バッテリー〈2〉 (角川文庫) | |
あさの あつこ | |
角川書店 |
バッテリー 3 (角川文庫) | |
あさの あつこ | |
角川書店 |
バッテリーは、読み出すと止まらなくなります。夜中にぱっと本を開いたら、そのまま最後まで行かないときがすまなくなって・・・時計が気になりながら、時計に視線をもっていくのがもったいなくて、トイレに行きたくなっても、もうちょっと読んでから・・・と思いながら、結局最後まで読み続けてしまうのです。
あんた何歳?と思うような主人公の巧。豪君もそうです。青波クンは逆に子どもっぽいかわいさを体中から垂れ流し。
出方は違うけど、3人の中の燃えるような情熱をどのようの処理して良いのか、いや、処理する必要があるのか、その発散する熱いもののすばらしさ、怖さ、いろんなものを感じます。青春という言葉で片付けられない恐ろしさをそのエネルギーは持っています。
エネルギーのぶつけ方がまっすぐであればあるほど、周りから浮いてしまったり理解されなかったりする。大人の社会という枠の中では危険なものという判断で押さえつけられてしまう。でも、そのエネルギーは可能性でもあるのです。否定する人だけでなく、可能性をコントロールしようとする大人もいます。
子どものときは、良くも悪くも大人の保護の下に、監視下にあります。実際にはいくら自由になりたいと思っていても、実際にはその中でしか生きていくことができないのもまた事実。
だからその枠にはみ出そうとあがくもの、またはその枠の中でうまく立ち回ろうとするもの、いろいろ子どもはその制約の中で、もがき苦しみながら、自分の考えを固めていくんですねえ・・・
いじめの話がありましたが、いじめた方が悪いのか。いじめは悪いことだけど、いじめをつくったのは、学校の制約の反動でもあるわけで。実際、巧は主人公として扱われて、あの頑固さは肯定的に描かれているけど、社会の目から見たら、かなり恐ろしい存在です。なにしろ、大人の話を聞こうとしないのだから。
いや、それがいけないとか言うことではなくて。
思ったことに一生懸命突き進むのは間違ってないけれど、やはり思ったことが思い通りにならないときに人間のあり方って試されるような気がして。
だから、思い通りにやれといいたい反面、もっと周りに気を使えとも言いたくなるわけです。いや、別に言いたくはないか。思うときがある程度です。
お母さんもダメ母さんと思いきやかなりしっかりやさんで、それこそ、この2人を育ててきたたくましさがあります。おじいちゃんはもう仙人みたいな感じでしょうか。
たぶん、筆者も、ここに出てくる登場人物を正しいとか正しくないとかの評価をしてほしいわけではなくて、たぶん、その、押さえきれない衝動とか、エネルギーをどこに持っていくかの模索をしているように思えます。
野球がテーマでありながら、3巻目でやっと紅白戦ですからね。あさのあつこさんにとっての野球は火の鳥なのかも知れないなあ・・・(わけわからん)
ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫) | |
三上 延 | |
アスキーメディアワークス |
というわけで、こっちは、話題の本!らしいので読んでみました。きれいな女の人が本を読んでいる表紙の絵がすごくきれいで目を引きます。
中身は、絵ほどのインパクトはないにしても、楽しく読みました。あまりリアルさは感じられないですが、この中に出てくる本で、こうなったら良いなという願望がこの恋愛模様にでているみたいな説明があるのがありましたが、この本は、男の願望がそのままストーリーになっているような気がしちゃいます。ストーリーというよりは恋愛模様の部分に関してですが。男女関係だけでこの本を見ると、面白くない本だと思います。
やっぱり、推理の要素があるから面白いのかな?なんとなく面白く読めるんだから、それで良し!という感じでしょうか。