唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

最近はこんな本

2012年03月11日 | 
バッテリー〈2〉 (角川文庫)
あさの あつこ
角川書店


バッテリー 3 (角川文庫)
あさの あつこ
角川書店


 バッテリーは、読み出すと止まらなくなります。夜中にぱっと本を開いたら、そのまま最後まで行かないときがすまなくなって・・・時計が気になりながら、時計に視線をもっていくのがもったいなくて、トイレに行きたくなっても、もうちょっと読んでから・・・と思いながら、結局最後まで読み続けてしまうのです。
 あんた何歳?と思うような主人公の巧。豪君もそうです。青波クンは逆に子どもっぽいかわいさを体中から垂れ流し。
 出方は違うけど、3人の中の燃えるような情熱をどのようの処理して良いのか、いや、処理する必要があるのか、その発散する熱いもののすばらしさ、怖さ、いろんなものを感じます。青春という言葉で片付けられない恐ろしさをそのエネルギーは持っています。
 エネルギーのぶつけ方がまっすぐであればあるほど、周りから浮いてしまったり理解されなかったりする。大人の社会という枠の中では危険なものという判断で押さえつけられてしまう。でも、そのエネルギーは可能性でもあるのです。否定する人だけでなく、可能性をコントロールしようとする大人もいます。
 子どものときは、良くも悪くも大人の保護の下に、監視下にあります。実際にはいくら自由になりたいと思っていても、実際にはその中でしか生きていくことができないのもまた事実。
 だからその枠にはみ出そうとあがくもの、またはその枠の中でうまく立ち回ろうとするもの、いろいろ子どもはその制約の中で、もがき苦しみながら、自分の考えを固めていくんですねえ・・・
 いじめの話がありましたが、いじめた方が悪いのか。いじめは悪いことだけど、いじめをつくったのは、学校の制約の反動でもあるわけで。実際、巧は主人公として扱われて、あの頑固さは肯定的に描かれているけど、社会の目から見たら、かなり恐ろしい存在です。なにしろ、大人の話を聞こうとしないのだから。
 いや、それがいけないとか言うことではなくて。
 思ったことに一生懸命突き進むのは間違ってないけれど、やはり思ったことが思い通りにならないときに人間のあり方って試されるような気がして。
 だから、思い通りにやれといいたい反面、もっと周りに気を使えとも言いたくなるわけです。いや、別に言いたくはないか。思うときがある程度です。

 お母さんもダメ母さんと思いきやかなりしっかりやさんで、それこそ、この2人を育ててきたたくましさがあります。おじいちゃんはもう仙人みたいな感じでしょうか。
 
たぶん、筆者も、ここに出てくる登場人物を正しいとか正しくないとかの評価をしてほしいわけではなくて、たぶん、その、押さえきれない衝動とか、エネルギーをどこに持っていくかの模索をしているように思えます。

野球がテーマでありながら、3巻目でやっと紅白戦ですからね。あさのあつこさんにとっての野球は火の鳥なのかも知れないなあ・・・(わけわからん)



ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)
三上 延
アスキーメディアワークス


 というわけで、こっちは、話題の本!らしいので読んでみました。きれいな女の人が本を読んでいる表紙の絵がすごくきれいで目を引きます。
 中身は、絵ほどのインパクトはないにしても、楽しく読みました。あまりリアルさは感じられないですが、この中に出てくる本で、こうなったら良いなという願望がこの恋愛模様にでているみたいな説明があるのがありましたが、この本は、男の願望がそのままストーリーになっているような気がしちゃいます。ストーリーというよりは恋愛模様の部分に関してですが。男女関係だけでこの本を見ると、面白くない本だと思います。
 やっぱり、推理の要素があるから面白いのかな?なんとなく面白く読めるんだから、それで良し!という感じでしょうか。

最近こんな本を読んだ

2012年02月25日 | 
完全なる首長竜の日
乾 緑郎
宝島社

本屋でなんとなく目についてなんとなく買ってしまいました。
現実と非現実の区別のあいまいな世界。本当の現実は、こういうことだったのかという話ですが、ある程度予想はつきながらも、なんか憂鬱になってしまう終わり方です。この主人公はずっと孤独だったんでしょうか・・・
こういう悲しい、寂しい余韻も小説ならではなのかな?とおもいつつ・・・



