唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

2011年05月22日 | 
朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者の命を救うべく、83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった──。「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生することなく次第に朽ちていく体。最新医学を駆使し、懸命に前例のない治療を続ける医療スタッフの苦悩。
人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問いかける、渾身のドキュメント。

///////////////////////////

一気に読んでしまいました。

最初の数日間は本当に元気で、次第に「朽ちていく」姿が痛ましい。大内さんの人柄や家族のことも書かれていて、そんな「普通の人」が一瞬にそれまでの生活をすることも、生物としての人間の機能も奪われ、破壊され、確実に死に向かっていく・・・。

人間の身体って、循環の中でその個体を保っているんですね。そして、その循環が止まって、崩れたものが崩れたままになってしまうもののような状態になった時にできる治療って…。身体が生きようとするからこそ、医療というものは成り立つ気がしました。

被曝した大内さんが意識があるのかもわからない、体も動かない状態になって、医療の措置が回復のためでなく、いまの状態を維持するための、死ぬ時間を延ばすだけの努力になって、何のために治療しているのか、わからなくなっていきます。
大内さんは意思表示できない状態で、生きようとしていたのか、それとも苦しん身から解放される死を望んでいたのかは、わかりません。
どの選択が正しかったかは答えは出ませんよね。

福島原発の事故で、これからどうなるのか先が見えない状況ですが、いま、本当に原発に依拠する社会でいいのかが問われていると思います。

大内さんが亡くなったときの記者会見で、治療にたずさわった前川さんは、「原子力防災の施設のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい」と言っているそうですが、この東海村でのこの事故が教訓化されたのかどうか。
いまの東電や政府の対応を見ていると、まったく何も考えていないとしか思えませんが・・・

オウムからの帰還 / 高橋 英利

2011年02月17日 | 
オウムからの帰還
高橋 英利
草思社


オウムが衆議院選挙に出てきたときに、麻原のお面をかぶって、無駄に元気に踊っているのをみたときには、バカな宗教団体としか思わなかったですけど、その後、あんな恐ろしい事件を起こすようになるとは夢にも思いませんでした。

年表で見ると、オウム真理教は、84年にオウム神仙の会というのがつくられて、87年にオウム真理教に改称され、89年8月に宗教法人に認定、実は、その同じ年に坂本弁護士一家が拉致・殺害されているんです。もう、結成当時から恐ろしい団体だったということですね。衆議院選挙は翌年ですから、バカな宗教団体と笑い飛ばせるようなところでは、その当時からなかったのでしょう。

この本は、オウム信者の手記ですが、何で、オウムに入ったのかという点では、とても、他人事ではないというか、誰でも、そこに入りうる可能性があったと思うし、自分自身の存在意義を真剣に考える人間だあればある程、オウムはその受け皿になりえたと思いました。
自分なんかよりずっと頭が良くて、批判的な精神も持ち合わせていて、いろんな本を読んだり、科学のこともずっと深いところまで精通していたわけで…そういう人がオウムに入って行ったわけです。
まるで機械のような運動をしているかのように見える社会、その部品となって動いて満足している人間たち・・・そういうものととらえたときに自分の存在ってなんだろうと、真剣に考え…そこに救いの光を見出してくれたのが、オウムだったんですね。

自分からみれば、恐ろしい狂気の集団だったオウムも、この手記を見ると、一人ひとりのオウム信者はそういった、終末的な世界に心を痛め、自分の生きる道を真剣に考えた人たちだったと思うと、とても、やり切れない思いになります。社会のゆがみからくるものもであるわけで、そうやって考えると、麻原に力を与え、オウムを狂気に走らせたのも政治であり、社会であると考えてしまいます。

あんなアニメの世界をみているような恐ろしい発想を実行することができたことに人間の狂気を感じます。人間は感情もなく人を殺せるようにも作り替えられることができるわけです。
信じ込んだもののために、正しいお思い込んだ世界のために、平気で人を殺せるんですね。

絶対主義的天皇制のもとでも、そういう体制が国家として作られていたわけで、そうやって考えると、あの戦争は過去のものでなく、油断をしているとまた復権してしまうかもしれない。そんなことを、この本を読みながら思いました。

