あけましておめでとうございます。
新年早々ですが、「赦し」について少々書いてみたいと思います。
赦し その1
「赦しと怒り」
人はなぜ怒りを抱くのでしょうか。
そこには「赦せない感情」があるようです。
“怒り=赦せない感情”と言ってもいいかもしれません。
他の人のことは分かりませんので、自分のことを書きたいと思います。
怒りの感情は心の中で荒れ狂います。
それはすべてを破壊する嵐のようです。
信頼関係も、友情も、愛さえも、どうでもよいものになります。
怒りが収まったときに残っていたのは後悔だけでした。
思い当たる経験のある人には、理解していただけると思います。
もうひとつ、感じていることがあります。
誰もが怒り(赦せない感情)の行き着く先を知っているのではないでしょうか。
そこに何があるでしょう。
平安、愛、幸せは存在しません。
希望や喜びも期待できないでしょうね。
誰もが気付いているはずです。
求めるなら主の御手がそこにあると知っていても、怒りによってはそれさえも拒むのです。
「『主よ、お助けください』…イエスはすぐに手を伸ばし…つかまえて言った、『…なぜ疑ったのか』」マタイ14:30~
新年早々ですが、「赦し」について少々書いてみたいと思います。
赦し その1
「赦しと怒り」
人はなぜ怒りを抱くのでしょうか。
そこには「赦せない感情」があるようです。
“怒り=赦せない感情”と言ってもいいかもしれません。
他の人のことは分かりませんので、自分のことを書きたいと思います。
怒りの感情は心の中で荒れ狂います。
それはすべてを破壊する嵐のようです。
信頼関係も、友情も、愛さえも、どうでもよいものになります。
怒りが収まったときに残っていたのは後悔だけでした。
思い当たる経験のある人には、理解していただけると思います。
もうひとつ、感じていることがあります。
誰もが怒り(赦せない感情)の行き着く先を知っているのではないでしょうか。
そこに何があるでしょう。
平安、愛、幸せは存在しません。
希望や喜びも期待できないでしょうね。
誰もが気付いているはずです。
求めるなら主の御手がそこにあると知っていても、怒りによってはそれさえも拒むのです。
「『主よ、お助けください』…イエスはすぐに手を伸ばし…つかまえて言った、『…なぜ疑ったのか』」マタイ14:30~