バッテリー (角川文庫)
あさの あつこ
角川書店


とても有名な本なので、何をいまさらな感じですが、これも古本屋でなんとなく手にとって100円という安さもあって買って読んでみました。
あっという間に読み終わってしまいましたが、心の中の叫びというか、葛藤というかいろんなものがあふれてくるような感じで、特に青波君の野球をやりたい思いというのは、野球をすることがこれからの人生を生きていくために自分にとってどうしても必要なものと思われるぐらいの強い意思を感じてボールを捜して家に帰ってこないところのくだりは泣けました。

おにいさんは見ただけですごい人というのがわかる設定です。でも、ここに出てくる豪君とか青波君とかも、一回見ただけではわからなくても、かなりすごいということを感じます。一人ひとりの子どもがそれぞれの個性を持っていて、それを伸ばすことができたら、すごくいいんですけどね。
子どもたちにうざったがれるお母さんですが、お母さんも率直で好感が持てます。

おにいさんって、自分のいる野球という範囲が世界、自分のいるマウンドが世界で、そこしか見えてなかったし、そこだけ見ていればこれまではうまくいっていたと思うんだけど、青波クンの変化とか、豪君との出会いの中で、明らかにそれまで考えていた世界の幅を広げざるをえなくなってきたんじゃないかと思うのです。2人のことをすごいやつだと思う瞬間があったりして自分が確立していた完璧なものがすこしずつ揺らいでいくというか・・・いい意味で自分を変えなくちゃいけなくなっていくんじゃないのかな?
なんておもいつつ・・・

ちはやふる その2

2012年02月14日 | 
ちはやふる(15) (BE LOVE KC)
末次 由紀
講談社


最後まで買ってしまいました。
あっという間に15巻まで行っちゃいました。

それでアニメの方もみてみましたが、たしかにかるたのルールがわかるようにつくられていて、マンガの中でやっていることがこういうことだったのかと、納得させてくれました。

マンガの世界とアニメの世界、どっちも大事です。
マンガは、読んでいて、時間の制約はないし、早くとばしたり、じっくり読んだり、読むスピードもそれぞれ違うし、自分のペースですすめられる気がします。手近にあるその巻だけを何度も読んじゃったり。適当においてあると抜けちゃう巻もでちゃってこの先読みたいと思っても読めなくなっちゃったり。
早く先を知りたくてあまり理解していないまま先に進んじゃうことも多いんだけど。それはそれで、その欲望のままに突っ走るのが好きなんだけど、とばしてしまったことで先のほうのストーリーが難解になって行き詰まってしまったりもします。
何度も読むうちに、気づかなかったいいところが見えてきたり、逆に、ちょっと胡散臭く思えたり。
マンガは最初のインパクトも大事だけど、長く読者の心をとらえ続けるのも大変です。
なんか、マンガそのものの話をしていますが・・・

で、アニメですが、百人一首の世界を映像や色で表現したり、札を取るスピードの早さとか、競技がどのように進んでいくのかがとてもわかりやすくて、こっちも大事ですね。マンガでわからなかったことがアニメでわかるというのはなかなか珍しいことです。

こんな風にマンガとアニメを同時並行で見比べたことってなかったなあ・・・
どっちも面白いです。

ところでちょっと話が変わりますが・・・
インターネットでいろいろみているうちにこの作者さんが、盗作をして問題になった人だと知りました。
それまでちはやふるって全面的に面白い!と思っていた気持ちに余計なものが持ち込まれてしまったような複雑な気持ちになりました。
このカットはこの写真をトレースしたとか、このマンガのシーンと同じだとか、いろいろ検証しているサイトなんかもあったりして。あまりいい気分じゃないですね。

他の作品で結構映画のパクリとか恥ずかしげもなくしちゃってたりするのをみて、それがマンガの世界では当たり前で「あり」だと思ってたんですが、さすがにそのままなぞった絵はダメだったんですね。

そんなこんなグルグル考えながらこのちはやふるのことを考えると、この作品で同じことやってもそう簡単に気づかないよな・・・とか、マンガの表紙が顔のアップが多いのは、そういうことを引きずっているんじゃないかとか、とても不安になったり・・・
知ってしまうと引きずってしまいます。作者もその過去をずっと引きずっていくんでしょうね。人気がでれば出るほど、過去が大きくなっていくのかも知れません。

