を守るルールでもあるわけです。

主人公は理由はどうあれ、してはいけない残酷なことをした。だから、それは誰かが罰さなければならない。それが、彼女の煮え切らない思いとして残ってしまったわけですが、その感覚がいちばん正しい。そういう思いをさせるような行為を彼がしたのだから。その行為の矛先がたまたま人間じゃなかったというだけですからね。

そんな人を前にして、それを前提にしてこれからもその人と付き合えるかというと、かなり微妙です。

義理のお母さんがいいです。でも、それだけになんで結婚したのかは疑問ですが。そこも、ぴったりパズルがはまらなければダメというものではなくて、たまたまあったパズルがその結果になったということだということで。

ランディ・ローズ

2012年04月10日 | 
ランディ・ローズ
ジョエル・マクアイヴァー
道出版


ランディーローズが亡くなって30年が経ちました。
彼が生きた時間よりも長い月日が経ってしまっていますが、いまだにランディーローズという名前は深くみんなの中に刻まれています。そして、2枚のオリジナルアルバムとライブアルバム一枚に出会ってまたあたらしいファンも獲得していると思います。

本を読んでランディローズの音楽に向き合う姿勢とか、人に対するやさしさとか、人間としてとてもすばらしい人だったと感じることができます。

酒、女というかセックス?、ドラッグ、ロックスター・・・だけじゃなくて、その手のバンドが当たり前のように馬鹿騒ぎしてっていうのとは違う世界にいた人なんだなと、あらためて思いました。

ランディローズがHM/HRに与えた影響は、自分が今まで思っていた以上に大きなものがあったようです。写真の中のランディはオジーの横で激しくギターを弾いています。3枚目が作成されたら、どのような作品を発表しただろうかと、思いをはせてみても、もうそれは有り得ないわけで、何度も何度もそれを考えては、それを否定して。何人の人がそれをやったでしょうか。もちろん、身近にいた人が彼の死をどのように受け止めたのかを考えると、それを考えただけで胸が苦しくなります。30年も前の話ではあるけれど、彼はそこにいたんですもんね。

飛行機事故のところでも、そのとき飛行機に乗っていなければ・・・とおもっては、またそれを打ち消さなければいけないという作業を何度も繰り返して・・

何人の人が何回それをやったでしょうか。

いま、ドキュメント映画がつくられているそうです。
これから新しい音源や映像ももしかしたら出てくるかもしれません。
ぜんぜんでていない方が不思議でしたが、無いわけではないようです。
また近いうちに新しいランディローズに会えるかもしれないのはたのしみでもあり、やはりそのたびにまた同じような気持ちになるのはつらいことでもあり・・・同時に音を聞く喜びも大きいものがあります。

自分が死んでもランディの残した音楽は聴かれつづけ、それを聞いた人たちが新しい音楽をまた作り・・・そうやって、ランディは生き続けるのでしょう。

ランディに会いたい。

・・・ところで、ケヴィンダブロウって死んじゃったんですね。知らなかったので、ちょっとショックでした。

ジェネラル・ルージュの凱旋(上)(下)

2012年04月04日 | 
ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫)
海堂 尊
宝島社


ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)
クリエーター情報なし
宝島社


やっぱり、ナイチンゲールを飛び越えて映画化されただけのことはあって、面白いです。
映画を最近見たので映画のイメージに引きずられちゃったところもありながら、逆にそれはイメージする助け舟にもなってよかったです。

そして、映画と違っていることが良かった。

ナイチンゲールと重なるところはいやなことを思い出させるような感じがあったけど、それ以外はナイチンゲールのようなうるささや鼻に付くところもなかったので、素直に読むことができました。

でも、やっぱり、セリフが理屈っぽいかな・・・自然なセリフというのとはちょっと違和感を感じるときがありました。沼田なんかは、悪過ぎなくもうちょっと言葉を選んでほしかったです。あれじゃ、誰が見たって悪モンとして出ていますって感じですもんね。ちょっと小物っぽい。

そして、最後、もしかして、リスクマネジメント委員会のところで終わってしまうような空気がちょっとあった気がして、映画で見た最後の事故のところはもしかして、映画でつくったのかなと、ちょっと思って、そうあってほしいなと思ったら、やっぱりありました。だからと言ってがっかりというわけではなくて、普通に流れで読めたんですが。

映画では、あの査問のときにピコピコ電話が鳴り出してってかんじで、あまりにもできすぎだったけど、今回はそのあまりにもというところは消しても良いかなと思うぐらいのできすぎ感でした。

小説の方が、採算取れない中で必死にやりくりしてあがいてる感じがでてました。佐藤ちゃんも映画ほどいやな感じがしなかったし。あと、看護師さんが小夜と違ってとても好感持てる感じだったのでそれにも助けられました。そして何より、黒崎教授がかっこよかった。