84年につくられて、95年に麻原が逮捕されて、たった11年間で、これだけの組織を作り上げてしまったオウム。オウムへの共感がなければ、信者は生まれないわけで、オウムを大きくしたのも社会のゆがみと考えると、本当にぞっとしてしまう。


天皇の昭和史

2011年02月12日 | 
天皇の昭和史
藤原 彰,伊藤 悟,〓刀 俊洋,吉田 裕
新日本出版社


畏れ多くも天皇陛下について書いてある本です。

「(満州事変前から)日中関係については平和であることを終始願っていました」
「軍司令部が細部まで決定した後に受けていただけ」
「戦争中においてはいろいろの出来事の報告が私に対して全然なされていなかったり、もしくは遅れた時点で知らされたことが多かった」
「(対英米)開戦時には閣議決定があり、私はそれを覆すことはできなかった」
「開戦の時からいつやめるかいつやめるかと、やめる時期をいつも考えていました」
「戦争終結の際、私は自ら決定を下しました」
「戦争の継続は国民に一層の悲惨さをもたらすだけだと考えたためでした」

・・・御名御璽
畏れ多くも天皇陛下の戦後のお言葉です。
軍部の暴走で天皇も巻き込まれていった・・・という筋書きどおりに国民は思い込まされていくわけですね。この本を読むと、戦後も、天皇の「国体護持」は続いていることを感じさせられます。
仮面をかぶったような顔で何を考えているかわからないただの無力な人という自分の勝手な印象でしたが、戦後も政治介入、元首としての形づくり、自衛隊との結びつきなど、かなり能動的(今自分が気に入ってる言葉です)に動いていることがわかります。
結局、天皇自身がもう一度大日本帝国憲法のもとでの絶対主義的天皇制の復活を夢見ていたのでしょう。

あの侵略戦争の責任をあいまいにしたまま今日まで来ているので、結局靖国派は同じ思想のまま、ずっと生きてこられたわけです。

一般常識では考えられないようなことを、今でも本気で思っているんだろうと、あらためて感じました。

最初の畏れ多い天皇の言葉、ここだけでも、おかしいなと思うのは、最後に終戦の決断は自分がしたというところです。なんだかんだ言い訳をつけて、流されたように言っていますが、決断する権力を持っていたという事実がそこにあるわけで、それならば、なぜ、満州事変の時に、その権力を行使しなかったのか、太平洋戦争の時に行使しなかったのか、疑問に思います。そもそも、韓国や台湾の併合とかは、どう思っていたのでしょうか。日本の領土と思っていたのでしょうか。

実際に、天皇はこの侵略戦争にかなり積極的にかかわっていることがこの本でわかります。
上奏と下問によってかなり自分の意思で局面局面をつくっているし、自分が気に入らない人間はあっさり首を切ってるし・・・
ころころ変わる政治家たちと違って、終始一貫して政治にかかわれたのは天皇であることもじゅうようです。かなり、政治的イニシアチブをとれる立場でもあったことも書いていあります。
いろんな局面での、天皇のお言葉が書いてあるので、最初に書いたような無力、無能の天皇像は打ち破られます。
つい最近、この本の前半を読んだあと、友達と話しているときに、自分は、「もう今の天皇が前のような政治的権力を持つことは不可能じゃないか」と言いました。でも、もうひとつの問題、この本の後半部分、戦後の天皇とその周りの動きを見てみると、必ずしもそうではないなと、思いました。
天皇の戦争責任問題がきっちりと解決しない限り、いつでもふつふつとわいて出てくるものだと思いました。完全否定されるべき思想が、生き残っていることをしっかり見なければいけないし、そういう連中は、すきを見て復活をもくろんでいます。
そして、実際の国会の議席も、結構そういう人たちが、まだ幅を利かせているのが現実ですからね。


これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史

2011年01月03日 | 
これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史
中塚 明
高文研


今日は、ほんとは、朝から出かけようと思っていたのに、起きれなくて家でぼーっとしていて、友達がお墓参り・・・じゃないや。初詣行こうと言ってくれたおかげでなんとか重い腰をあげることができたけれど…明日こそどこかちゃんと出かけようと思ってはみたものの…本を読んでいたらもうこんな時間!明日もまた遅く起きて、ぼーっとして終わりかもしれません・・・