それでたいちくんが新君のめがねをかえすシーンとか、周りの人がひそひそと悪口を言っているシーンが多かったり、肉まん君が一時期かるたを諦めていたりするのも、作者の気持ちとか体験とかが反映されてるんじゃないかと思ったり、登場人物のまっすぐさとかはそういうごちゃごちゃした世間の中でまっすぐに走りたいという思いなのかな?とか、ほんと、余計なことも考えてしまうようになってしまいました。

これだけ面白くて泣いちゃうシーンもあって、一生懸命なマンガですから、それは作者の今の気持ちであってほしいですね。

で、また話しかわりますが、つきあうならかなちゃん!っていうのなんか納得ですね。

ちはやふる

2012年02月11日 | 
ちはやふる (1) (Be・Loveコミックス)
末次 由紀
講談社


気になっていたマンガでしたが、1~8巻まで買い揃えました。
いやあ・・・面白い!!
かるたをやってみようとは思わないけれど、その世界のなかでもこんなに広く深い世界があるなんて。
お正月にかるたをやったりしたけれど、もうそれも子どものころの遠い記憶。
大人が競技としてやっているのが面白いです。
それだけでなく、百人一首そのものに入り込んでいくとまた深そうで。

しかし・・・ルールがよくわかりません。

日本の原発技術が世界を変える

2011年09月19日 | 
日本の原発技術が世界を変える(祥伝社新書225)
豊田 有恒
祥伝社


2010年に書かれた本です。
1円+送料で買いました。
事故があった後ではかけない本ですね。それでも書いたなら相当タフな「御用作家」ですけどね。

半分読みましたが・・・
反原発は危険をあおりたて、反対のための反対で、なんも勉強していないということらしいです。

なんとなく反対派は中身がないと口で言ってるけど、その反対派の論理に対してはふれようとしていない気がします。

それでいつの間にか、インドでは・・・、北朝鮮は危ない・・・みたいな話になっていて・・・

原発用語の翻訳がおかしいみたいなのもいろいろ並び立ててるけど、それが何か?って感じだし。

放射線なんか自然界にいっぱいあふれている。そんなに放射線がこわいなら飛行機乗るな、人ごみを歩くな。コンクリートだって放射線出てるよ。ブラジルのガラパリは放射線量高いよ。でも、なんも人体に影響ないじゃないですか。というわけですが、原発問題は別にそこを問題にしているわけではないのですが、「原発推進派」は、それがひとつの殺し文句みたいになってます。

でも、一方で、「原子力発電所は放射能、放射線を外部に出さないように万全の対策を講じている」と書いているわけです。
そんな安全な放射線なら、万全の対策を講じる必要なんてないのに。わざわざ、しなければいけない万全の対策って・・・。
結果的に、筆者自身も放射能、放射線の危険性は否定しきれないというか、危険であることを認めているわけです。
危険だけれど、万全の対策をしているから大丈夫というふうにさらっと切り替えられています。

今起こった原発事故は、その万全の対策がやられていなかったことが露呈してしまったわけで、今となっては、「やっちゃった本」「イタイ本」になってしまっています。
「安全」な放射能に脅かされている今の日本国民はそうとうおろかにみえるのでしょうね。きっとこの人は裸で福島第一原発に行ける人ですよ。

日本の原発の技術は世界トップクラスだから、それを売り込まないでどうするんだということらしいのですが・・・
もしかしたら、福島は老朽化していたからだ。一回ばかりの事故で最先端の技術を売り込むことを恐れていては、日本の発展はない!反対派は福島の事故を鬼のクビをとったように騒ぎ立てるが、本質的な議論じゃない!と言いたいのかも知れませんね。
言ったら、大変だと思いますが、今、この筆者のコメントを聞きたいです。

まあ、今だから批判にさらされるということもあるでしょうが、でも、こういう本を書いている時点でその人には責任があるわけで、その覚悟を持ってのぞんでいると思うので、バンバン批判されるべきだと、思います。



