バレエ「オネーギン」。プーシキンの『エフゲニー・オネーギン』に基づく。音楽はチャイコフスキーの曲をクルト=ハインツ・ストルツェが編曲。
主な登場人物は、オネーギン(Thiago Soares)とその友人レンスキー(Genesia Rosato)、タチアナ(Roberta Marquez)、オルガ(Yuhui Choe)。
レンスキーの許婚オルガとその姉妹タチアナ。タチアナはオネーギンに恋をし、恋文を認めるが、それをオネーギンに目の前で破られてしまう。オネーギンはタチアナの気持ちを知りながらオルガに興味を示し、レンスキーの怒りを買い決闘に。オネーギンは決闘でレンスキーを殺してしまう。数年後、タチアナの元を訪れたオネーギンは、今更ながらにタチアナへの気持ちに気づき恋文を認めるが、逆にタチアナにそれを目の前で破られて幕となる。
「人生は不条理である」を地で行くようなストーリー。第三者の立場から見たら、ボタンを一つ掛け間違えただけなのに、主人公のオネーギンは、友人を殺し、その許婚に悲惨な運命を受け入れさせ、愛し愛された女性に別の男性との人生を与え、真実の気持ちに気づいた自らを拒絶させる結果を招く。タチアナとオネーギンは死ぬまで互いへの気持ちを持ち続けながらそれを幸福な形で昇華させること無く人生を生きる-死を迎えることが不幸なのではなく、求めるものが何かを知りながら、それが決して成就されない状態で「生きる」ことが不条理であり不幸なのである。
美は悲劇の中に宿る、といいたくなるような美しい舞台-装飾、照明-であった。バレエも、オネーギンを演じたSoaresが素晴らしかった。身体的に恵まれている上に-手足の長いこと-、バレエも素晴らしかったと思う。
我々一人一人の人生も、多かれ少なかれ、このようなものなのだろうか。タチアナ-最後、愛する人でありながら、おそらくずっと愛してきた人でありながら、道理を通して拒絶する-とても素敵だ。
でも、出来ることなら、不条理の中にではなく、幸福の中に生きたいものである。