モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

1月3日

2025-01-03 05:49:58 | 総大会
「赦しと許し」

「赦し」と「許し」が混同されていることがあります。

子供を愛する親は、子供が過ちを犯さないように教えます。
彼が過って罪を犯すことのないようにするためです。
「罪は許されない」と教えることでしょう。
この許しは“許可”を意味します。
未来に対すものです。

もしも子供が過って罪を犯してしまったらどうしますか。
子供を愛する親は子供に代わって謝罪し、代価を支払い、赦しを求めることでしょう。
信仰のある人であれば主の贖いを思うことでしょう。
この赦しは“赦免”を意味します。
過去の出来事に対するものです。

「赦し」と「許し」を混同すると、こんなことが起こるかもしれません。

ある教会員が誘われてお酒を口にしてしまいました。
それを悔いてビショップに告白しました。
ビショップは彼の悔い改めを認めて赦しを与えました。
彼は「戒めに従わなくても罪を告白すれば許される」と理解しました。

…なんて笑い話みたいですが、実は珍しい話ではありません。

“赦しと許し”について、整理してみることをお勧めします。
わたしも他人ごとではありませんけど。

「主なるわたしはほんの僅かでも罪を見過ごしにする(許す)ことはない。…それでも悔い改め…る者は赦される」教義と聖約1:32
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1月2日

2025-01-03 05:48:22 | 総大会
「赦しと争い」

赦せない心を持つ人々は、その怒りによって争い、戦います。
彼らは神の前に立つとき、何と言うのでしょうか。
「わたしは神に対して怒り争ったことはありません」と言えますか。

人が怒り争うとき、その心は御霊に逆らい、戦います。
「赦されない罪」を思い出していただけるなら幸いです。

神の前に立つとき、「御霊(良心)から何の警告もなかった」と言い張るつもりでしょうか。
わたしには言えません。
福音の知識は確かに警告しました。
それを無視した自分を知っています。
「怒りの感情に負けて、赦すことができなかったのです。」

「まことにあなたがたに言う。争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく、争いの心を持つ悪魔につく者である。悪魔は互いに怒り争う(赦さない)ように人々の心を煽り立てる。」3ニーファイ11:29
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