結構薄い本だけど、合間合間で読んでいたのでなかなか終わらなかったですけど、今日はやっと読み終えることができました。

侵略戦争と言った場合に満州事変から考えないで、明治の朝鮮支配の時期からみると、すべての流れがわかるような気がしました。日本の侵略国家としての道のりは、明治政府ができてからの一貫した方針として貫かれているんですね。

そして、正しい歴史を学ぶことの大切さも感じました。歴史は、主観ではいけない。どんな意図もあってはならないことをあらためて感じました。それは、侵略戦争を美化するための歴史のわい曲は当然ですが、戦争に反対する立場からも同じだと思います。もっとも、歴史に客観的であれば、結果的には反戦的になる気はしますが…
これを思うのは、やっぱり、妹尾河童さんの少年Hがでたらめだったということを知ったからなんですけど。あと、安彦良和さんが神話のマンガを書いたときに、明治以降に天皇を絶対化するために神話が使われたことから戦後の歴史や教育で神話を全否定するような風潮があって・・・みたいなことが、書いてあったような気がするんだけど、やっぱり、思想や感情で歴史を遠ざけたりもできないとも思ってたわけです。

この本には、飛鳥のカメの石のやつも写真が載っていましたが、その当時朝鮮とのつながりも深くて、宮内庁が管理している天皇の陵墓の発掘がすすめば、新しい発見もあるかもしれないとのことでした。
毎日新聞かなんかに、そういえば、陵墓の発掘をすべきかどうかの2人の意見が載っていたのを思いだしました。宮内庁の人は、神聖なものに・・・というのと、墓を荒らさせずに今もこうやって残っているのは発掘させずに守ってきたからだといった感じの主張だったと思います。しかし、歴史が明るみになると、宮内庁にとって都合の悪いものも出てくるかもしれませんね。朝鮮との関係が深くわかってしまったら、天皇自体の存在意義が吹き飛んじゃったりして。発掘をさせないのは、天皇を守るためなのかもしれませんね。

いろいろ思い出しますが、去年の今ごろ、中国から帰ってきたときに韓国併合の本を読んでいた時に声をかけてきた右翼な人の言い分は、「日韓併合で朝鮮は近代化した」と言ってましたからね。

近代化って、誰のための近代化だったのか。
日本が侵略しなかったら、国が発展しなかったとでもいうのか。国の発展の仕方はその国自身の責任でその国なりの発展の仕方があるのだから、外からどうこう言う筋合いのものではないはずなんだけど…そして、そんな多くの犠牲によって他国につくられる近代化って、そんなに意味があることなのかと考えてしまいます。

日本が去って残されたものは、近代化ではなくて、荒れ果てた国土と、国民の深い傷なんじゃないでしょうか。
日本の侵略によって手に入れた唯一の前向きなものは、抵抗運動を続けた誇りかもしれませんね。(こんな軽くいえるような話ではないけれど…)

というわけで、この本のこと書いてあいるようで書いていませんが…

侵略戦争のところだけでなく、在日の人が何で激増したのかも書いてあったり、三韓征伐や元寇、豊臣秀吉の侵略戦争、朝鮮通信使、関東大震災での虐殺、朝鮮戦争など、日本と朝鮮の関係をわかりやすく書いてあります。


日清戦争─「国民」の誕生 /佐谷 眞木人

2010年12月22日 | 
日清戦争─「国民」の誕生 (講談社現代新書)
佐谷 眞木人
講談社


日清戦争から日露戦争へ…子どもの時から外国との戦争に勝ち続けていることに何となく喜びを感じていましたが、一連の侵略戦争とひとくくりになり、日清戦争自体を考えることなんてなかったのですが、この前読んだ「閔妃暗殺」以来、あの時期の出来事がとても気になってきています。

それでこの本を読んだわけです。

一度書いて、うまくまとまったと思ったら、その記事が消えました。何なんだ!?まったく・・・

日清戦争までは、明治政府の評判はあまり良くなかったようです。反政府的な空気が蔓延していたらしいです。日清戦争によって一気に日本国民(・・・臣民?)という意識がまとまって行って、国家形成に重要な役割を果たしたようです。
そこでの西郷隆盛の征韓論の影響がここでは書かれています。

