モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

1月5日

2025-01-05 06:55:39 | 総大会
「赦さない理由と赦す理由」

「赦さない理由」の中に「赦す理由」を探していないでしょうか?

イエスの前にひとりの女性が連れて来られました。
人々は姦淫の罪を訴えました。
それは律法による正当なものであり、罰も定められています。

イエスが言いました。
「あなたがたの中で罪のない者が、まず…石を投げつけるがよい」ヨハネ8:7

赦さない理由は“その人の罪”であり、赦す理由は“自分の罪”でした。

イエスは言いました。
「わたしもあなたを罰しない…今後はもう罪を犯さないように」ヨハネ8:11

「赦す」ではなく、「罰しない」でした。
その場で赦されたわけではないようです。

「今後は罪を犯さないように」
イエスは赦しを得るための悔い改めを求めました。

赦さない理由は“罪”であり、赦す理由は“悔い改め”であるようです。

「赦す理由」は「赦さない理由」の中には存在しないようです。

赦すことができないとき、その目は「赦さない理由」に釘付けになっているようです。
それは“かたくなな心”とも表現されます。
視点を変える必要があるかもしれません。
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