イエス・キリストを信じる信仰を働かせ、悔い改め、聖約を交わし守ることを通してキリストのもとに行くとき、どのようなものであろうとわたしたちの傷は癒されます。
(イエス・キリストの癒しの力 フランコ姉妹)
御霊に包まれているときに感じられる「キリストの癒しの力」は
言葉では言い表せないほどに心地よく、人を幸せにします。
永遠にそこにいたいと思うほどです。
「聖霊に感じたときには…厳しく責め…その後…愛を示しなさい」教義と聖約121:43
知識によって責めることは簡単にできますが、そこに「癒しの力」はあるでしょうか。
なぜ責めた後に愛を示すことが求められているのでしょうか。
「癒しの力」は愛と思いやりに伴うものであって、
それが人の心を励まし、奮い立たせ、人を幸せにする
「キリストの力」だからではないでしょうか。