黒船が来て、不平等な条約を押しつけられて、そんな中で日本を守るには、そんなおしつけを跳ね返すような強い大きな国にならなければいけないと言われればたしかに説得力があります。侵略ということへの認識がなければの話ですが。
同時に国民的な意識の中には、中国に支配されているかわいそうな朝鮮を助けてあげる、遅れた、貧しい国を日本が助けてあげようという意識も植え付けられていったようです。
日本を強く一人前にするために、清に支配されているかわいそうな朝鮮の独立のために、そういった戦争のための大義があったわけです。その「正しい戦争」に国民が総動員されていきます。

日清戦争は新聞によって報道され、それが国民の意識をまとめて行く上で大きな役割を果たしました。それまでは、歌舞伎や錦絵によって時事問題の知識を得たようですが、ここでは新聞と、写真が日清戦争を伝え、「死んでもラッパをはなしませんでした」のような美談も新聞によって報道されました。それまでの名のある人たちが主人公の戦争から、名もない国民が主人公の戦争という形をとったのも日清戦争のメディアの影響があって、それが国民をまとめあげていく役割も果たしていきました。

その後の侵略戦争での日本の異常な熱狂ぶりを考えると、その基本にある、この日清戦争のときの国民の意識というのはとても興味深いですね。

そんな国民の意識動向という点ではとてもわかりやすい本でしたが、実際の日清戦争そのものについてはあまり書かれていなくて、そこは残念でした。


ああ・・・最初の文章はもっといろいろ書いていていい文章だったのに・・・。今回はもう書けません。文章を書くというのは、とてもエネルギーがいるんです。とくに、自分のような記憶力も構成力もない人間にとっては。

まったく・・・

一気に書き上げて満足した文章って、結構瞬間で消されてることが多いんですよね。
消えたものは帰ってこない。パソコンになって便利になったようで、実は不便になっているのかも。



閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫) / 角田 房子

2010年12月12日 | 
閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母 (新潮文庫)
角田 房子
新潮社


時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類いまれなる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。本書は、国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの「根源的事件」の真相を掘り起こした問題作である。第一回新潮学芸賞受賞。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

閔妃という人が日本人によって殺されたことは知っていましたし、これが韓国併合の過程というか、流れの中でそういう事件があったことも知っていましたが、この閔妃という人がどういう人で、何で殺されなければいけなかったのか、よくわかりませんでした。
・・・いや、実は、読んでもよくわからないのですが・・・
閔妃を殺さなければ、その後の朝鮮支配ができなかったわけではないし、たしかに、邪魔者ではあったにせよ、この本を読んでいくと、あの時点で殺さなければならない理由って、よくわかりません。
ロシアとの関係を断ち切るためなのでしょうか。三国干渉の後に日本の影響力が弱まって、ロシアと結びつきを強めていく朝鮮を危惧して、そのいちばんのパイプの閔妃を殺しちゃうというのは、わかりやすい行動に見えても、そんな安易な選択があるのだろうかと思っちゃいます。

暗殺のところでは、集まった日本人たちの精神状態の異常さを感じましたが、複雑な外交問題の観点がまったくなくて、思考そのものが安易で殺せばすべてうまくいく的な、何の根拠もない思い込みに支配され、閔妃を自分が殺して、日本の発展の歴史の表舞台に名を残すといった功名心にかられて、我先にと急ぐ感じはとても醜いものを見ちゃった感じです。
相手が悪い人(もちろん主観で)という認識であったとしても、人を殺すという行為をこれだけ簡単に受け入れてしまう精神状態に恐怖を感じます。
そして、それが正義であるという思い込みに何の疑問も持たないというのもすごいです。

当時の日本の政府、国民の意識もそうかもしれませんが、侵略的な思想が当たり前のように支配していたのかもしれません。

最初の大院君の圧政、それに変わる閔一族の支配、これもまたクーデターによって、また大院君が権力を取り返し・・・うんだらかんだら・・・国外との関係では、清と日本との関係にはさまれて、新たにロシアが加わって朝鮮の主導権を誰が握るのかの駆け引き・・・という構図。そんないろんな思惑の絡み合いが、面白いところでした。
でも、日本の侵略性といった場合に、どこかまだ入ってこないところがあるのは何ででしょうか。侵略性が当たり前の前提で話を進めているからなのか、侵略的な立場でなかったのか・・・侵略的な立場をうすめようとしているからなのか、そういう観点をテーマにしていないからなのか・・良心的ではあるんだけれど、どこかまだよくわからないところが残されちゃった感じがします。
何がなんだかわからなくなってきましたが、韓国併合という日本がおこなった侵略・植民地支配の中でこの一連の動きがどういう意味を持っていたのか・・・もしかしたら、自分の読解力のせいでわからないだけかもしれませんね。