逆境ナイン  / 島本 和彦

2011年08月06日 | 
逆境ナイン (1) (サンデーGXコミックス)
島本 和彦
小学館


「ゲキトウ」に触発されてひさしぶりに読んじゃいました。
すごい荒いです。そして、勢いがある。ある意味いいかげん。激しい。すっ飛ばす。そしてそれがおもしろさになっている。
原作者にしてみればいまふりかえると恥ずかしくてたまらないところももしかしたらあるかもしれません。しかし、「それはそれ、これはこれ」です。

ゲキトウ  / 島本 和彦

2011年07月23日 | 
ゲキトウ (リュウコミックス)
島本 和彦
徳間書店


1巻を発売当時買いまして、すごく面白く手続きを読みたいとずっと思っていました。
2巻は出なかったみたいですね。
それで、その本では読むことができなかった続きが書いてあるのでこの本を買いました。
やっと念願がかなって読むことができました。大満足です。もうちょっと先まで見たかったですけど。

3月のライオン 6 / 羽海野チカ

2011年07月22日 | 
3月のライオン 6 (ジェッツコミックス)
羽海野チカ
白泉社


単行本になったら必ず買うマンガははじめの一歩と、ガンダムオリジンとこの3月のライオンぐらいか・・・あ、一応アオイホノオも買ってました。吼えよペンを読んでいなかったら羽海野チカさんって知らなかったしなあ・・・
一歩はもう宮田戦が無しになってから惰性マンネリから抜け出せなくて落としどころに苦労してるみたいだし、ガンダムも面白いけどある意味惰性な気きもするし。次を早く読みたくて発売を心待ちにしているのは3月のライオンだけです。
他にどんなマンガがあるのかもぜんぜん知らないけれど・・・
そういえば、ガンダムは連載は終わったみたいですね。お疲れ様でした。

3月のライオンはこれからどう進んでどう終わっていくのかすごく楽しみなんだけど、同時に終わってほしくない作品です。ぜんぜん終わりそうな気配はないですけどね。だけド、ヒカルの碁みたいにさくっと無理やり終わっちゃうこともあるし・・・どこで落とすのかは腕の見せ所ですね。

登場人物たちの心模様が描かれていてとても良いです。特にこの巻は、学校でいじめられているひなちゃん(かわいい!)をどう救うのか、答えが見つけられないままあがくれいくんがとてもいいです。ももちゃんがちょっと出番が少なかったけど、それでもポイントでポッをでてあふれんばかりのかわいさオーラを出しています。

一人ぼっちの修学旅行、れいくんの登場はどらまですねえ・・・あんなことされたら女の子は・・・お日さまにあたったちょっと汗ばんだひなちゃんの髪の毛のにおいまで伝わってきそうな・・・。

あとは心友君の病気エピソードですね。心友君の将棋にかける並々ならない意気込みのウラが見えてきて、その2つのことがれい君を人間的にも棋士としても一つ乗り越えさせたような気がします。

ヒナちゃんに寄せる助けたい気持ちとか、あかりさんに自分の心をさらけ出すところとか、そして、大きな対戦を前にした心友君・・・は失礼ですかね二階堂君に「お前なら大丈夫だ!」と、不安な気持ちを落ち着かせるところとかれい君の成長が伺える6巻です。一歩みたいに100巻近くなってもまだ日本チャンピオンみたいな引っ張り方はする必要ないけれど、長く続いてほしいなあ・・・

みんなが身近にいる人みたいに感じるってすばらしい。だからこそ、この先、どういう人生を歩んでいくのか、とても気になります。

日本人の坐り方

2011年07月20日 | 
日本人の坐り方 (集英社新書)
矢田部 英正
集英社


正座が正式な座り方じゃないなんて!!
といううれしい本です。
自分が得意ないわゆる女の子座りも昔の人は男の人も使っていたみたい。
古い絵や写真、古文書から、日本人の座り方を解説してくれ、日本人が座り方にとてもこだわっていたことにあらためて驚き、その日本人らしさが消えて行ってることが少しさみしい…
生活が変われば体も変化していくのは仕方ないことだけど、せっかくの特技を失っていくのはやっぱり寂しい。

日本人であることが何となくうれしくなる本です。
日の丸君が代が好きになるとかいうことじゃないですよ。
むしろ、そういう型にはまっていなかった・・・というか、幅のある型をつくっていた日本人の本当の姿がとてもうれしい。

