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話の流れは、弁護する側の話だけなので、それに有利にことが進んだりすると、映画を見ている人は当然喜んじゃうわけです。自分の頭の中で、あの旦那さんは犯人じゃないと思い込みます。作り手側にしてはしてやったりかもしれません。
そして、彼が殺人を犯したかどうかではなく、検事側の物的証拠が正しいかどうかにいつのまにかすりかわっているわけです。
裁判は真実が明らかにされることが一番大事なことなのに、実際の現場は必ずしもそうなっていないのかもしれません。
皮肉にも、その前の明らかに無実の(と言っている)黒人2人の死刑判決は覆らないわけですし・・・
真実以外の力で勝ち負けがついてしまうとしたら、人の裁がなぜ必要なのか、わからなくなってしまいます。特定の人を守るための都合のいい判決が出てしまったら、それこそ裁判所自体が力のあるものを守る場所でしかなくなってしまう。
哀しいことに、人は人をだます能力を持っていて、自分の都合のいいように話をねじ曲げちゃうこともできます。その問題とは関係ないことを持ちだして相手の印象を悪くさせようということもできるわけです。
検察側も物的証拠をでっち上げた。真実がどうかという目的でなく、犯人を仕立て上げるためにやった。この裁判の目的が、真実を明らかにするというところが二の次になって、検察側の主張が正しいのかどうかの検証が優先され、ずれた争いになっていく。むしろ、弁護側もそこに持ち込んだということなのかもしれませんが。
結局旦那さんは犯人だったのか、そうでなかったのか、それはいまのところ旦那さんのみが知っているわけです。あと、植物人間になった奥さんも(?)
無罪は人が出した結論たったとしても、無罪が事実かどうかの判断にはならないわけです。そこのところはあいまいになっています。
この弁護士の先生のうまいところは、法律上の戦いでは勝利したけれども、本当の白か黒かはあなたの良心にゆだねます。と、言い捨てていったことですね。犯人だとも犯人じゃないともいってないけれど、それを明らかにするのは私の役割じゃなくて、あなた自身の問題だということです。だまされながら正義を訴える馬鹿にはならないという表明だったのかもしれません。