最初のほうの閔妃が王妃になってからの、生活・・・想像の面もあるとは思いますが、まだ、王に相手にされていないときから、王妃としての自分の地位を確立していくための努力をかさね、権力をにぎっていく姿は「すごい」です。この辺がいちばん面白かったです。いいとか、悪いでなく、「すごい」です。そこまで自分を律することができるのかと思います。自分はふにゃふにゃですからね。
権力をにぎったあとの圧政ぶりも、今まで自分の邪魔をしてきたものへの復讐の徹底ぶりもすごかったのでしょう。

けれど、日本がどんどん介入してくると、そのすごさにかげりを感じます。朝鮮の中での王宮の位置づけが急落していったからなんだと思いますが・・・
そして、その急落の中での暗殺だったので、それほどの意味があったのか・・・疑問ですね。

この閔妃暗殺事件は、その後の朝鮮支配の日本の蛮行の象徴なものかもしれません。

ところで、この写真、実は、閔妃の写真じゃないらしいです。いろんな説があるようですが・・
でも、押し入った人たちは、写真を持っていたそうで、写真がなかったわけではないらしいです。
色々謎があるんですねえ…

こういう歴史をみて行く本は、何が正しくて、何が間違っているのかもよくわからないところが難点です。読む側はまずはそれを信じて読まないと、入り込めないですもんね。逆にすべてを疑って読むわけにもいかないし・・・

鋼の錬金術師 27

2010年12月11日 | 
鋼の錬金術師 27 (ガンガンコミックス)
荒川 弘
スクウェア・エニックス


これで完結ということで、買ってしまいました。
でも、このハガレンって、1巻しか読んだことないんですよね。
アニメで出ていない人もいて、話も違うようなので、いきなり最終巻を読んでもわけわかりませんが、だからと言って、その前の話を読みたいとはあまり思いませんでした。
絵も、1巻を読んだときは、途中からうまくなっているのだろうと思っていましたがこの巻の絵が女立つしているようにも感じませんでした。逆に言うと、その人にとっては、かわることができない、確立された絵ということなのか…まあ、何にしても、その絵の部分でも、読んでみようとは残念ながら思いませんでした。

自分にとっての一つの区切りになりました。
さようなら!鋼の!


老人と海  / ヘミングウェイ

2010年11月19日 | 
老人と海 (新潮文庫)
ヘミングウェイ
新潮社



ある人に、今までより時間が空くんなら、学習した方がいい。文学にふれて人間を磨けみたいなことを言われましたが、それでというわけではないんですが、老人と海です。なぜこの本かというと、キューバつながりで読みました。

老人の価値あるたたかい。老人と少年には価値ある成果だったのかもしれません。
でも、実際の利益にもなったわけではないし、残された残骸は、彼をたたえるものでもなかったわけですね。
またいつもの生活に戻り、いつものように忘れ去られていく人間になってしまうのでしょう。

もし、そのままうまく大カジキを持って帰れたとしても、それは、一時の栄光でしかなく、一時の食糧で、一時のお金でしかないのかもしれません。

でも、この老人がたたかった、この時間だけは、真実の時間だけは、とても輝いていたのかもしれませんね。

この延々と続く必死なたたかいがいまいち映像化できない知識の弱さがとても歯がゆいですが。

魚の付く漢字の知識のなさにも歯がゆい思いをしました。マグロか?シイラか?いわしか?なんだ?って感じのところが何度かありました。ちなみにまぐろは鮪、イワシは鰯。シイラは鱰と書くんですね。