結構小説のいいところを映画は削ってますね。

ナイチンゲールの沈黙(上) (下)

2012年04月01日 | 
ナイチンゲールの沈黙(上) (宝島社文庫 C か 1-3 「このミス」大賞シリーズ)
海堂 尊
宝島社


ナイチンゲールの沈黙(下) (宝島社文庫 C か 1-4 「このミス」大賞シリーズ)
クリエーター情報なし
宝島社


これはなんというか、あまりのめり込めない本でした。

小夜さんという人がまず好きになれなくて。歌で引いちゃって、レイプの話が出てきたところからすごく嫌な女に見えてきて。歌手とその付き人みたいな人も嫌な奴だし、警察が出てきてやたら長々と話を引っ張るし、出てこなくてもいいのに白鳥さんでてきちゃうし、死んじゃう女の子も、戸口さんと交流がもっとあるのかと思ったらなんか中途半端に終わっちゃうし、結局あの人選って何が良いのかさっぱり分からないし。

犯人もだいたいそれ以外にないだろうという範囲内で真実を探してるのでとく謎解きがあるわけではないし。いや、実はあの知己人が怪しいと思ってたんだけど、もし、そうだったら、さやさんはヤラれちゃったんだろうなとと思って、それはちょっと観たくないなと思って、でも、そうじゃなかったら、完全に2人しかいないじゃんという設定ですからね。うーん・・・でも、まあ、いいか。

いろんな人が出てくる割には、それが生かされてなくて消化不良な感じがしました。

あえて殺人事件とか起こさなくても、普通に医療現場の出来事をやってる方が断然おもしろいと思うんだけどな。他がいろいろ絡んでくると、なんかめんどくさいです。

歌の話はホントめんどくさい。なんか、湿ったほこり臭さがぷんぷんする感じがしました。
できることなら、文字で音を奏でてほしかったな。全然音何か聞き取れない。昭和の歌謡曲っぽい臭いがしました。
あ、目で観た文字で音は聞こえなくてもにおいはするんですね。大したもんだ!

3月のライオン 7

2012年03月27日 | 
3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)
羽海野 チカ
白泉社


きました!新巻です。自分の中の「先を読みたいマンガ大賞」です。
れいくんがこのまま恋愛に 発展してしまうのか!?でも、あのきついお姉さんのことがあるので、そんなぽかぽかした終わり方にはしないだろうなと思ったり、でも、あのぽかぽか攻撃を受けた人はその呪縛から逃げられないんじゃないかとか、あかりさんときついお姉さんは実は似ているのかもとふと考えてしまって、あわてて何が根拠でそう思ったのかぜんぜん思い浮かばなかったり・・・うーん、しいて言えば、若いときから何か使命感みたいなものを持って育ってきたということぐらいかもしれませんが・・・

これからの展開としては、この巻には1コマしか出てこなかったあのお姉さんがどういう風になっちゃうのかが気になります。ガツンとなっていい子になっちゃいましたなんていうのはつまらないですからね。 ババーンとはげしく、ぽかぽかな世界を荒らしまくってほしいものです。

そういう荒波を乗り越えたときに、真のぽかぽかな世界が待っているのかもしれません。なんのはなしやら。

あのぽかぽかな世界はあかりさんにとって幸福なのだろうかなんていうことも考えちゃったりします。このお話はあかりさんと激しいお姉さんの落ち着き場所探しの話なのかもしれません。そのときれいくんはどうなっているのでしょうか。

そういえばライバル君も直接的には出てこなかったなあ・・

キャラがいっぱいでてきたので、これをまとめるのも大変ですね。
どの辺までお話は進むのでしょうか。

なんか、この作品を読むたびにマンガの可能性を感じてしまいます。
同時にこの間になって、何か違和感が生まれてきたのも事実です。あの先生の交代劇といじめの収束宣言みたいなところが、ちょっとシンクロ率が低下してきた感があります。

あの激しさや寒さが失われると、ぽかぽかのよさが失われるんですよね。
一定の距離感があって成立してきた世界をこれからどうするか見ものです。関係をぶっ壊すのか、この流れで最後まで行っちゃうのか。その結末を見るのは楽しみでもあり、同時に怖い感じもします。

結論。
映画化とかやめてほしい作品です。

ブラックペアン1988

2012年03月27日 | 
ブラックペアン1988(上) (講談社文庫)
海堂 尊
講談社


ブラックペアン1988(下) (講談社文庫)
海堂 尊
講談社


チームバチスタの話のずっと前の話ということで、田口さんや速水さんや、ああ、あの人か!と言う人がでてくるとぐっと親近感が沸いてきます。

お話も結構面白いです。世良さんをとおして佐伯さんと高階さんの戦いを描いていると思いきや、途中で・・・名前忘れちゃったけど、もうひとりのすごい外科医さんが出てきてその人と世良さんのやり取りが始まっちゃって、最初の二人は置いてきぼり感がありました。それで最後はすべてが丸くおさまりました。みんな良い人じゃんみたいな。
おさまらないのは最後の患者ぐらいか?

