唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

パラダイス・ナウ

2007年12月14日 | 映画 は行
パラダイス・ナウ

アップリンク

このアイテムの詳細を見る


自爆テロをテーマにした映画です。

自爆テロで自分が英雄になれると浮かれていたけれど、一度目は断念せざるをえず、2度目は動揺して恐怖でその決断ができなかった人、ビデオのシーンもそうですけど、「英雄」のかっこよさにあこがれて浮かれていて、死が現実になると、恐ろしくなる。見たところ無様です。
でも、その無様さって笑えないです。いきたい気持ちが湧き出してくるのは人間としてはあたりまえです。

自爆テロを実行したもう一人のほうは、ある意味かっこよく描かれていますが、この人の行動は、過去と、現在の抑圧の中で、「生きたい」気持ちがどこか薄れていると言うか・・・もう、こうなったら誰も説得できないような非常に暗い部分を感じます。長年培われてきたものを変えることなんてそう簡単にはできません。何の説得も聞きません。彼は英雄になるとかそんな浮かれたものはいっさいなく、たぶん、自分のおかれている状況を吹き飛ばしたかったのかもしれません。
お母さんや気になるあの子の存在は生きる希望でもあるはずなんだけど・・・別にその人のために死のうということでもないみたいだし・・・母親にはあったかもしれないですね。裏切り者の家族と言うレッテルを無くしてあげたいという・・・

女の人には、違う抵抗の選択肢があると言わせます。自分もその通りだと思うんですが、あの会話の中では、あまり説得力をもちません。この国の状況は、「きれいごと」では解決できない状況になっているようにも見えます。

自爆テロで死んでいった人たち、死に切れなかった人たち、それぞれがどんな気持ちでいたのだろうかというところに視点があると思います。

監督は、自爆テロなんていけないことだと思っていると思いますが、あえて、それを強調するのでなくて、どんな思いでそこに向かっていくのかを描くことで、自爆テロに疑問を投げかけていると思います。その人たちの気持ちを否定したくないと言う思いもあるのでしょう。

問題は報復の悪循環を断ち切ることなんだろうけど・・・
こういう死んでいく人たちとは違うところで政治が動いているような気がしてなりません。

DVDのおまけに、撮影ドキュメントがありましたが、この国の状況が映画で感じた以上に悪い状況にあると思いました。