短い小説なので、すぐ読み終わりましたが、ただ、これだけの話を、これだけの話と思わせないところがすごいということなのでしょうか。

点と線 / 松本 清張

2010年11月17日 | 
点と線 (新潮文庫)
松本 清張
新潮社


あまりにも有名な松本清張さんの推理小説です。恥ずかしながら初めて読んだのですが…
北海道から九州までの点を線につないでいく、ダイヤグラムのように線を引いて行くわけですね。
正直、最初から犯人は何となくわかって、ああ、この人が犯人だったら、何のひねりもない、なんの面白みのない小説だな。大したことないな。なんて、思っていましたが、実はそれが、松本清張さんの仕掛けた罠だったのかもしれません。犯人探しの小説ではないのです。刑事さんと一緒に、犯人の残した点をつなぐ作業を一緒にさせる。そして、すべての点が線でつながった時に、その犯罪の全貌が明らかになる。という話でした。

しかし、結構小説が後追いなところもあって、・・・これも読者は、犯人が誰かがわかっているから先に想像してしまうということかもしれませんが、飛行機のこととか、現場にいた死んだ2人のほかの存在なども、仮説として立てながらそれを刑事さんが後追いで気づいていくというような感じもありました。これも、松本さんのしいたレールなのでしょうか。

時間の流れでああだこうだいうところは、めんどくさくて飛ばしながら読みました。

事件の真相はすっきりしました。
でも、じつは、根本的解決になっていないすっきりしない感じを残すところも、すごいですね。

朝青龍との3000日戦争 / 横野 レイコ

2010年11月07日 | 
朝青龍との3000日戦争
横野 レイコ
文藝春秋


悪い報道ばかりの朝青龍でしたが、なぜか嫌いになれなくて、結構応援してました。何でかわからないんだけど、惹きつける何かがあるんですよね。

この本を読んで、その何かがわかったような気がします。

相撲は伝統ある国技としてスポーツと一線を画していますが、もっと、スポーツとしての相撲を楽しみたいと思います。でも、この本に書いてあった、相撲の中で人間を育てていくという観点は大事に持っていてもらいたい。
朝青龍を生み出したのも、今の相撲界です。言葉の壁や、マスコミの問題、もちろん、自分自身の問題もあるのでしょうが、若者が相撲に打ち込んでいく中で、育っていく中で、もっと、肝心のところできちんとした指導がやられていたならば、違う結果になったのかもしれません。

結果を生み出すのは、日ごろの積み重ね、偶然におこったことも含めて、すべてのトータルとして、結果が出てしまうんですね。

日々精進です。

ごたごたがなければ、朝青龍と白鳳は今でもライバルとして、土俵で戦っていたでしょう。そして、連勝記録をストップできるのはこの男しかいないと、大きな話題を提供していたでしょう。そんな仮定の話は意味がないけど…やっぱり朝青龍のいない大相撲は寂しいです。

もうひとつ、この本に書いてあったんですが、お互い倒れそうなときに、このままお互い無理したら相手がけがをしちゃいそうな場合に、けがをさせないように、手を自分から先につくというのも、マナーというか、礼儀としてあるようです。そこも、相撲のいいところですね。

神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか/早川 タダノリ

2010年09月27日 | 
神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか
早川 タダノリ
合同出版

このアイテムの詳細を見る


この前読んだ山中さんの本は、詳細な資料をつかって、少年Hの間違いを正しつつ、銃後生活の事実を説明していました。内容的にはすごいことが書いてあるのはわかるのですが、内容が濃すぎて、かなり専門的でなかなか資料を読みとおすことがつらい本でした。

そこれ比べるのも何なんですが、この本は、当時の雑誌やポスターなんかを見せながら、2ページで一つのテーマが終わるようになっているので、とても読みやすい。ブログ的とでも言いますか。
しかも、この本の著者は、1974年生まれと、まだ若い人なんですね。戦後生まれの若い感覚で、戦時中のめちゃくちゃな雑誌の記事を笑い飛ばし批判する。当時の総理や閣僚の「神の国」「産む機械」発言など、今の政治家の後を絶たない暴言の数々と重ね合わせて、その思想の根拠が何となく見えてくるようにもなっているのもなかなかに面白いと思いました。

当時の雑誌記事から見えてくるのは、本当にすごいんです。
女性は本当に神国日本の兵隊をつくりだすための「産む機械」であったこと、軍事力で海外に乗り出していった行為が、自由のためとか、解放のためとか、他国の経済封鎖とか、そんなところにあるんじゃなくて、世界を大東亜共栄圏、八紘一宇、神の国、神の世界の建設にあったこと、神というのはもちろん、現人神=天皇のことですが、それは、他国との対等の立場からの進出ではなく、明らかに、日本は神の国だから偉い。それを程度の低いほかの人種にもたたきこんで、世界を天皇のもとに置くことがいいことなんだという、本当にありがた迷惑なところから出発していることがよくわかります。