原発のウソ  / 小出 裕章

2011年07月14日 | 
原発のウソ (扶桑社新書)
小出 裕章
扶桑社


原発は恐ろしい…その恐ろしさがよくわかる本です。
原発そのものが恐ろしいだけでなく、それを推進する人たちのウソ・・・安全神話という思い込みというよりは、安全神話自体が作為的にウソでつくりあげられ、そのウソを覆い隠すためにまたウソをつくという、ウソの悪循環、原発は海温め装置という言葉がありましたが、ウソ製造機でもありました。電気を流すという、1%の真実のために9%ウソの仕組みをつくっている。そのウソを信じ込まないと、原発なんてどう考えても危険で金がかかって環境にも全くやさしくないものを推進することなんてできないんですね。

そういった警鐘はいろんな形で出されていたにもかかわらず、自分はそれを受け止めるアンテナを張っていなかったために、知らずにこの大事故に直面してしまったわけです。

直面というと、大袈裟な感じもちょっとしますが、冷静に考えると、大げさでなく、福島第1原発の事故は、終息したわけではなく、いまだに被害が広がる恐れを持ちつつ・・・政府や東電は情報を小出しにしていることで専門家の分析、議論を進める障害になっていて、それが解決を遅らせることにもなりかねない。いまだに安全神話にしがみつきながらことを納めようとしていることで、さらに傷口を広げているというのが実態なのではないでしょうか。

実際に命をかけてこの大事態を収束させるために命をかけて現地に赴いている人もいるけれど…チェルノブイリの話を聞いたら、いまだにチェルノブイリが収束していない事実も知り、それでもこの状態までこぎつけたのは、ソ連特有の人間をただのコマのように扱う人海戦術があったればこそのような気がして…どうじに、今の福島の実態も、命がけで現地に人を次々と送り込まなければ、どうにもならない状態。現状維持がとても難しいのかもしれないと思いました。

安全神話のウソから脱却して、事実をきちんと表に出していまの事態を国民がきちんと認識できるようにすることが大事だと思います。
知らないまま死ぬよりも、ある程度の覚悟も真実を知らなければ覚悟しようがないし…

ということで、これから原発に頼って生きていくかどうかの選択がとわれていますが、どっちにしても、原発問題は事故の問題にかぎらず、向き合っていかなければならないことを考えさせられました。

原発って難しそうで向き合いづらいけど、この本はとても読みやすかったです。

これが原発だ―カメラがとらえた被曝者 /樋口 健二

2011年06月08日 | 
これが原発だ―カメラがとらえた被曝者 (岩波ジュニア新書)
樋口 健二
岩波書店


これが原発の実態だったのか・・・と恐ろしくなります。
何が恐ろしいって、事故が起こらない状態でも、被曝している実態があったことを、何も知らないできていた自分が恐ろしいです。

金にモノをいわせて村を活性化させてやるといろんな施設もつくってあげて、原発は安全ですよとふりまいて原発をつくって、でも、その原発の中で度のような状態で労働者が働かされているのか・・・社会全体が、労働のルールが壊されている状況ですが、この原発労働者の実態は、まさに人間扱いされてないです。

マスクなしでとか、計器をつけずにとか、当たり前にやられていて、表向きの近代化したイメージとはまったく正反対に人間が自覚はしてないけど結果的に命を削って運営しているわけですね。
何重もの下請け、非正規労働者がピンはねされて・・・しかも、具合が悪くなったからといっても、その事実は隠蔽されてしまう。
この前、共産党の田村議員が下請け労働者の内部被曝の実態をキチンとつかんでいるのかと東電につめていたけど、そもそも、自分のところの社員じゃない労働者なんて、責任持ちませんという体質なんでしょうね。
あ・・・でも、社員だって同じかも。電力会社に入社したと喜んでいた若者が被曝して死んでしまうエピソードがありました。

安全神話というのは、事実をもみ消すことによってつくられていったんですね。そして、事実を知らずに自分も安全神話の中に結果的にいました。原発を気楽に考えていました。

核燃料の輸送も、トラックや船でやられてるんですよね。よく考えれば当たり前ですが・・・
大井埠頭から六ヶ所村へ6フッ化ウランが輸送されてるって書いてあって驚きました。

知らないことは罪ですね。
危ないと口で言うだけでなく、本当にその危なさ、怖さを自分自身学ばなければ。と思いました。