すべての作品がつながってるようですね。そのつながりが破綻しないといいですが、自分のつくった世界の中でいろんなエピソードが展開されるのは面白いですね。ときたまうざいと思うときもありますが・・・

しかし、この本の薄さで上下というのはぼったくりですよね。たしかに、上下に分ければ倍儲かるのかもしれませんが。


ジェネラルルージュの凱旋

2012年03月22日 | 
お話のテンポもよくて、ちょっと笑いながら、面白く見ることができます。
気楽に見ることができるんだけど、そんな中でも、医療とは何なのかを考えさせられます。

医療の現場が儲けにはしったらどうなるか、医療とは受けるべき人がしっかり受けられなければいけないんじゃないの!?ということを、大きな事故があったときの受け入れとか、ドクターヘリのこととか、救急の現場の状況なんかからみることができます。

しかし、もっとよく考えると、その病院の経営の方針とかもそうなのかもしれないけれど、もっと大きなところ、国や都が医療崩壊という状況を作り出しているわけで、医療というものを考えるときには、絶対に国の在り方が病院の在り方に反映されるものだと思うので・・・
ここで出てくる厚生労働省の人は、性格はどうあれ、いい考えの持ち主なんだろうとは思いますが、それが本当に厚生労働省の姿を反映しているとは思えないですしね。

そういうところまで突っ込んでいってくれるといいんだけどなあ・・・

あり得ない展開というか、展開が安易な感じもしなくもないですけど、逆にいえば、それだけわかりやすいし、結構のめりこめるのでよかった映画でした。

2009-03-13 23:00:56

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

チームバチスタを観たついでにこっちも観ちゃったんだけど、前作の映画よりも楽しめました。しかも結構グッとくるシーンもあって。
こっちはまだ小説を読んでいない分、楽しめたのかもしれませんが。それと、映画のキャラはキャラで、ひとり歩きはじめて固定化されてきたから観やすかったのかもしれません。テレビ映像で奥さん見つけるシーンは絶対あり得ないと思います。あれはいらないです。
前には展開がありえないと書いたけれど、最後の大惨事があったからこそ、ジェネラルルージュの真意が劇的に証明されるわけですし。それは違和感なかったです。しかも、3.11のあとに観たら、ここで描かれている大惨事がありえないものとは思えないですしね。

大災害が起きたときに医療はどうあるべきか。また違った意味で考えさせられました。

じっさい、災害がなくても受け入れ拒否みたいのは日常でありますからね。
いざという時というよりは、日常的にも医療の在り方は考えなければいけません。

儲けのための医療改悪は、結局人命を軽んじる結果となり、いざという時の備えも持つことができなくなる。
儲けを考えてはいけない分野なんだと思います。

チーム・バチスタの栄光(上) (下)/海堂 尊

2012年03月22日 | 
チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599)
海堂 尊
宝島社


チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 600)
クリエーター情報なし
宝島社


古本屋で一冊250円で買ったんですけど、買った後に100円ワゴンにあるのに気付いたんだけど・・・やっぱり買い直すことができませんでした。
そして、やっぱり、みんなが面白いと思うものは面白いんだなあ…と、あらためて思ったわけです。映画で観たはずなのに、あまり記憶がなくて、それも良かったと思います。しかし・・・田口さんが男の人だったなんて。映画よりもかなりやり手な感じがします。白鳥さんも全く違う感じですね。色々シリーズも出ているようなので、楽しみです。古本屋にまた行かなければ。

また本

2012年03月18日 | 
ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 (メディアワークス文庫)
三上 延
アスキー・メディアワークス


なんか、いいかげん疲れるなあ・・・この主人公の言い回し・・・女のひとの人の接し方ももう良いやって思いました。それでも、なんとなくお母さんのお話なんかがちょっと引き込んでくれて・・・でもけっきょくそこまでの話なのねっておもって、これからが本篇だととかいわれても、もう良いかなって思います。


バッテリー〈4〉 (角川文庫)
あさの あつこ
角川書店


バッテリー〈5〉 (角川文庫)
あさの あつこ
角川書店


いやあ・・・ここまで読んでも公式試合は一つも無しですか!すごいですね。
うるさいキャラが蚊のようにぶんぶん飛んでいるのが正直目障りで、話を前に進めてくれません。だから試合にならないんですね。対戦相手とのエピソードが増えた分、家族の出る幕が減ったのはちょっと残念です。
いじめなんかなかったかのような・・・今日この頃です。いじめ自体をテーマにしようとしたんじゃないってことですね。