モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

今あるもの

2019-11-06 08:47:48 | 今日の一言
失ってから気付くことの
愚かさを知っている人は
今あるものに感謝する
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御霊

2019-11-06 06:04:23 | 福音について
「霊が…注がれて、荒野は良き畑となり、良き畑は林のごとく見られるようになる」イザヤ32:15

福音を知る前には平気で嘘をついていましたが、
福音を知ると(正確には「聖霊の賜物」を受けると)嘘に嫌悪を感じるようになりました。
そしてさらには「自分の言葉が主の御心に従ったものであったのか」を省みるようになりました。

初めて福音を聞いた時、とても興味を惹かれました。
それを得たいと感じ、もっと詳しく知りたいと望みました。
時々「福音にある喜びとは一体何だろう」と考えることがあります。

御霊を受けている人であれば、このことを理解できると思います。
御霊を受けると人の心は変化し、心を惹かれ、心に喜びがもたらされます。
御霊は理解する力を与え、思い起こさせ、気付き(霊感)を与えます。

「神の国は飲食ではなく…聖霊による喜び…である」ローマ14:17


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主を知る

2019-11-06 05:30:12 | 福音について
「わたしたちは主を知ろう、切に主を知ることを求めよう」ホセア6:3

梅干しの味を身をもって知っている人は想像しただけで唾液が出てくると言います。
両親の前に立つ自分を想像することは難しないと思います。
その時の心持ちや言動までも思い浮かぶことでしょう。知っているからです。

主を知っている人は主の前に立つ自分を想像することができます。
主を知るほどに、主を前にしての思いや態度までも明確に思い描くことができるようになります。
その思いが「へりくだる心」であり、今の自分と比べるなら「悔い改めるべきこと」が分かります。

「いつも御子を覚え」ている人は、主を前にしたときの思いや態度のままで生活します。
主を知らない人には分からないし、説明しても理解できないことでしょう。
わたしたちは主を知るために福音を学び、祈り、教会に集います。

「聖霊によらなければ誰も『イエスが主である』と言うことはできない」1コリント12:3

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