あの戦争を侵略戦争だったと思っている人はぜひ、その確信を深めるために読んでほしいし、反対に、そう思っていない人にも、この雑誌に書かれているものを見て、判断してほしいと思いました。そんなに、当時の日本が偉い国だったのか、考えてほしいです。

そうそう、北朝鮮のことをみんな馬鹿にするけれど、これを読んだら馬鹿にできないと思います。北朝鮮のさらに上を行く馬鹿な国家があったことがわかるでしょう。北朝鮮のが、戦争しないだけましです。


間違いだらけの少年H―銃後生活史の研究と手引き / 山中 恒,山中 典子

2010年09月18日 | 
間違いだらけの少年H―銃後生活史の研究と手引き
山中 恒,山中 典子
辺境社

このアイテムの詳細を見る


妹尾河童さんの旅行記が好きで、少年Hが発売されてすぐ買いました。
いろんな当時のことがリアルにわかって、戦中の生活がわかる本として、友達にも勧めたことがある本です。妹尾河童さんの「覗いた」シリーズの描写のこまかさとか、着眼点のすごさもあって、それがこの小説にもいかされていて、この人は、子どものころから、すごい好奇心旺盛で、いるんなことに興味を持ってきたんだろうなと、思ったもんです。

最近、この本の存在を知り、最初は、反戦本をただ批判する、その手の本かなと思ったんですが、読んだ人のレビューを見てみると、どうもそうじゃなさそうだし、不安もあって、買ってみました。

かったはいいけど、こんな分厚い本、どうしたって読めやしないと思ってましたが、幸いにも入院という暇な時間を与えられ読み始めました。

まず、細かい資料がいっぱいあるのに驚きました。でも、その資料は、やはり自分には難しく、後半の隣組とか、配給のところとかは、もう、文字を読むのを断念し、すっとばして、少年Hの記述と山中さんの解説のところだけを抜き出して読むような状態で…
文字を追っても、全然頭に入ってこないんだもん。

何かの間違いであってほしいという希望は、打ち砕かれました。、間違いは妹尾さんの方にあって、しかも、その間違いの多いこと。間違いだけならまだ訂正も聴くかもしれないけれど、明らかに嘘もあることを指摘していて、正直がっかりしました。

この指摘を妹尾さんはどう考えているのでしょうか。自分にとってすごい人だった妹尾さんが、だんだんひどい人に見えてきて、みんなをだまして、この裏切られた気持ちをどうしてくれるのかと、言いたくなってしまいます。

妹尾さんにも言い分はあるのでしょうか。いや、ここまで、はっきりさせられては、何も言えないでしょう。妹尾さんがいい人だったら、そこで謝罪とかってなるのかもしてないけれど、たぶんこれまでの経過ではそうはなってないと思われます。知らんぷりして、そのままうやむやにすることを選んだのでしょう。

なんか、とても残念な結果でしたが、やはり、真実を知るということは大事ですからね。

ただ、この本を読んで、その嘘を見抜けるかって、それは体験した本人たちでもなかなか見抜けなかったようですし、自分たちはへえ・・そうだったのか・・で鵜呑みにするしかなかったのも事実で…

妹尾河童さんのファンがかばいたいのもわかりますが、それによって、なにもいいことないですよ。歴史のわい曲は、歴史から学ぶものをゆがめさせる役割しか果たせません。

当時の人がHのような賢い人でなく、間抜けの集団だったから、戦争が拡大し、悲惨な目にあったのか。結果的に絶対主義的天皇制のもとでの国民の統制のすさまじさを甘く見て、ひとりひとりがしっかりしていれば、こんなことにはならないと思ってしまうわけで・・・

そうやって考えて行くと、妹尾さんは、何を書きたかったのだろうと…最終的にはそこに行きつくわけで…戦争の真実を伝えるためであるとしたら、あまりにも間抜けな結果としか言いようがないですね。

反戦だからって、嘘やでたらめで話をつくられたら、戦争を賛美している連中と同じ立場に陥ることは肝に銘じたいです。やはり、物事の基準は、事実ですからね。